YUJIN KOYAMA BLOG
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私の絵画の深い理解者だった脳神経解剖学・生理学の名誉教授、萬年甫先生が、昨年末に逝かれた。
先生とお会いしたのは、医学生のとき、人体解剖学の講義と実習を通してだった。学問に厳しさと誇りを持って臨んでいらっしゃる颯爽としたお姿は、常に印象的だった。当時の精密な神経学の講義のノートは、今でも宝物になっている。
峻厳な先生と私が初めてお近づきになれたのは、解剖学の実習で、私が人の脳を描き止めているときだった。先生は私の手元をご覧になり、「ほお、きみには絵心があるね」とおっしゃり、私が描いた紙片をそのまま持っていかれた。私には、何にも代え難く光栄なことに感じられた。
それから実習の打ち上げなどで、いかに先生が絵画に造詣が深く愛していらっしゃるか知ることとなった。若いとき、フランスへ留学中に日本の有名画家Uを診察する機会があり、デッサンをもらい損ねたエピソードや、脳神経学権威で俳画、日本画の腕も卓抜なN教授から認められた証しとして絵を贈られたお話などを熱く誇らしげに語られた。講堂での厳しさとは異なった先生の情熱的なお姿には感動を覚えた。
萬年先生から私の個展にご来場いただく機会が始まったのは、十数年前にART BOXマスターズ大賞展で受賞し、その記念の展覧会が六本木で開かれた折からだった。先生のような方から初日のオープニングにご来場賜りたいそう恐縮したのを覚えている。先生は終始気さくに心から楽しんでいらっしゃるご様子に、私もずいぶん心和むことができた。
それから個展を開催するたび、先生は必ずご来場下さった。今にして思えば、私の絵心への深いご関心と、作風の変化にどれほど熱いご興味を抱いていて下さったか、その格別さに改めて感謝を覚える。そして偉大な私の理解者を失ったという空虚感が、思ってもみなかったほどぽっかり大きく抜けて感じられる。
先生は画廊でゆっくり過ごされ、存分に拙作をご堪能下さった。お話は、翻訳中の専門書のことから、絵から受けたインスピレーションのことまで多岐に渡った。恐縮している私の前で、小じんまりした画廊の雰囲気に和まれるご様子で、私もいつか豊かな寛ろぎに引き込まれた。
私が主に沖縄で得たイメージで描いていた折りには、八重山諸島まで足を延ばすとよいと、強く勧めて下さったことがあった。さっそく石垣島、西表島などへの旅を計画し、さらにイメージを膨らますことができた。先生の穏やかなアドバイスは、私を大きな力で突き動かし、創造のきっかけを発見させる機会ともなった。
特に先生の感慨深いお話は、「私は人生の最後に、一本の太い樹を描きたいと思っているんですよ」というものだった。それは先生の多くの思いが籠った人生の逞しくゆるぎない樹であることに違いなかっただろう。学問一筋に厳しく貫かれた先生の太い人生の流れを見たような気もした。そのお話をなさったとき、とりわけ遠くに思いを馳せるような眼差しで、気持ちを込めた声で語られたのが印象に深く焼き付けられた。それが、先生の私の個展へのご来場の最後ともなった。
太い樹を生き切った先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
Yujin
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夢のイストワール展2も、無事に終了しました。厳寒の折りにもかかわらず、意外にも多くの友人、コレクター、美術関係者の方々のご来場を賜りまして誠にありがとうございました。
小学校一年生のときの「恋人」が偶然に展覧会を知って訪れてくれ、ン十年振りの再会となるハプニングなどもあり、感動しました。
会場に並べられた拙作と対話するうち、ここからはさらに、ペガサスはより広い神話物語り世界へと羽ばたいていくのだろうなと、朧げな予感を抱きました。メドゥーサの首の切り口から生まれ、ベレロポーンとともにキマイラの退治をし、ついに天空の星座となったペガサス。劇的な絵画セーンにあふれています。
ペガサスのインスピレーションを与えて下さった方の躍動的なイメージも、さらに幻想的神話物語り世界で花開き、存分に舞うことでしょう。当の美しいエネルギーと優しさにあふれた主は、この展覧会の機会にも奇跡的な力を与えて下さいました
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新年あけましておめでとうございます。
昨年は大きな混乱がいくつも襲いかかる大変な年でしたけれど、今年はそれらを克服して前にも増して豊かになる力強い年になるよう、深く祈念致します。
年末年始に当たり、たくさんの心温まるお便りをいただいたことに感謝致します。大いに力付けられて、今年も頑張ろうという気持ちになりました。
さて、お正月休みは、「夢のイストワール展2」へ向けての作品の額装から始まりました。昨年半ばから、新しい出会いに強いインスピレーションを受けて描き始めたペガサスをテーマにした作品群の初めてのお披露目ともなります。
額に収めると、作品も引き立つようで身も引き締まります。
松岩邦男氏主催のこの展覧会は、氏の心を込めた企画のお陰で、第一回目の昨年は、他のグループ展に類を見ないほど素晴らしいものでした。今年もきっと成功裏に開催されるものと確信します。それだけに、ぼくの心構えは個展並みです。
大崎駅間近のO美術館で開催されるこの展覧会に、多くの方々にご光臨賜りたいものと願っております
夢のイストワール展2
2012年1月20日(金)~25日(水)
10:00~18:20
(初日は14時開館・最終日16時迄)
O美術館
品川区大崎1ー6ー2
大崎ニューシティー2号館2F
電話03ー3495ー4040
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「花々より生まれし女神」小山右人作
今年もだいぶ押し詰まってきました。
この一年、何よりも癒しの力について考えさせられる年になりました。
「花々より生まれし女神」そんな豊かで華やかな生命感あふれる存在から癒しの力を与え続けられたい。
夢のような願いが現実にあり得ること、そしてそれが大きな癒しの力であることを身をもって教えられた年でもありました。
治療者としての実践の前に、大きな癒しの力が必要であること、それは常日頃痛感している課題でもあります。その力が自分にとって必要不可欠となったとき、涸れた大地に水が染み込むように感じ始められたのです。
新しい力を実感する元年だったかもしれません。暗いトンネルの向こうから射す光明のように、その力に導かれだしました。第二の人生のスタートとでも言うべき生命の節目に、大きな出会いが訪れたのです。
まさに「花々より生まれし女神」に相応しい存在に導かれ続けて生きてゆきたい。自らに欠乏し、渇望となった力を与えてくれる存在。
自分が絵に描き小説で語るべき大きな存在の発見でもありました。残りの人生の大部分を賭けるテーマとなることでしょう。
その気持ちを象徴する小品が生まれたことをまずは喜びたい。今年を締めくくる時期に完成したことは、よりその象徴性を自分の心に深く刻むことにもなりました。
「花々より生まれし女神」に祝福の乾杯!
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制作過程をこのブログで展示してきたペガサスの幻想絵画がついに完成しました! 慌ただしい時間の隙間を縫って、文化の日のこの日に完成を迎えた喜びはひとしおです。
画題も、かつて自分の作品に付けたことがないくらい甘いもので、照れを感じるほどです。
昨年の猛暑の中で、すっかり衰弱したぼくが、ここまで回復できたのを支えてくれた人と出会いへの深い感謝の気持ちを込めました。猛暑で熱中症で倒れたお年寄りの診療と往診の忙しさにすっかり消耗してしまいました。
一時は10キロほど痩せて、会う人が皆びっくりしました。悪い噂の広がる早さにも驚いた体験でした。出掛ける先々で、話の方が先に届いていて、心配そうに尋ねられることが度重なりました。
今では着実に体力の方も回復しています。ペガサスのように美しい、本当に心から優しい人にしっかり見守られて、自分の再構築に励む日々が、どれほど支えになっているか知れません。
「愛充てる園」を捧げます!
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最近マリンバ奏者で作曲家の吉岡孝悦氏からプレゼントされたCDを聴きながら制作している。
氏とはかつて四ツ谷の石響(しゃっきょう)や上野の東京文化会館で音楽と絵画のコラボレーションを開催したことがある。
ステージ上に映し出された絵画に氏が作曲・演奏した曲に引き込まれ陶然となったものだが、アトリエで氏の演奏を再び聴くと、コラボレーションの場面にそのまま連れ戻され、幻想的な音色に魅了される。
リズミカルなテンポには筆の運びも刺激され、制作も異空間につれ去られたままはかどるのが妙だ。マリンバの音は胸腔に木霊し、体ごと音響の世界へと巻き込んでくれる。そこへ、鐘の音による美しい旋律は心地よい気の流れをかもしだす。
描くほど絵画の世界と吉岡氏の音楽が響き合い、氏は相当に視覚的にイメージしながら作曲しているにちがいないと思った。実際こちらのイメージも刺激され、どんどん膨らんでいく。
吉岡氏の、天才の域に達した人にしかあり得ない、厳しい鍛練から自由なリズムの世界に躍り出た軽妙な演奏の姿も浮かび、音楽家の魂と共感しながら描くという、画家にとってこれ以上はない至福を味わいながら制作に没頭できる。アトリエは、いつの間にかディオニソスの饗宴さながら高揚の渦に飲み込まれてしまっている。
ひたすら感謝!
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全体が複雑になってきて、下手をするとバランスを崩して収拾もつかなくなるところに差しかかってきました。
いちばん難しいところかもしれません。
それぞれのオブジェは存在を主張していますが、各々微妙な繋がりがあって、大きなモメントを形作っています。せっかく描いた物たちがよい調和を生み出してくれているのに、作者が壊してしまっては台無しです。
失敗すると、苦しい日々に突っ込まなければなりません。四十年のうち、何度も味わってきた苦い思いです。そこを切り抜けて、晴れがましい調和の世界へ導かれるように悪戦苦闘してきたような気がします。
が、調和の世界とは言っても、危ういバランスの上に成り立つ微妙で紙一重の不安定感を多分に孕んでいます。その狭い、わずかな解放の領域を探りながら、ここからはゆっくり前進しなければなりません。頼りになるのは、積み重ねてきた勘だけです。
ここに、これまでの失敗の積み重ねが力になります。行き詰まりに陥り易い陥穽を回避して、なんとか明るみに到達する隘路を示してくれるのも、経験と勘のみです。
さて、ここからどういうふうに導かれますか……
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「日本美術の二十年間をめぐって:パノラマ1980年~2000年:アートは態度である」
友人のマリー・パラアレド氏が、長年にわたり現代日本美術に関わった活動を書籍にまとめ出版した。
三十年余り前、新聞記者としてパリから来日した彼女の触れた日本文化への驚きが、初々しい感性を通じて語られている。
見るものすべて珍しい中で、詩人でもある彼女の心をやがて深く捕らえていったのは、「もの派」と言われる前衛美術の世界だった。単純な物質や簡潔な表現に還元する方法の中に、むしろ求めていた豊かさを発見する。
中でも林芳文氏の墨による作品に、深く傾倒していった。彼女は、墨の濃淡による簡潔を極めた表現に、西洋では見なかった、直観が無限に伸びやかに解け広がるイメージの世界を見いだした。
強く動かされた彼女は、林氏を中心にした展覧会をフランスで企画し、紹介していった。その活動を軸に、書籍は展開されている。
初来日した頃の彼女が、いかに伸び伸びと日本の空気を呼吸し、新鮮な驚きにたえず目をみはっていたか、ご記憶の方も多いと思う。魅力的な彼女の周りには、記者として出会った著名な文化人が集い、連夜気さくなパーティーが自然発生的に催され、自由な会話や議論が交わされていた。
その当時の、彼女の眼に映じた世界が書籍を貫く原点になっている。現代美術のみならず、広い人脈を通じ、西洋の若い女性が出会った日本文化への珍しさと感嘆のエピソードが、個性的で緻密な文章でちりばめられている。
例えば、ぼく自身にとっても忘れ得ぬ思い出の中で、彼女が新しい文化の出会いとして深い驚きを伴って鮮明に記憶していたのには感嘆を禁じ得なかった。
それは、彼女が友人とぼくの実家へ遊びに来たときのこと。夕食の後、床の間のある座敷へ移って、うちの母が日本画の掛け軸を恭しく木箱から取り出し、慎重にほどいて壁に掛け、客人にお見せしたことがあった。その箱から取り出す仕草や、厳かな黒髪の若い女性像が巻物から現れる緊張感、壁に掛けられた絵を皆で見つめるときの張り詰めた静けさと調和の時間は、絵の価値を評価したりするものではなくて、篤いもてなしの思いが込められた共感の時間だったと、東洋の新たな心に触れた驚きが濃やかに語られている。
このような断片が多数集められた書物は、現代美術のみならず、現代の思いがけない日本文化の側面として貴重な記憶ともなることだろう。商業主義や大衆受けとは無縁に、自らの感性の日本文化との出会いを思う存分に書き貫いた意志には、フランス人の強靭で深い叡知を感じる。フランス語に不慣れな人にも、機会があったら東洋と西洋をつなぐ貴重なこの書を、是非傍らに置いてほしいものだと思った。
この書には、物語と絵画の複合として出版したぼくの小説「孵化」の書きだし部分が、彼女の翻訳で掲載されている。現在も翻訳作業は続けられていて、やがてフランスで出版の予定です。
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一泊二日の旅でしたが、盛りだくさんだったので、四回に分けてようやく収まりそうです。
二日目は、まず太宰府と九州国立博物館へ。ここも一度訪ねてみたいところだったので、絶好の機会だった。
参道に並んだ店には独特の風情があって、思わずあちこち足を止める。喫茶店の正面も、自然の流れにまかせてふらりと入ってみたい気分にさせる。こんなカフェが近くにあったら、東京でも足しげく通うのに。
聖なる古木と水の豊かな境内は、まさに夏真っ盛りで、緑と生命の力にあふれていた。
ふと学生のころ九州を巡った旅の時を思い出した。あのときも真夏で、至る所生命感にあふれていた。
九州の夏は暑いけれど、この力強さと湿気の多い風の匂いは他のものに代え難い。展覧会の思いと旅の実感を確かめながら胸一杯呼吸する。
今回の旅は、この呼吸と風の匂いが主役にちがいない。またいつ来れるかわからない夏の九州の深い味わいと展覧会の余韻を存分に風に噛み締めた。
天満宮にお参りし、お土産にたくさんのお守りを買った。
それから歩いてすぐの九州国立博物館へ向かった。
玄界灘をイメージした建築にも前から興味があった。が、内部の空間は意外と平凡。
開催中の「よみがえる国宝」展では、古書などが多く、あまり興味がない。昔教科書などでよくお目にかかった源頼朝像の実物にお目にかかれたのが印象的だったのみ。
博多へ戻ると、街は山笠で盛り上がっていた。沿道には山笠の到着を待ち侘びる人々であふれ返っていた。ようやく花火が上がって、出発が告げられる。
遠方からどよめきが湧き起こって神輿が現れる。法被姿の子供も目立つ。熱気に包まれた男衆たちに水が浴びせられる。神輿が眼前を通り過ぎるときシャッター音と歓声が最高潮に達した。夏祭りの蒸れた空気に飲み込まれるのも久しぶりだった。
神輿の行列が終盤に差しかかったころ、花火の音とまごう雷鳴が轟いた。ポツポツ降り出した雨が土砂降りになる。
沿道の人々が散った。ぼくも川べりのカフェに逃れた。猛烈な雨になった。
通り雨かと思ったが、止む気配もない。
だが、潤いを帯びた川風は、この上なく心地よかった。ハーブの効いたドリンクも調和した。旅の思いがすべて凝縮した風になった。激しく打ち付ける雨を見ながら陶然となった。
小一時間も雨は降り続いただろうか。あの激しさからは考えられないほどぴたりと止んだ。
ちょうど早目の夕食を取って、飛行機の時間に間に合う。うまく行くときはこんなふうだ。後味もいい旅になった。
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久留米で展覧会を見た後は、やはり近くの柳川の船下りに寄らずにはいられなかった。七年ぶりのこと。夏の夕風に吹かれて、ゆったりした船の旅と期待して乗ったが、みるみるうちに空を覆い出した黒雲を見て、船頭さんが土砂降りが来るぞと言った。
「どんなに降っても船を止めるわけにいかない。ずぶ濡れを覚悟して下さい」と。
かつて西表島でスコールのような雨に打たれて、携帯から書類まで台無しになった記憶が過った。ぼくは一人、リュックの中のものをビニール袋に詰め込むのにおおわらわ。よい景色を見る余裕もないうちに船は川面を滑っていく。
「昨日も夕立で、お客さんずぶ濡れだったんですよ」
船頭さんの言葉に、ほぼ覚悟も固まった。
低い石橋や北原白秋の記念碑を通り過ぎながら船は滑っていく。
七年前はジャンボタニシが石垣にびっしり卵を生み付けていたのが印象的だったけれど、今回ほとんど見られない。駆除が進んだのかな。
船頭さんのガイドと演歌に拍手しながら船は進んでいく。川面の空気はなんとも言い難いほど心地よい。
地元出身のコトショウギクが勝ったことを知らせる花火が上がった。
運よく雨も降り出さずに船着き場に着いた。
船頭さんの案内で、一軒だけ開いていたウナギ店へ行くことができた。柳川のウナギせいろは格別!
夜は博多へ戻って、中洲を散策。川風と、サックス奏者の演奏と、屋台の人込みの声が入り交じった夏のにぎわいを堪能できた。
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偶々同じ石橋美術館で、以前から大変深い関心を抱いていた高島野十郎のほぼ代表作を全部紹介する展覧会に出会えたのは、素晴らしい幸運でした。
野十郎は久留米市出身で、里帰り展と題した総コレクションの展示を目論んだ密度の濃い展覧会でした。
緻密な筆致による「すいれんの池」や「法隆寺塔」、岩の方が動き出すほど自然の本質を見つめたという「渓谷」や、月、太陽の一連の作品、「菜の花」、どれを取っても、野十郎の手にかかると、単なる自然を越えて、その奥にある深い静寂が姿を現わします。
野十郎の持ち味を表わすほとんどの代表作に直に対面できたのは、なんという僥倖だったでしょう! この旅に、予想もしなかった大プレゼントをいただいた気分でした。
野十郎は、その精神性といい、筆致に込められた味わいの重厚さといい、ますます熱烈な理解者を得て、ゴッホやセザンヌと並び称される世界的な画家になることは間違いないと思いました。
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真夏の福岡、駆け足の訪問でしたが、偶々高島野十郎の展覧会や、熱気あふれる山笠の祭りなどとも重なって、密度の濃い旅になりました。
とても一回では書き切れそうもないので、何回かに分けて記します。
久留米市の石橋美術館は、前庭に広いバラ園がある美しい美術館でした。周りは手入れの行き届いた庭園に囲まれています。
この美術館で拙作と対面できてとても感動的でした。作品は、ギャラリーに入ってすぐの左側の展示室にありました。
競争の激しい公募展のためでしょうか、他の画家は出展規定ギリギリの大作で出品しているところへ、ぼくは変形キャンバスで小さめでした。その分部屋の奥の真ん中に展示してもらえたようです。
抽象画が多いのは、この展覧会の傾向でしょうか。その中でも、キャンバスの大きさといい、表現といい自分流を貫いたのを選んでもらえたのはよかったです。
広々とした展示室で、水鳥の遊ぶ庭園から射し込む豊かな光りも受けて作品も映えるようです。
東京からはるばる来た旅路も忘れて、いつまでもくつろいでいたい雰囲気でした。
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小説「孵化」のフランス語への翻訳が始まりました
マリー・パラ・アレド(Marie Parra-Aledo)氏の二十年に渡る日仏現代美術の交流をまとめた本に、拙作「孵化」の冒頭部分がフランス語に翻訳され紹介されました。
氏とは三十年余りに渡って「パリ東京5人のアーティスト展」、「今日の美術を考える会」はじめ、美術文化交流の仕事をしてきました。
今回、2009年に発行した絵と小説で構成した画本「孵化」が氏の目に止まり、翻訳の運びとなりました。
このたびは冒頭部分のみのご紹介となりますが、この夏以降全体の翻訳に取り掛かると、氏が強い意欲を示してくれているのが大変心強いです。詩人でもある氏のフランス語に翻訳された小説をご堪能下さい。
冒頭部分を、原本と同時に掲載します。
Éclosion, nouvelle, 2007, texte et tableau
Koyama Yûjin et Aruto,
Traduction,Marie Parra-Aledo
Je ne pensais pas souffrir autant, être mentalement à ce point
démoli, je devrais plutôt dire. Et cet état, c’était lui qui en était la
cause. Je devrais même dire exactement que toujours et de cette
même façon c’était lui qui me retournait toujours le ventre.
Il y a longtemps, au lycée, il était déjà là que l’on voyait comme
un petit génie et il était là, jetant sur moi son ombre noire. Là, à
pleurer sur ses origines sociales et sur cette énergie qu’il ressentait
accumulée en lui, de génération en génération, avec une angoisse
qui lui devenait insupportable. Ce qu’il voulait et que personne ne
soupçonnait, c’était faire bouger les gens, faire monter la pression
dans leur sang comme l’artiste fait voler son énergie dans la folie
de sa toile jusqu’à ce qu’elle se propage dans l’air. À cette époque,
mon savoir et ma curiosité n’étaient que superficiels. En définitive,
qu’étais-je pour lui, si ce n’est une connaissance qui ne tenait pas à lui.
Ce fut un délire monstrueux. Je crus vivre au coeur d’un cyclone, me
croyant pris dans le cauchemar depuis dix jours alors qu’il ne dura
peut-être pas plus de quelques heures. Je touchais le fond de la plus extrême
violence. J’essayais de m’arracher à ce cauchemar où il me semblait
percevoir quelque chose de temps en temps, lui avec une femme.
Et lorsque j’arrivai à dormir, jamais je ne fus tant tourmenté
par des rêves. Parfois, je me voyais en une fraction de seconde
me rapetisser à l’infini. Les ténèbres m’engloutissaint et je remontais
le cours des temps en tourbillonnant. Je me trouvais
alors impuissant et dans un état quasi végétatif. Cet homme
manipulait les illusions mais il avait réussi à travailler. J’aurais
dû me méfier de lui. À présent, il n’y avait rien à regretter.
Après avoir été baigné dans cette étrange et éclatante lumière, je
voulais conserver mon apparence physique. Ce n’était plus qu’une
question de temps. La fin arriverait quand le dernier de mes neurones
claquerait. Jour après jour, je vivais dans un malaise et un sentiment
de panique. Personne ne comprenait mon incapacité. Moi, ne
faisant que me lamenter et me sentir bon à rien
「孵化」、2007年、小説の抜粋と絵画
小山右人と有人
私の精神が、ここまでやられるとは思わなかった。
完膚なきまでに狂わされたと言ってもいいだろう。
それも、あの男のせいだ。彼が例の変てこな腹を炸
裂させたせい、と言った方が正確かもしれない。
なにせ、何十年に一度の秀才と、高校では皆に崇めら
れながら、一方であの男は、その眼でたえず自分の裂
け目を見詰め、ついに家系の奥底に悲嘆の叫びを聞くに
至り、代々鬱積した全エネルギーを爆発させたのだか
ら、たまったものではなかった。世の中に人の気を揺さ
ぶり、狂ったように絵を描きまくらせたりする妖気が
人の血にふいに凝縮したり、時には空気中に怪しく揺
らぎ繁殖の機会を窺っていることなど、私も含めて誰
も知る由もなかっただろう。そんなところへ、私は生
半可な知識と好奇心で近付き過ぎてしまったものだか
ら、たまったものではなかった。ひどい錯乱だった。
私には十日も嵐の中にいたように感じられたが、彼と
女が、極限に達していた悪夢の源を臓腑の奥から絞り
出そうと、激しくもつれ合う姿が時々目に入ったから、
実は数時間の出来事に過ぎなかったのかもしれない。
しかし、どんなに寝苦しい夜にも、自分が瞬時に
一兆分の一にまで縮んで闇に吸われていったり、
グルグル回転してひたすら進化の道を逆さに転落
し、ナマコのような生き物になってしまう呪縛に
苛まれる夢などを次々に見たことはなかった。
あの男は、夢の法則を越えた幻を操り、生活の糧を得る
ところにまで達していたのだから、私はもう少し用心す
べきだった。しかし、もはや後悔しても始まらない。
あの怪しい閃光の炸裂を浴びてしまった後、私はかろうじ
て外側だけは自分を保っているつもりだが、それさえ覚束
なくなるのも時間の問題だろう。そうだ、かろうじて残っ
た最後の神経線維がプツンと切れてしまったらおしまいな
のだ。あれ以来、ただでさえぐうたらな生活を送っている
私に、周りの者たちがどんな冷ややかな眼を向けることに
なるか。私は不安に脅え、もう誰も理解してくれない不甲
斐なさを嘆くばかりの日々が続いている。
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青木繁記念大賞西日本美術展に拙作が入選しました。
久々に公募展に挑戦してみました。登竜門として難関なだけに、入選の知らせを受けてとても嬉しいです。今回は、九州新幹線・久留米駅開業記念も祝して開催されるとのことで、さらに幸運に思います。
福岡県久留米市の石橋美術館にて下記のとおり開催されます。近くまでお出掛けの機会がございましたら、是非ご覧ください
2011年7月2日(土)~7月31日(日)
石橋美術館1階ギャラリー
10:00~17:00(入館は16:30まで)月曜休館*ただし7月18日(月・祝)は開館
福岡県久留米市野中町1015 TEL0942-31-8710
入場料 一般200円 高・大生100円
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彫刻家 保田春彦 生老病死 NHK日曜美術館
保田氏は元々、主に金属の屋外オブジェを作る彫刻家だった。
それが、愛妻の死や、自らの脳梗塞の発症などを契機に創造性がさらに高められ、芸術的変遷や深まりが格段に増していく闘いぶりが人生の経過とともに語られ、感銘深かった。
重大な喪失を機に、普通なら深く落ち込み創造力も萎えるかと考えがちだが、保田氏は「風立ちぬ」とむしろ奮い立ち、大きな芸術的転機さえ迎えるのです。
金属のオブジェ作家だった氏が写実の原点に立ち返り、猛烈に裸婦のデッサンを描きまくったり、闘病する自画像を描いたりします。
また、芸術家だった妻の遺作に強いインスピレーションを受け、柔らかく温もりのある木彫の家を作ったり、彫刻の劇的な変化も見られます。
それらには創造者の魂が人生の難局に直面するたびむしろ深い陰翳と優しさを帯び、濃い艶を内側から発し始めるのを見る思いです。
創造の魂を持った者は、最期の瞬間に至るまでその心を失わないどころか、老いと死に向かっての宿命的な転機の中で、さらにその魂の新たな面が目覚め磨かれていくのを身をもって示した名番組だったと思います。
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ルネ・マグリット「ピレネーの城」
マグリットの仕掛けはすでに有名だけれど、改めて並べてみると、よく考えられた仕掛けだと、興味深く見てしまいました。
とりわけ今日の主題の「ピレネーの城」が、彼が幼いころに親しんだ砕石場と結び付きがあるのではという話には引かれました。誰でも画家は、常に幼いころの思い出や印象に立ち返るのを繰り返しているのではないでしょうか。
彼の場合、それが砕石場だったというのは、新鮮でもあり、いかにもマグリットらしいと思いました。
マグリットが若き画家たちと語り合ったというブリュッセルのカフェが紹介されていましたが、様々の絵やオブジェがあふれ返った古い店内はなんとも魅力的。カフェには目がないぼくは、強く憧れてしまいました。東京にはこんなカフェはないのかな?
かつて金沢で、五木寛之氏がデビュー作の小説を書いたというカフェに行ったことがありましたが、あそこには古い噴水があったり、温もりのあるアーチ形の壁など、落ち着いた雰囲気でした。
以来無意識に似たようなのを探していますが、未だに出会っていません。どなたか、機会があったら教えて下さい。
ゴッホ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」
ゴッホが自らの腹をピストルで撃って亡くなる二週間余り前に描かれたという作品。単純な麦畑の絵などではない、そこに秘められた深い意味が読み解かれていきます。
ゴッホ自身が秘蔵する版画の中に、葬列が進む麦畑の作品があり、またキリスト教社会では麦を刈ることが死を意味することから、自らの死を仄めかし予感させるものではないかという話もありました。
小林秀雄はこの絵を前にして、これはもはや絵ではなく破壊だと言ったそうですが、やはり末期の雰囲気を感じ取ったのかもしれません。
麦の穂のざわめき、群れ飛ぶカラス、途切れた道など不穏を感じさせないものはありません。画家の最晩年の心境をじっくり見る機会となりました。
竹久夢二「黒船屋」
恋多き画家の美人画の代表作。竹久夢二の黒猫を抱いた絵はたくさん見たことがありあすが、この絵は初めてでした。期間限定で公開されるのみとのこと。素晴らしい作りの和室の床の間に飾られている絵は、それだけでも殿堂の奥深くに大切そうに蔵われている雰囲気を放っています。
恋物語と一緒に由来を語られる絵は、よく見かける氏の絵よりも確かに一段の厚みが感じられます。
ぼくの周りにも恋多き芸術家はゴロゴロいますが、残念ながら「竹久夢二」はいません。その差はどこから来るのでしょう? ちょっと考えさせられるよい機会となりました。みんなあと一歩という感じはするのだけれど、花開くまでには至っていません。芸術の甘い雰囲気(本当はそんなに甘いかな?)に酔うだけで満足しているのか、創造の孤独に耐えられず逃げているだけなのか、時代に会えず不遇の身に甘んじているのだとぼやき続けるばかりなのか……。歴史的な画家たちの物語と比べて見ると案外面白い糸口が見えてきそうな気がします。
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きょうは仕事の途中で銀座を通りましたので、駆け足で画廊をめぐりました。午後から雨もあがって幸いでした。
「アンヘル・ブスカ展」Angel Busca ギャルリーためなが:スペインリアリズムの旗手と銘打っているだけあって、さすが。壁や柱廊の粉っぽい感触の素晴らしさもさることながら、水のうるんだ感じは圧巻。
「長谷川浩子木彫展」ギャラリー77:白く不思議な滑らかさを帯びたオブジェ。木彫の柔らかさも伝わってくる。
「レオナルド・藤田の裸婦像」日動画廊:一点だけ展示されていた名品。円熟期の名作とのこと。
「ビュッフェ展」Bernard Buffet ギャラリー白石:特徴的な黒い線描が際立った小品から大作まで。
「神下雄吉(こうげゆうきち)油絵展」和光本館:オーソドックスな油絵展。熟練を感じる。小豆島の風景が懐かしかった。
「佐々木アリス展」ぎゃらりぃ朋:若々しい色彩の今後の発展が楽しみ。先日当画廊でデビューした原田圭さんと、東北芸術工科大学洋画大学院で同級生とのこと。共々ご発展をお祈りいたします。
2011年5月30日記
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花の咲き乱れる季節になりました。往診で巡る街の家々の前にもたくさんの花が咲いています。慌ただしい仕事の合間にいっとき目を楽しませてくれます。
同行する新入りの若い看護士の声も心なしか華やいで聞こえます。「暑くも寒くもなくちょうどよい季節」という挨拶が頻繁に交わされる清々しい一日でした。
ここのところ健康維持にヨガを始めて、自分の体内に広がる宇宙に耳を傾ける感覚にとても興味を引かれています。病と闘っている人の感覚ともそれはつながり、より深い共感を呼び覚ますようです。皆共に自分の身体の奥の感覚を噛み締め、必死で格闘しているのだと。
自らとの闘いも、心地よい季節の中に溶け出し、つかの間の安らぎの呼吸を与えてくれる風を感じました
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フェルメール「地理学者」とオランダ・フランドル絵画展(Bunkamura ザ・ミュージアム)
Vermer "Geographer" 2011年 渋谷
この展覧会を見たのは、大地震の直前でした。ある種の予言的なものを直感していたのを思い出し、感慨に驚きも加わりました。
画面の中には17世紀の新興国の繁栄を象徴する地球儀、地図、コンパスと定規、デルフト焼きタイルとゴブラン織りなどが緻密に描かれ、その中央に当時の知者の象徴として地理学者が描かれています。
彼は光が射す遠い海の彼方の世界に思いを馳せているようです。頭上の地球儀に、全世界の覇者の豊かさが表れています。彼の想像力は異国の地をめぐり、様々な情景を浮かび上がらせているに違いありません。
しかし、手放しで大航海時代の繁栄を謳っているようにも見えません。微かに憂いを帯びた表情には、豊かさの中に身を置いた孤独、さらには壊れ易い未来の哀しさを予感した小さな戦きさえ感じさせます。明るい光を受けた顔と胸とは対照的に、深い影に沈んだ背がそのことを物語っています。
地理学者の鋭い面立ちと眼差しが、今回の大震災の悲劇までをも見据えていたような気がしてならない今日この頃です。
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このたびの東北・関東大地震で被災されました方々に心よりお見舞い申し上げます。連日大変な光景が報道されますのを目の当たりにするにつけ、胸が痛みます。
東京の小生の部屋ですら、本、書類、棚などあらゆるものが落ちて、床に散乱しました。津波の被害になど比べれば微々たるものですが、それでも細かく整理してきたものがごちゃごちゃになり、記憶の連鎖が無秩序に混乱させられるのには困惑と絶望感を味わわされました。
元に復そうと書類や写真を整理するうち、小説の断片やら展覧会の情景が次々に現れました。それらはすでに心の奥に眠っていたのが大部分ですが、期せずして蘇ってきました。
当時真剣になって悪戦苦闘していたつもりだったものも、時を隔ててみれば、ほんの小さな穴の中で自己満足的に足掻いていただけのようにも見えてきます。少し距離を置いた視点を獲得しているのに気づかされたりもします。
結局棚を元通りに積み上げていくのは困難で、新しい自分の視点で過去の痕跡どもをコツコツと並べ代えていく作業に追われる羽目になりました。
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細密画の描き方・幻想的表現の方法
「ねじれた惑星」部分 テンペラ混合技法 10号M 小山右人作
個展でこの作品をご覧になった方は、アレッと思われるかもしれませんね。旧作への加筆を続けています。物足りないところ、特に魂を吐露する迫力に乏しい点が、日が経つごとに引っかかっていました。三面作のいわば煉獄・地獄に当たる部分は、心の叫びを最も強く訴えねばならないところであり、表現し易い場所でもあったはずです。そこで今回新たに加えた「顔」に、主にその思いを託しました。煉獄の断末魔の叫び、エロスの蠢き、追い詰められた生の酷さ、この惑星を巡るねじれた理性の果て、それらを背負って画面が叫びださなければなりません。その他のモチーフも連想的に加え、さて今の段階でどこまで届きましたか?
技術的には、次々に浮かんだモチーフの細部へ向かって細密画の技法で描き進んでいきます。私の場合、まず面相筆で地塗りをし、そこへ何重にも色彩を重ねていきます。ハッチングや点描など、デッサンの基本的な技法を筆でも行っていきます。大切なことは、先を急ごうとするあまり、細部が疎かになることは避けなければならないと、つくづく肝に銘じています
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今年も貴和皓山(きわこうざん)氏の曜変天目の名陶を見ることができて幸いでした。
いつも氏の曜変天目茶碗の中には夜空の宇宙の広がりを見てしまうのですが、今回はとくに「星愛」と展覧会のテーマにもあったように星空を強く感じました。とりわけ「皇星」と題された重厚な青の茶碗の内側には、実際の星空を眺めているような星の瞬きと、さらにその奥に広がる深遠な宇宙を感じ引き込まれてしまいました。ゴッホの絵の星空をふと連想もしましたが、もっと質感の異なる深みを覚えます。貴和氏が曜変天目の原点である中国の大地から見上げた大空への感動が実現しているものだと感じました
貴和皓山(きわこうざん)作陶展
平成23年1月26日~2月1日
松屋銀座 7階画廊
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夢のイストワール展も無事に終了しました。品川区大崎のO美術館で開催されたこのグループ展は、松岩氏はじめ主催者のご努力で、見ごたえのあるとても興味深い展示となりました。まず率直なところ、個性の強い作家の作品をよくこれだけ並べられたなと感心しました。主催者の人徳と細心の心遣いがなければ、とてもこれだけのものは実現できなかったでしょう。予想以上の出来ばえに感激した次第です。
会場ではマリンバ演奏の第一人者、吉岡孝悦氏による絵画と音楽のコラボレーションも行われました。小生の拙作「ねじれた惑星」にも作曲演奏下さり、とても充実したひとときとなりました。スライドに映し出された拙作は、伊藤和紀氏の巧みな画像処理によりダイナミックに動き出し、そこに吉岡氏の渦巻くような音色とテンポの演奏が流れて、不思議な臨場感がかもし出されました。私は張り詰めた気持ちですっかりその雰囲気に呑まれ、音色の記憶も残らないうちに、たちまち時間が過ぎてしまいました
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「ねじれた惑星」中央部分 小山右人作 Yujin Koyama
先にご案内した「夢のイストワール展」にて、再び音楽とのコラボレーションが実現します。(1月23日・日曜日16:00~17:00・大崎のO入場無料)
マリンバ奏者の吉岡孝悦氏が、私の拙作「ねじれた惑星」について作曲して演奏して下さいます。優れたインスピレーションの持ち主であり、作曲家かつマリンバ奏者として第一人者の氏による演奏がどんな風になるかとても楽しみです。なおかつ入場無料で、とてもよいチャンスだと思います。どうぞ奮ってご来場下さい!
なお展覧会は下記のように開催されます
「夢のイストワール」展(入館無料)
2011年1月21日(金)~26日(水)
10:00~18:30(初日は14時開館。最終日は16時閉館)
O美術館(品川区大崎1-6-2大崎ニューシティー2号館2階)
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準備に慌しかった個展も無事終了して、解放感に浸っていられる今が、いちばん想像力豊かに過ごせる時期かもしれません。長い時間アトリエで一緒に過ごした作品が手元から旅立っていったのは寂しいですが、それらを埋め合わせるように、次の展覧会に向けてキャンバスの下地を作ったり、スケッチをしたりするうち、構想が無数に浮かぶ充実した時間に浸っていられます。
東京の街がひと際幻想的な輝きを帯びるこの季節、何よりも散歩が心の滋養を与えてくれます。年末の代官山、表参道辺りを歩くと、まるで異国の幾何学的な空間に紛れ込んだような錯覚を一瞬覚えます。イルミネーションの渦に誘われて、どこまでも迷路の奥深く導かれてゆきたい、そんな心地にさせられる引き締まった空気の中の散歩を愛します。
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お陰様で個展を無事に終了することができました。夏ばての影響で、すべての準備が後手後手に回った展覧会でしたが、画廊のご主人はじめ、コレクターや友人の皆様に温かい励ましをいただいて乗り切ることができました。
不景気にもかかわらず、バタバタという感じで次々に拙作をお求めいただいて、興奮すら覚えました。何よりも次へつなげる支えとなりました。誠にありがとうございました。
浮世から切り離された銀座の一隅の静かな画廊で、会期中ご来場いただいた方々とじっくりお話できて、新しい自分の発見や、次への閃きをどれほどいただいたか知れません。
次回の展覧会ですが、来年の1月、大崎のO美術館にて、「夢のイストワール」展に参加します。今回の中心作「ねじれた惑星」を出品いいたしますので、見逃された方は是非ご覧下さい
「夢のイストワール」展
2011年1月21日(金)~26日(水)
10:00~18:30(初日は14時開館。最終日は16時閉館)
O美術館(品川区大崎1-6-2大崎ニューシティー2号館2階)
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ブログを更新する暇もないまま日にちがあっという間に過ぎ、個展も残すところ三日となりました。
毎日刺激的な出会いとか、次につながる熱いお誘いを受けて、大変嬉しく、充実した時間を感じています。
拙作に対する興味深いご意見ご感想もいただいて、とても勉強になっています。ささやかな個展ですけれど、見る人はしっかり見ているのだなと実感させられます。
深いご理解をいただいている熱心なコレクター様にも感謝感激です。今回もわざわざオーストラリアからお越しいただいてお求めになられたのには、どれほど報われた思いがしたか知れません。大いに励みとして今後も頑張ってゆきたいと思います。皆様、本当にありがとうございました!
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第三十三回日本精神病理・精神療法学会(花村誠一会長)のポスターに、拙作「スフィンクスの苦闘」を御採用いただきました。これは以前にもお伝えしましたが、実際のポスターと、学会会場での様子です。
謎深い多面の顔を持つスフィンクスが、今回の精神病理のシンポジウムでのキーワードにもなったということで、タイムリーなテーマの作品だったと、花村先生から熱いメッセージをいただいてました。
この絵画は、小説の拙作「ネペンテス」の主人公、スフィンクス兄貴をイメージしてかつて描いたものです。多面の人格と好奇心を持つ不思議な兄貴とのネペンテスの領域に籠った兄弟が繰り広げる様々な人間的実験と冒険の物語です。
(スフィンクスの苦闘:原画:テンペラ技法:F4号キャンバス)
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この夏の酷暑には、さすがに狭いアトリエでは能率ががた落ちです。ブログの更新が遅れましたこおともお詫びいたします。
さて、十一月の個展に向けた中心作の中央部分もようやくほぼまとまりました。時間があれば、三面の連作になる予定です。
この幻想絵画も、同時に少しずつ書いている小説の物語性を反映しています。想像力豊かな芸術家が、魔術的な想像によって、内面の惑星を探索しながら自らの完成しそうにもない大きな建築を構想していく過程での物語、というのが大雑把なところでしょうか。小説には、もっと時間がかかりそうです。
小山右人絵画個展
2010年11月25日から12月4日(会期中無休)、ユージンブルーの世界をお楽しみ下さい。
ぎゃらりぃ朋・・・東京都中央区銀座1-5-1第三太陽ビル2階
電話03-3567-7577
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毎年今頃の季節、仕事で長野方面に出掛けたついでに小布施の葛飾北斎の作品を訪ねるのが恒例のようになりました。今年も北斎詣でのチャンスが訪れました。
思い立って出掛けたところ、朝の山手線の猛烈なラッシュの中で、偶然、画家の松岩邦男さんにお会いしました。相変わらず制作と展覧会の企画に励んでおられる様子。さっそくグループ展へのお誘いをいただきました。これも、北斎のご利益でしょうか?
小布施では「北斎館」と鳳凰の天井画で有名な寺、岩松院(がんしょういん)を主に訪れました。北斎の激しく情熱的な画狂老人魂と、一方にある精緻な観察眼と細密描法にはあらためて感激しました。
今回特に惹かれたのは、「富士越龍」(絹本一幅)でした。実際の作品は、めったには展示されないそうですが、北斎を紹介するヴィデオの中で、その最晩年の深い思いがこもった一点の作品には胸打たれました。九十の臨終の床で、あと十年生きられればりっぱな画工になれたのに、せめて五年だけでもと北斎は悔やんだそうですが、その思いが富士を越えて昇り続ける龍として象徴的に描かれています。息絶えた後も、その思いは重厚な雲に包まれた龍となって、いつまでも高い天を目差しているようです。
岩に染み入る蝉の声を聞きつつ、壮大な鳳凰の天井画をもまた拝むことが出来て幸いでした
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いつか一度行ってみたいと思っていた平泉の中尊寺を訪れる機会がありました。
駅前にはレンタルサイクル店があり、半日かけて回るにはちょうどよいコースとのことでした。なるほど市中の要所要所に由緒あるお堂や松尾芭蕉の句碑、北上川が一望の下に望める高台などがあり、瑞々しい風を一杯に感じながらサイクリングと名所巡りを楽しむことが出来ました。
義経が果てた場所として祭ってある高館義経堂の傍らには、「夏草や 兵どもが 夢の跡」の芭蕉の句碑があります。北上川を眺めながらそこに立つと、義経や芭蕉の息遣いが蘇ってくるようで、不思議な感興に引き入れられます。
一番のお目当ての金色堂は圧巻でした。金色に輝く阿弥陀三尊、地蔵菩薩などの荘厳な素晴らしさには思わず息を飲んで立ち止まってしまいます。しばらく真正面から拝むことが出来たのは大変幸運でした。
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今年の三月から四月にかけて、フランスのヴェゾンとリヨンで開かれた「今日の美術を考える」展の写真が届きました。まず展覧会を主催したMarie Parra-Aledo氏に、このような充実した機会を与えてくださったことと、細部にまで大変に感動的なお心遣いをいただいたことに、深い感謝の気持ちをお送りしたいと思います。
日仏の文化交流を主体にしたこの企画展には、多くの人が訪れ、新聞雑誌などにもたくさんの記事で取り上げられました。フランス人の日本文化、芸術への関心の深さを改めて知らされました。
もう三十年ほど前、Marie氏とは東京で、若さの勢いにまかせていくつかの企画展を開いたことがあります。そのときは東京で一緒に仕事ができたのでスムーズでしたが、日仏と距離を置いての今回の仕事には、作品の搬送やカタログの校正など様々の点で不安がありました。しかし、インターネットなど手段の発達や彼女の並々ならぬ熱意のお陰で、遠い距離もものともせず乗り越えることができました。
彼女の仕事にかける情熱と繊細な気配りを感じながら、知り合った当初、「フランス人のエスプリについて端的に教えて欲しい」と、性急に訊ねたときのことを思い出しました。「お付き合いの中で、そのうちわかってくるから」と、さりげなく彼女が交わしたのが印象的でした。彼女がたくさんの困難を乗り越えながら、日仏の文化交流にライフワークを賭けている姿勢に触れるたび、そのときの答えを身をもって知らされてきたような気がしていました。とりわけ今回、その強い情熱と信念に触れることができたように感じました。最近思いに耽る時間があるたび、彼女に垣間見たフランス人魂はどこに由来し、どんなものなのだろうかと想像を無限に膨らませています
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三年前に個展を開催した台東区池之端の伝統的日本家屋「GALLERY藍染」で、演劇の公演があるとご案内いただき、行ってきました。
日曜日の夕刻、少し早めに到着したので、公演に先立って池之端界隈をのんびり散歩してみました。宵闇に沈んだ古い家屋の間に、民家を改造したカフェやレストランが明かりを点してなかなか風情のある街並みを作り出しています。京都の町屋を歩いているときの感じにも似ているなと、ふと思いました。趣のあるレストランで、一夜ゆっくりと食事ができたら、さぞ楽しいことでしょう。
さて公演が始まるときの、ぼんやり明かりを点した入り口の門の情景です。和服姿の女性が受付に佇み、由緒ある家屋の舞台の雰囲気に早くも引き入れられます。
ギャラリーはカフェにもなっていて、その場がそのままステージになります。観客が座れるのはせいぜい三十席ですが、当日の立ち見の観客も含めてぎっしりの盛況振りでした。
ほのかな照明に陰翳のグラデーションが奥深く描かれた空間でドラマが始まりました。
歴史を刻んだ家屋を守ろうとする家族や建築家、思い出の人々がカフェを訪れ、人間模様を描き出していきます。実際の家屋やギャラリーのご主人との人生とも少しずつ重なり合いながら、リアリティーのある展開が進行していきます。個展を開催した時の情景や思い出が、ドラマに刺激されてたくさんあふれ出てきて、観劇しながら同時に深い思いにもいつのまにか耽っていました。
日曜日のいっとき、伝統の時間と、個展の記憶と、演劇のドラマとが重なり合う、密度濃い時空間の至福の内に過ごすことが出来ました
「humming4」ポカリン記憶舎cafe公演:2010.5.27~6.2
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今年の誕生日にもらったサハラ砂漠の砂時計、気に入っています。早朝にコーヒーを飲みながら、書斎の机で砂が落ちていくのを眺めていると、砂漠の中で砂音を聞いているような気分になります。やや赤みを帯びたキラキラ光る粒を含んだ砂。
落ちる砂が下の方に少したまって、それからまとまって崩れる様は、砂漠の小山が崩れるのを彷彿させます。小さなガラスの容器の中で、思いがけず広大な想像の世界が広がって、いつまで見ていても飽きません
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十一月の個展を目指して、進展中の中心作の部分です。小説と同時に描き進めているこの三面作の部分は、どのように発展していくのでしょう? 作者自身にも、日々新しい情景の閃きや、あふれ出る物語の展開をどう収めていくか、良い緊張に心躍らせています。
この部分をご覧になって、どのような展開を想像されますか?
小山右人絵画個展
今年の11月25日から12月4日(会期中無休)、幻想絵画の個展を開きます。
ぎゃらりぃ朋・・・東京都中央区銀座1-5-1第三太陽ビル2階
今から気が早いと思われるかもしれませんが、私にはもう明日にも迫っているようにも感じられます。
是非頭の片隅にでもご記憶いただいてご来場賜れれば、大変幸いに存じます。
絵と小説をなぜ書くのか? 小説自体と絵で表した画本の初版本も展示します。是非お読みになりたい方には会場にて差し上げますので、積極的におっしゃっていただきたいと存じます。
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東京都内はきょうは爽やかでした。早朝の散歩と仕事で歩くのも快適でした。万歩計の歩数も一万一千歩を越えました。けれども久々の陽気のせいか、特に疲れも感じませんでした。
小山右人絵画個展
今年の11月25日から12月4日(会期中無休)、幻想絵画の個展を開きます。
ぎゃらりぃ朋・・・東京都中央区銀座1-5-1第三太陽ビル2階
今から気が早いと思われるかもしれませんが、私にはもう明日にも迫っているようにも感じられます。
是非頭の片隅にでもご記憶いただいてご来場賜れれば、大変幸いに存じます。
絵と小説をなぜ書くのか? 小説自体と絵で表した画本の初版本も展示します。是非お読みになりたい方には会場にて差し上げますので、積極的におっしゃっていただきたいと存じます。
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最近、一線で活躍する建築デザイナーたちの展覧会で、心に残る名著を三作ほどあげて陳列する企画がありました。何気なく眺めていると、複数の人が同時に推薦している著作がいくつかあるのに興味を覚えました。
谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」と並んで、九鬼周造の「いき」の構造がありました。建築デザインに携わる人が最も推す本としてなるほどなと思いました。
寒暖の差の激しい今日この頃、久しぶりに暖かな休日に、この名著に読みふけるいっときを過ごすことが出来ました。
「いき」というのは、日本人ならば誰でもおおよその雰囲気は思い描くことが出来ると思います。九鬼はまず、この「いき」という言葉に含まれる意味が、きわめて日本固有のものであることを、仏英独語などと対比して、言語的に示してみせます。その言語学的に明晰な分析には引き込まれます。この書が、フランスにて執筆されたとのことで、合点がいくところがありました。異国の地だからこそ、これだけ明瞭に日本語にしかない意味を外国語から際立たせることが可能だったのかもしれません。それは最近一世を風靡した言語学のはしりのような感じもして、慧眼の学者の予感を読むような気もしました。それから多分に現象学的な発想や生の哲学に基づいた考察も感じられ、現代に通じる多くの萌芽が含まれているところが読み継がれる名著の所以なのかもしれません。
それでは「いき」が内包する意味はどうかというと、九鬼は「媚態」と「意気地」と「諦め」という大きな三点をあげて、展開していきます。このつながりと展開の鋭さは独創的で、その着眼点の興味深さがこの名著の変わらぬ魅力なのかもしれません。特に言語学的、哲学的な冷徹な分析と、艶のある文学的境地や、江戸文化の中で広く深く育まれた日本固有の繊細な感覚を徹底的に結び付けてみせたところに最も大きな成果があったのだと思いました。
「人間」が住まう家をデザインする人の多くがこの書に惹かれるのも、その辺にあるのではないでしょうか。
書の最後に、九鬼自身の言葉で、「いき」についてまとめたところがあります。やや難解ですが引用しておきます。
運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向かって悩ましい憧憬を抱く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。
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今年の東京の桜は、美しかったですね。存分に花見を楽しまれた方も多いと思います。毎週北国と往復している小生にとっては、まだまだ桜の季節真っ只中です。
さて、フランスでの展覧会の続報を、マリー氏からご連絡いただきました。Vaison la Romaine という小さな都市の美術館のオープニング集まった人が、180人とのこと。これは、小さなグループ展としては驚異的なことです。展覧会の美しさと評判のよさを伝える彼女のメールも、息が弾んでいるようにも見えました。彼女が幾多の困難をも乗り越え、日本とフランス文化の橋渡しをしようと強い意志を貫いたことは多くの人が知るところです。大変に評価の厳しいフランス人も、彼女の人柄と意志に打たれて、遠方からでも足を運んだにちがいありません。まずはマリー氏の健闘に尊敬の拍手を送りたいと思います。
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何か仰々しいタイトルですが、今、中心作をこんな感じで描いています。物語が物語を呼んで、引き込まれて描いています。季節も桜満開のころとなり、粉絵の具にとっては大敵のエアコンも不要の時期とあって、作業もはかどります。物語の全容はまだ画面には読み取れませんが、今年の十一月の個展のときにはお見せしたいと存じます。その時に胸躍らせ、またプレッシャーにも感じつつ描いています。どうぞお楽しみに!
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幻想物語絵画も、少しずつ進展しています。まずはアクリルとテンペラを合わせた下地作りをしっかりしておくと、その後の作業が安定します。私の場合、何度も削ったり磨いたりして堅固な下地を作ります。下地作りだけで三ヶ月以上かかることも珍しくありません(怠けているだけかもしれませんが)。その上へ、自分の中で広がる物語の登場人物やオブジェを次々に描いていきます。面相筆でデッサンのタッチでも、点描でもかまいません。細密描画法の基本です。そうして丹念に描いていると不思議なもので、また自然に想像力が刺激されて、画面の物語が展開していきます。手の動きによる喚起作用でしょうか? 幻想絵画の描き方は、いかにこの閃きを画面に生かすかにかかっています。できるだけ人物、動物、オブジェが物語的に関わるように描いていくと、画面全体がダイナミックに動き出すのが妙です。それは小説の執筆とも大いに重なるところが多く、両方の世界がリンクすると、頭の中がさながら劇場のようになって、制作も盛り上がります。この作品も、小説と一緒に描き進めているところです。
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ムンクの「叫び」・美の巨人たち放送
あまりにも有名な作品ですが、画家の心の軌跡とともに見ると、改めて深く引き込まれるものを感じます。
幼くして母を結核で失い、その後も家族が次々と心身の病に冒されて亡くなっていく嵐が画家の心の底で吹き荒れていました。底知れない不安の中で、画家はついに血のように染まった空の中に、世界を果てしなく貫く叫びを聞くに至ります。自らの血の中に巣食った狂気と死への不安に、画家はどれほど脅えおののいていたことか。その不安の極まりを、象徴的にこの作品に見る思いです。
このどん底の「叫び」を巡って、画家の一連の愛と苦悩の深い作品が無数に描かれています。報われない人妻との愛と嫉妬の苦悩を赤裸々に告白する作品群には、人間を直視しようとした画家の主題と表現への強い意志が感じられます。
生涯結婚しなかった画家が「自分の子供たち」と呼んだ無数の作品を、どう並べて展示するかこだわり続けたというのには興味深いものを感じます。一枚ずつの断片に区切られた人生ではなく、主題ごとの思い出を並べることによって、一つの音が貫き始め、交響曲のような壮大な物語が生まれることを画家が強く自覚していた表れです。そのことによってのみ自分の人生が意味を持ち、狂気と死への強い不安から救われることを画家が知悉していたことをも見る思いがしました。
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物語
今年(2010年11月)の個展の中心作の細部に悪戦苦闘中です。幻想的な物語を一方で構想しながら、平行して描き進めています。絵もなかなか進みませんが、それでも小説よりははるかに早く仕上がることになるでしょう。
今、描いているところは、ちょうど物語がダイナミックに動き始める画面の境界部です。二つの世界がせめぎ合い、ぶつかり合って、動き出そうとしています。
いったいどんな物語になるか、想像がつきますか? 何やら大瀑布の中を、人影がもつれて転落しているようではありませんか? しかし、これだけでは物語の全容はむりですよね。全体像が浮かび上がるまで、もうしばらくお待ち下さい!
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「海の沈黙」ヴェルコール原作:ジャン=ピエール・メルヴィル監督を見て(岩波ホール)
グローバリゼーションの世の中ですね。フランスに向け発送した絵画作品が、わずか三日で届いたと報せが入りました。Marie Parra-Aledo氏も張り切って、このインターネットの便利な世の中、展覧会の様子を動画で発信してくれるとのことです。
さて、世界の短編小説の中でいちばん好きなものは何? と訊かれて、ヴェルコールの「海の沈黙」と答える人も多いのではないでしょうか。私も、五本指に入る作品として常に頭の中にあります。
第二次世界大戦中、ナチス占領下のフランスの小さな村の家に、将校が逗留するためにやってきます。もちろん招かれてではなく、占領者として威圧的に。しかし若い将校は礼儀正しく、フランスを深く愛しており、家の主とその姪に対して畏敬の態度で接しようとします。それに対し、フランス人家族は沈黙で応えます。
ドイツ人将校は、夜の決まった時間に沈黙した家族の居間に降りてきて、少しずつ熱い胸の内を語りだします。彼は、フランスの魂、特に芸術、文学へどれほど深い敬愛の念を抱き憧れてきたか、熱っぽく語ります。そして戦争は望むものではなく、理想への途上なのだと、その葛藤を夢へ向けて解消しようとする切ない思いも弁じたてます。
彼が熱く語るほど、フランス人家族の沈黙は深く頑なになるようでもあり、敵ながらこの将校にはフランスの魂に届く思いがあると、心開きかけるかのようにも揺れ動きます。その微妙なあやが、小説でも映画でも実に繊細に表現されています。短い作品の中でも、この制圧と抵抗との力関係の中で、人間の計り知れないほどの深く微妙な心模様が描き出されているところが、人の心を深く打つのではないでしょうか
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発送準備
フランスでの展覧会に向け、絵画作品の発送準備です。
国内での展覧会と比べて、作品の搬送がやはりいちばん大変ですね。パリ個展のときは、キャンバスを巻いて送って、現地で張り直しました。土地勘のない場所で、これは短時日の間に、綱渡り作業でした。
今回は、テンペラ画で、キャンバスを巻くわけにはいきません。三面作で、つなげると大きくなってしまいますので、三つに分けて運びます。すると55センチ×70センチくらいの荷物になって、EMSという速達便で一週間くらいで運べることがわかりました。料金は7~8千円かかるようです。でも、以前に比べてずいぶん便利になったものだと思いました。
額装は、もちろんあきらめなければなりません。日本の場合、個展を開くとなると、多くの画家は額にこだわります。絵より額の方がはるかにりっぱだと、冗談みたいな個展も少なくありません。コレクターにも額装にこだわる人がけっこういて、それは習慣的に仕方がないのかもしれません。
しかし、幸いにもフランスではさほど額にはこだわりません。中身が勝負というのはさすがですね。当然といえば当然ですが。
そこで、今回はキャンバス枠に着彩して送ることにしました。絵の具が乾き次第荷造りを始めます。現地に趣くことが出来ないのが残念ですが、オープニングセレモニーや、文化交流のディスカッションの様子が、目に浮かんで離れません
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フランスでの展覧会に参加します:「今日の美術を考える会」展 penser L'ART aujourd'hui
友人のMarie Parra-Aledo氏主催の展覧会が、まもなくフランスのVaison la romaineという町の「La Ferme des Arts」ギャラリーで始まります。(3月末)
Marie Parra-Aledo氏が生涯をかけた日本文化についての研究とフランス文化との交流の一つの大きな結実といってもいいと思います。その素晴らしいカタログの写真が届きました。細部まで念入りに構成され、文中の日本文化のキーワードについても親切に解説してあるきめの細かさです。Marie Parra-Aledo氏の深い思いと情熱が伝わってきます。
私も、「美術研究と伝統 recherche plastique et tradition」という、遠野を旅して感じた日本文化の伝統への思いを基礎に書いた一文と絵画と小説の二重奏「孵化」で参加することとなりました。
この記事では、カタログの雰囲気をほんの一部しかご紹介できませんが、展覧会開催に向けて準備やら様々考えたことについて順次書いていきたいと思います
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セシル・バルモンド:自然の要素から幻想的な現代建築を生み出す構造デザイナー:伊東豊雄などの建築家とのプロジェクト(オペラシティーアートギャラリー:2010・1・16~3・22)
ふだん何気なく接している自然への感動を要素に還元し、そこから新たな構造デザインを進めていくセシル・バルモンドの創造過程が、展示場を歩くうちに展開されていく趣向になっています。
「エレメントは自然の世界を表す言葉である。同時に私たちの知的創造世界を表す言葉でもある」
イントロダクションにもあるように、風景、植物、雪、人体、すべてから要素を引き出し、そこから柔軟に構造デザインしていった建築には、不思議と自然に相対したときのような感動を覚えました。感動のエレメントが抽出されている分だけ、むしろ純粋な高まりを感じるのも妙でした。
セシル・バルモンドが実際にたずさわった世界各地の建築が会場の最後のスペースに展示されていますが、それらの珍しい動植物か有機体のような建築を眺めたり、その中で憩ってみたいものだと、大いに惹き付けられました。建築や構造デザインを志すと思われる若者たちが、それらに食い入るように見入っているのが印象的でした。きっと彼等にはインパクトの強い展覧会だったと思います。
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銀座を歩けば名展に出会う
銀座はさすがに情報と文化の中心地、歩いているだけでまず、バンクーバーオリンピックで、スケート500メートルで長島が銀、加藤が銅の号外です。
エルメス(HERMES)のギャラリー(メゾンエルメス8階フォーラム)に初めて入ってみました。小谷元彦の真っ白な生命体のような、あるいは海藻、人体の一部を思わせるようなオブジェが絡まり合って浮遊している感じ。・・・高級ブランド店のビルの広い空間が、海底か水槽の中に変わったような不思議な浮遊感をかもしだしています。ブランドの強いイメージから、ふっと息抜きするのに面白い空間を見つけました。
Yves Decoste展(養清堂画廊):とても繊細で宇宙的、ファンタスティックなイメージの写真に着彩の作品展。カナダ出身の作家は、シルク・ド・ソレイユにも出演中の方とか。敏捷そうな体格で、とてもきめ細かそうな感性がよくにじんだお人柄で、世界各地を巡ってとった写真のお話を楽しくして下さいました。どこからこんな独特なイメージが湧いてくるのか不思議でしたが、お話を聞くうちに徐々に感覚的に伝わってきました。やはり並外れた運動神経の持ち主にしか描けない、体感の幻想画とでもいいましょうか、一歩むこうへ突き抜けたイメージがあります。
チェン ジャン ホン(Chen Jiang Hong 陳江洪)展(ギャルリー ためなが):中国、フランスなど国際的に活躍する画家。東洋的な墨と西洋的なアブストラクトの特徴を併せ持った伸び伸びした画面は魅力的です。蓮や竹の東洋的象徴を、これほどの際どいバランスと自由闊達さで描いた作品にお目にかかったのは初めてです。きっと多くの日本の画家にも影響を及ぼすことでしょう。
土門拳「女人高野室生寺」展(ノエビア 銀座本社ビルギャラリー):土門拳が愛してやまなかった室生寺のたたずまい、石畳、そして何よりも木彫の人物像の物悲しく疎ましそうな表情が見事に写し出されています。
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バンクーバー冬季オリンピックが開幕して、連日滑った転んだで、ため息やら歓声やらはらはらの日々となりましたね。
注目のジャンプ、スイスのアマン選手は、予想と期待どおり金メダルを獲得しました。一糸乱れぬフォームで、本番でも実力を出し切る姿には素晴らしい感動を覚えます。
この激しいプレッシャーの中で、実力以上の力さえ発揮できる人間はどうなっているのか?
このような人には尊敬を覚えると同時に、その秘密を知って、少し力を分け与えてほしいものだと思うものです。
人生の中では稀な偶然もあるもので、仕事の関係で、かつての冬季オリンピックでのメダリストと、しばらくご一緒する機会がありました。彼とは二人で、弥次喜多道中のように島原半島や小豆島を巡ったりしました。美しい海を眺めながら、かつての名選手と忘れ難い出張旅行となりました。
その道中、オリンピックのような大きな試合で勝利する最も大切で根本的なコツについて、彼から直接訊くことができました。
彼いわく、勝利の栄光の情景を視覚的にイメージし続けること、これにつきるのだそうです。彼は、表彰台の上に立つ晴れがましい自分の姿を眼に焼き付け続けたそうです。
稀なチャンスに聞くことができたとても貴重な教訓として、今でも懐かしさとともに思い出し、かつ折に触れて実践しています。
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カナダ、バンクーバーでの冬季オリンピックが始まりましたね。さっそく上村愛子選手は、四位と惜しかったです。
スキージャンプのエース、アマン選手の飛距離の秘密について精密に追った最近のNHK番組には興味深いものがありました。不利なはずの小さな体でだれよりも遠く、速く飛べるのは、卓越したバランス感覚に因るのだと。・・・アマン自身も、飛んでいるときに鳥になったような恍惚を体験しているそうですが、我々も、仕事の中で日常を越えていくこの感覚を体験したり追求したりしているのではないかと、ふと考えたりしました。
長谷川等伯の没後四百年特別展が、まもなく東京国立博物館で催されます。桃山時代に生きたこの巨匠のこれだけの展覧会が催されるのは珍しいとのこと。「花鳥図屏風」「烏鷺図屏風」「仏涅槃図」など楽しみです。
作家の立松和平氏が、急逝されたのは驚きでした。氏の自然と密着したリアリティーのある文体には引かれてきました。吉野熊野地方に足しげく通って、小説を書き上げようとしているという話を以前読んで、いつか氏の文章をじっくり堪能しようと思っていました。氏の着実な文体でなければ、吉野熊野の奥深い自然と人間は描けないだろうという思いがありました。・・・突然の訃報に、各誌のコメントも戸惑っている感があります。くしくもアントニオ・タブッキの小説「供述によるとペレイラは・・・」は、まさに作家の急逝に臨んで慌てて記事を書かないために四苦八苦する編集長の哀れな人物像が物語の核となっていますが、そんな状況を彷彿させるような驚きだったと思います。心よりご冥福をお祈り致します。
多田祐子展(Gallery Concept 21)多くの実績を重ね、ウィーン市の芸術名誉市民にも選ばれた氏の深みのある抽象画にふれてみたい。
人気文芸ランキング(1月19日トーハン):1「花世の立春・御宿かわせみ」平岩弓江、2「親鸞」五木寛之、3「新参者」東野圭吾・・・ランキングは世相を感じるのに興味深いです。
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三島由紀夫近代能楽集「葵上(あおいのうえ)」「卒塔婆小町(そとばこまち)」美輪明宏(みわあきひろ)演出主演(4月から5月にかけてルテアトル銀座にて):名演劇との出会い
「卒塔婆小町」は、ずいぶん昔にやはり美輪明宏主演で見たことを覚えています。印象的なステージでした。美輪氏自身も年配になり、主演の老女役にも円熟味とさらに実感にちかいリアリティーが増した公演になることでしょう。相手の詩人は、三島由紀夫自身を象徴していることは容易に読み取れます。すでに他界した氏が、異界から現れて美輪氏と演じるような、シナリオの中にある時空間を越えた逢い引きがそのまま現実となるような多相の興味深さも増すことと思います。輪廻転生の思いが、ステージ上に実現する公演ともなるわけです。
なんと言っても、詩人が老女に向かって「小町、君は美しい。世界中でいちばん美しい」と言って命を落とすクライマックスのセリフが決まるかどうかがみどころです。その印象深さは、いつまでも心に残ることでしょう。
「葵上」は、昏睡に陥った妻の病室に女の生き霊が現れて夫との恋の怨念を晴らしていく筋立てですが、精神分析によるリビドーの解放などとあからさまな言葉が出てきて、まず興味を引き付けられます。その伝からいくと、妻の昏睡というのも、もしかしたら極度の欲求不満による発作的なものという、精神的にポテンシャルの高い強度な昏迷であることが暗示されます。そして枕元での女の生き霊による露骨な夫に対する誘惑の言葉に、妻は夢の中で悶えます。湖上のヨットと化した病室の中で、生き霊の愛のささやきは妻を無視して続けられます。夫がついに現実と幻の間で錯乱に陥ったとき、女の生き霊による復讐は遂げられる・・・
こうしてみると、二つとも夢と現の世界を往還する、まさに夢幻能の世界を堪能できる構成になっています。そこに彼岸からの三島氏のメッセージがいよいよ時を経て濃さを増して感じられてくるのも、今回の公演の興味深い点だと思います。
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日本精神病理・精神療法学会のポスター、イメージ画像に拙作の幻想画「スフィンクスの苦闘」をご採用いただきました。
今年の第33回日本精神病理・精神療法学会に、拙作「スフィンクスの苦闘」(テンペラ混合技法 F4号)をポスターの絵画としてご採用下さったと、会長の花村誠一先生からご連絡いただきました。エディプスコンプレックスの問題について、スフィンクスとエディプスの神話的葛藤とも絡んだ演題があり、タイムリーなテーマの作品でもあったとのことです。先生は、拙作の人物像、スフィンクスが、ゆるやかに舞い上がる気配を感じられたのこと、柔らかなテンペラ地に議論の深まりの空まで予感していただいたことが、何より感激でした。
先生には、先日の書き下ろし短編小説「孵化」につきましても、小生の創造性に込めた意図まで、さっそく深く踏み込んで高くご評価いただき、さすがの慧眼に敬服いたしております。
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「黒蜥蜴(くろとかげ)」三島由紀夫の演劇を初めて見たときの日記をみつけました。(昨日の記事に関連して探してみました)
昭和44年10月23日木曜日、小生まさに二十歳のときでした。今から読むと、全く他人の青年の日記を盗み見るような興味と新鮮さも覚えます。不器用に、それでもけっこう一生懸命に考えようとしていたんだという気にもさせられます。今に至る芽がこのころ既にあったのだという発見もあります。ともかくその一部を引用してみます。
「三島由紀夫のあの「黒トカゲ」。黒トカゲと明智探偵との悲痛で皮肉で、最も烈しい恋、犯罪者とそれを追う探偵との大きな賭け、全生命をかけた大きな賭け、心の奥底、心の芯から揺らすような大きな賭け、それが二人の心を完全に一つにしていた。彼らは追うもの追われるもの。心の中では二人の考えは全く共鳴し、激しく鳴り響き、完全に一体となっていた。激しく愛し合っていても、お互い愛を告白し妥協することはすでに、自分自身の破滅を意味していた。その苦痛のはてに黒トカゲが明智を殺そうとする。その行動自体黒トカゲにとって自分自身を最も楽にする方法であり、愛の苦しみから逃避したことなのだ。愛は苦しくせつない。ある意味で、愛に完全に身をまかせることは自分の破滅を意味するのだ。愛していても、それが正当に受け止められなければ、この世にいながら、すでに地獄の苦しみを味わう。黒トカゲの場合もまさにそうだった。彼女が明智を愛していても、その愛を正当に明智にとらえてもらうことはできない。彼女はその極限を知って苦しみ、その苦しみ故にますます彼に対する恋は募った。それはもはや苦しみの終点つまり地獄だった。彼女にとって残された道は、明智を殺すこと、それしかなかった。しかし彼女は明智を殺すつもりだったが、彼のからくりで、彼はうまく逃げて変装し相変わらず彼女のそばにいた。最後に彼女が明智の生きているのを知ったとき、彼女はもう、自分を破滅に導く以外手はなかった。明智は、彼女が自分を愛しているのを知っていた。そして二人は愛し合っていた。しかし、二人の間には、法律という大きな壁が立ちはだかっていた。黒トカゲは死ぬ以外、自分の恋は成就できなかった・・・」
日記の抜粋ですが、ある驚きに触れた青年の心が直に伝わってくるような気はしませんか?
三島由紀夫、近代能楽集のページはこちら!
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三島由紀夫の近代能楽集より「葵上」「卒塔婆小町」美輪明宏演出・主演・・・「黒蜥蜴」を思い出しつつ
4月にルテアトル銀座で、三島由紀夫の近代能楽集より「葵上」「卒塔婆小町」の公演が美輪明宏演出・主演であるようですね。
美輪明宏主演で三島由紀夫の演劇といえば、もう昔と言ってもいいほど以前に「黒蜥蜴」を偶然に見たときの印象が鮮やかに残っています。たぶん昭和44年後半か、45年初めのころだったと思います。雨の降る寒い日に、渋谷を散策するうち、偶々当時の東横劇場の垂れ幕を見て、そのまま入りました。そのころ丸山明宏という芸名だった美輪の美しさと名演は際立っていました。ステージ上でドレスの裾をひるがえして明智探偵との命懸けの駆け引きを思い巡らす黒蜥蜴の姿が鮮明に甦ってきます。
そして、黒蜥蜴のコレクションという人間の肉体をそのまま固定した裸体像も鮮烈でした。その中に、ボディビルで鍛えた三島由紀夫自身の姿もあったのだと後から聞かされました。だとすると、自決のわずか前の姿を直接目撃したわけですね。そんな驚きもあって、なおさら忘れられない思い出になっています。
あれからずいぶんと年月がたちましたが、たくさんの思い出も重ね合わせて、今度の公演が楽しみです。
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藤岡孝一展(松屋銀座)、鈴木昭男・八木良太展(音が描く風景/風景が描く音・横浜市民ギャラリーあざみ野)、川喜田半泥子のすべて展(そごう美術館横浜)。そして柴田是真(しばたぜしん)展がもうすぐ終わりですね!
藤岡孝一展(松屋銀座):今回も素晴らしい、凄いといった方がいいかもしれませんね! 演奏する木彫の作品が、音楽に合わせて踊り出しそうです。木の質感がとてもしっくり合っています。魂が籠っている。癒しという言葉はありふれていますけれど、それを実感しました。
鈴木昭男・八木良太展(音が描く風景/風景が描く音・横浜市民ギャラリーあざみ野):自然や時間の感覚を音にする発想が楽しみです。今ちょうどそんなテーマで考えることがあったので、なおさらです。日常に潜む「見えないもの」は、どんな姿で現れるのでしょう? 来週ちょうどあざみ野へ行く機会があるのが幸運です。
川喜田半泥子のすべて展(そごう美術館横浜):何より生き方に惹かれる人です。銀行の頭取など財界で活躍しつつ、自由な創造の世界に存分に遊んだ人の作品には、その奔放な軌跡が表れています。11日から始まる展覧会が楽しみです。
柴田是真(しばたぜしん)展がもうすぐ終わってしまいます。7日までですよ。まだご覧になっていない方は是非!:漆の質感にこだわった思いは、いつまでも心に残ると思います。作品の写真をこのページに散りばめつつ、名残を惜しみます。
昨晩仕事帰りに銀座の画廊に寄ったら、女性作家の少女が浜に打ち上げられた作品があって、思わず映画「ラブリーボーン」のショックを思い出してしまいました。ぼくもうっかり口を滑らせてしまったと思ったのですが、若い作家はとても興奮気味に話に乗ってきて、次々に映画のcruelなシーンについて並べ立てるではありませんか! ぼくはすっかりファンタジーの映画だと思って入ったのですが、とんでもない映像とストーリー展開にショックを受けてしまいました。こんなに恐くて悲しい映画は、憤激に駆られて途中で外に出ようと思ったのですが、観客に囲まれていて身動きもなりませんでした。・・・そういえば、周りは女子大生のような若い女性ばかりで、ティッシュが無くなるくらいグスグス泣きながら、それでもしっかり見ていました。新たな一面の、驚きの発見のような気もしています。
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人気文芸ランキング
一位「親鸞」五木寛之
二位「新参者」東野圭吾
三位「1Q84(1・2)」村上春樹
四位「東方夢月抄」ZUM
五位「ハッピー・リタイアメント」浅田次郎
六位「アバター」山田悠介
七位「神様のカルテ」夏川草介
(1月6日トーハン調べ)
現代の世相をよく反映しているかもしれません。
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映画「ラブリーボーン」ピーター・ジャクソン監督、シアーシャ・ローナン主演、アリス・シーボルト原作//「鏡の中のマヤ・デレン」マルセル・デュシャンやアナイス・ニンからも注目された前衛映画の女神
今注目している映画が二つあります。一つは、「ラブリーボーン」ピーター・ジャクソン監督です。困難なシテュエーションの中で、死者の視点から描く壮大なファンタジーと幻想画像が話題になっています。誰も見たことがない世界をどのように表現するか、監督も相当苦しんだそうですが、果たしてどのように仕上がったか楽しみです。
もう一本は、「鏡の中のマヤ・デレン」。マルセル・デュシャンやアナイス・ニンからも注目された前衛映画の女神と評されていますが、どんな発想の持ち主なのでしょうか? ドキュメンタリー形式の映画らしいですが、独特な発想の姿を追っていくのが楽しみです。
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医学と芸術展(ダ・ヴィンチ、応挙、デミアン・ハースト、フランシス・ベーコン)・G-tokyo2010(山口晃、草間弥生、杉本博司、ピーター・マクドナルド等)(森アーツセンターギャラリー)・ルノワール展(国立新美術館)
小春日和の快晴の日曜日、散歩コースは美術館巡りです。いずれの
展覧会も、穏やかな休日とあって、込み合っていました。六本木、乃木坂の界隈や、ビルが聳え立つ空も、どこか幻想画像味を帯びて見えました。
特に、最近あまり見なくなっていた現代美術の先鋭を、G-tokyo展では集合的に見ることが出来て、新鮮でした。(ケンジタキギャラリーやミヅマアートギャラリーなど15の現代美術専門のギャラリーによる展示でした)
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烏丸由美 展(ミヅマアートギャラリー・中目黒)「ぼくたちの東京ストーリーズ」感性が描き出した陽炎のような東京の色彩風景
天明屋尚 展(ミヅマアートギャラリー・市谷田町)不思議な躍動感に富んだ幻想的人物像
東 悠紀恵 個展(ぎゃらりぃ朋)妖精か天使のような幻想的細密人物像
有賀真澄(ギャラリーツープラス)際どく奥深い混沌の世界
堀込幸枝(ギャラリー椿)ビンの上の不思議で繊細な光の戯れへのこだわり
臼木英之展(金井画廊)漆と油絵の具による混合技法の珍しいマチエール
三田尚弘(LOWER AKIHABARA)すごい才能ですね。まだ芸大の大学院生だそうですが、末恐ろしいというか、どんな大輪の花を咲かせる人でしょう!
高橋良 展(neutron tokyo)「cosmic」墨による壮大で宇宙的な世界
やなぎみわ展(RAT HOLE GALLERY)新作映像作品「Lullaby」
長谷川潔という世界(ギャラリーかわまつ)時代を経ても色あせることのない版画展
長谷川潔展(永井画廊)仏訳「竹取物語」と初期銅版画展
山本六三展(兵庫県立美術館)「幻想とエロス」今まで広く知られてこなかった幻想と頽廃に彩られた魅惑の世界
藤岡孝一展(松屋銀座 美術サロン)ためつすがめつ彫り込まれた深みとユーモアと温かみのある彫刻展、今回も楽しみです。
斉藤真一展(武蔵野市立吉祥寺美術館)ごぜと哀愁の旅路:いつ見ても独特で印象的な絵画
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榎並和春展(松屋銀座)悟りに到達したようなとても厚味のある作品。深く癒される絵画です。
市川和美 陶展(松屋銀座)遊び心豊かな陶器の作品。素朴な建築空間でかくれんぼをしているような面白さに誘われます。
束芋(たばいも Tabaimo)(横浜美術館)現代社会を断面から捕える、面白い切り口の現代アートですね。康本雅子、Tucker、束芋とのダンスライブも興味深いです。
小田志保展(ぎゃらりぃ朋)さりげない人物像の瞬間を捉えた、それでいて妙な実在感のある絵画。今回も楽しみです。
GAIA展(ギャラリーGK)津田のぼる、松岩邦男:今回もどんな物語的幻想世界が展開するか楽しみです。
河合正勝展(Gallery風)ミクストメディアによる複雑な色彩の調子が魅力的です。
廣光芳枝展(みゆき画廊)押しひしがれたような人間、人体の断面。どこかフランシス・ベーコンのような雰囲気を感じさせます。
柴田菜月展ー曖昧の培養(Ginza Gallery Joshibi)陶器による柔らかな培養植物の表現。
松永佳江 水彩画展(ぎゃらりいサムホール)水彩画の淡い不思議な深み。
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柴田是真(しばたぜしん SHIBATA ZESHIN)展・「富士田子浦蒔絵額」・「花瓶梅図漆絵」・「柳に水車文重箱」・漆による細密画への挑戦
柴田是真展を見てきました。「柳に水車文重箱」に代表されるような工芸の腕前も、別格の人なのだと唸らせられます。漆を波模様に走らせた線など絶妙ですね。印籠などに描かれた細密画も、他に例を見ないほど精緻です。
その漆の質感を、和紙の上に細密画として描くところにこだわったのが、この人の天才的なところだと思います。漆の質感、マチエール(絵肌)、重厚感が、見る者の眼を通して心に響いてきます。
三井記念美術館の堅牢な建物とも、伝統の重みを持った作品群がよく調和していると感じました。
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幻想画と季節:冬の水面は美しく凍えていますーー花の宴を夢見つつ
通りがかった都心の公園の池は、いろはもみじの葉を浮かべて、冬空を映して凍えています。春も待ち遠しいですが、引き締まった充実も感じます。寒いときこそ汗もかかずに仕事の能率が上がるので、今のうちに存分に動いておかなければとも思います。
とはいえ華やかな桜の季節ももうすぐそこに来ているので、久しぶりに拙作の幻想画「花宴」でも広げてみようと思い立ちました。
「花宴」(テンペラ混合技法 細密画 キャンバスF15号 小山右人)春、桜の幻想画
ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ 紀友則
この季節もまもなくですね
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鴻池朋子「インタートラベラー死者と遊ぶ人」(単行本)東京オペラシティーアートギャラリーでの展覧会の迫力そのままに作品写真が語りかけてきます
注目の演劇
「ディートリッヒ Dietrich」(3月 青山劇場:和央ようか:第二次世界大戦のさなか、波乱に富んだ人生を生きたマレーネ・ディートリッヒの物語
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「貴和皓山(きわこうざん)作陶展」を見てきましたーー曜変天目から発展した貴和曜変茶碗の神秘的世界(松屋銀座:2010年1月20日~26日)
ここのところ毎年欠かさず見ている「貴和皓山(きわこうざん)作陶展」に行ってきました。
今回も茶碗の中に広大な宇宙、星空、神秘の光を感じさせる貴和曜変茶碗を半ば恍惚となりながら堪能してきました。ローマングラスのような艶にも似ていますが、また違った奥深い輝きを秘めていて、見る者をなんともいえない不思議な感動に連れて行ってくれます。
「紺空」と題した黒い茶碗にいちばん惹かれました。全体にほとんど暗黒なのですが、縁の部分の微妙なグラデーションに、古都の夕空のみやびな透明感を見るような胸の透く思いにさせられます。思わずしゃがみ込んで見入ってしまいました。
氏の作品は、フランスのギメ美術館での展覧会はじめ、すでに世界で広く知られるところとなっています。
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カラヴァッジオ(カラヴァッジョ)の創造の秘密に応える本・「カラヴァッジォ 灼熱の生涯」デズモンド・スアード 石鍋真澄・石鍋真理子訳 白水社 「暴力と芸術 ヒトラー、ダリ、カラヴァッジォの生涯」勅使河原純 フィルムアート社
カラヴァッジョの天才的な作品と、そのあまりにも無軌道で荒くれた生き方とのギャップに衝撃を受け、そこに焦点を当てた本を探してみました。彼の創造の深い秘密も、その中に含まれているはずです。
「暴力と芸術 ヒトラー、ダリ、カラヴァッジォの生涯」勅使河原純 フィルムアート社
この書は、その疑問と深い関心に、真っ向から向き合ったものです。狼藉三昧で、数件の殺人事件まで起こした画家が、目をみはる才能を発揮し、教会の聖堂の絵まで手がけたというのは、現代の感覚からはかなり理解に苦しむことです。しかしこの書からは、当時のイタリアの厚いキリスト教階級社会における軋轢から、暴力、殺人、残酷な処刑、一方で宗教的な赦免が日常的に行われていたおどろしい空気が直に伝わってきます。あまりの凄まじさに、目を覆わんばかりといってもいいくらいです。そのような社会でけんかと決闘に明け暮れ、内に秘めた凶暴性の救いとはけ口を絵の制作に込めた画家の内面の激しさも自ずと浮かび上がってきます。
カラヴァッジオの作品に見られる鋭さと惨さ、瑞々しさなど相対する感性の氾濫と、さらに画家自身の生き様の不可思議に引かれたときには必読の書だと思いました。
(創造性の軌跡、芸術家の創造の神秘)
「カラヴァッジォ 灼熱の生涯」デズモンド・スアード 石鍋真澄・石鍋真理子訳 白水社
この書は、史実に忠実に、カラヴァッジオの生涯を描いています。より精密に、深く画家の生涯を歴史や時代背景、人間関係から探ろうとするときには不可欠の書だと思います。モノクロのものも多いですが、挿入された作品の写真の多さも圧巻です。
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「美の巨人たち」・・・柴田是真(しばたぜしん)「花瓶梅図漆絵」とカラヴァッジョ「聖マタイの召命」
先週の放送は、柴田是真の漆絵についてでしたが、工芸にとどまらず、漆という素材にこだわって絵画にまで才能を発展させていったところに、特に惹かれました。和紙の質感と漆の持ち味を突き詰めて調和させ、成功させたところには感心します。
早く乾くとか、発色が鮮やかとか、現代の絵の具さえもともするとスピードと簡単さに走りがちですが、全く正反対の深さにむしろ新鮮な感動を覚えました。
日本橋の三井記念美術館で展覧会もやっているそうなので、是非見てみたいと思いました。
今回のカラヴァッジョ「聖マタイの召命」の放送を見て、改めて才能の偉大さを感じました。その一方で、実人生では、破滅的な乱暴者で、殺人まで犯して逃亡者となる生き様にも強い関心を引かれます。破壊的な暴力の衝動を、たえず絵の中で昇華させなければならないほどの激しさを秘めていたからこそ、後世に大きな影響を及ぼすほどの才能を突然開花させられたのかもしれないと、深く考えさせられました。
いずれにせよ、カラヴァッジョについて、新しい一面とより深い関心を呼び覚まされたような気がしました。
カラヴァッジョの記事はこちら!
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きょうは成人の日。幻想の空に踊る白馬を描くのにふさわしい日です。
成人を迎えられた皆さん、おめでとうございます! 大変な時代ですが、夢をしっかり抱いて大きく羽ばたいてください。願いも込めて、アトリエからメッセージを送ります。
(テンペラ混合技法による幻想画・幻想絵画のブログです。不思議な世界・不思議な空間・幻想世界の創造を目指します。きょうは特に幻想画に季節感も秘めた表現を。動物と水辺と海の幻想画。動物の細密画)
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今年の11月25日から12月4日(会期中無休)、幻想絵画の個展を開きます。小山右人個展(ぎゃらりぃ朋・・・東京都中央区銀座1-5-1第三太陽ビル2階)
今から気が早いと思われるかもしれませんが、私にはもう明日にも迫っているようにも感じられます。
是非頭の片隅にでもご記憶いただいてご来場賜れれば、大変幸いに存じます。
絵と小説をなぜ書くのか? 小説自体と絵で表した画本の初版本も展示します。是非お読みになりたい方には会場にて差し上げますので、積極的におっしゃっていただきたいと存じます。
(覚書:幻想画家ユージンの個展。文学と絵画の融合、画本を差し上げます。小山右人のブログです。幻想世界・幻想美術の世界を表現する絵画個展です。銀座の個展)
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幻想画の源・・・どか雪で一変した町・・・「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」鈴木牧之(すずきぼくし)の世界を思い出しました
今年も早年末となりました。新型インフルエンザの流行もありましたか、例年になく慌しい師走となりました。ブログの更新も遅くなってしまいました。
写真も二週間あまりも前、故郷の街にどか雪が降ったときのものです。温暖化以後、積雪をほとんど経験しなくなった街に大雪が降ると、驚きと昔の思いに捕われてしまいます。雪と闘うのが当たり前だったころの情景は、まさに「北越雪譜」の世界だったと感慨深く思い出されます。
お年寄りたちも雪に閉ざされて外出できなくなり、訪ね歩くこととなりました。古い民家にこもった温もり、小路の水溜りに響く足音、ざらめ雪の崩れる音、つららから垂れる水音、懐かしさを掻き立てないものはありません。そして、この故郷の風の中の仕事こそ、幻想画の中の世界そのままだと、解け合っていくのを感じます。
年の瀬にあたり、心と幻想画の原点について、懐かしさも込めて思い巡らしました。皆様もよいお年をお迎え下さい!
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幻想画家の銀座散歩
「工芸名品展」和光本館(12月12~23)富本憲吉、藤田喬平、生野祥雲斎、松田権六、鹿島一谷、八木一夫、他
「中村太樹男絵画展」松屋銀座・「赤津純子万華鏡作品展」松屋銀座(12月16~22)
(いずれも入場無料)
仕事帰りの銀座散歩は宝の山です。心のこもった名品に出会えるのがとても楽しみです。
和光ホールの東京国立近代美術館所蔵の工芸名品展は、えり抜かれた逸品ぞろいで、お勧めです。工芸品に対して少しずつ目が肥えてきましたが、水準に対する判断は、私自身まだ覚束ないところがあります。この展覧会が一級品ぞろいであることは、素人目にもすぐにわかります。感動とともに、今後の鑑賞に、とても勉強になりました。
「中村太樹男絵画展」松屋銀座:今回は、とりわけ光が美しいと思いました。温もりある光の表現は、この画家独特の素晴らしいもので、幻想画の雰囲気を盛り上げています。
「赤津純子万華鏡作品展」松屋銀座:バロックの音楽が流れ出しそうな清々しく、リズミカルな万華鏡の画像は、この作者独特のものでしょうね。朝の光の中で見たら、どんなに一日に張りを与えてくれることでしょう!
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幻想小説「グラディーヴァ」(W・イェンゼン 種村季弘訳 作品社)の面影を求めてーー古代ローマ帝国の遺産・栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ展(国立西洋美術館 上野)
ここ一ヶ月あまり、ブログを更新せず失礼いたしました。お問い合わせや、励ましのご連絡をいただきまして誠にありがとうございました。少々長めの原稿にかかっていまして、更新が遅くなってしまいました。熱いご期待をいただいておりますことに、この場を借りまして御礼とお詫びを申し上げたいと存じます。
さて、そんな訳で、是非見たいと思っていた展覧会も、最終日に駆け込むこととなりました。
私の偏愛する、ポンペイを舞台にした幻想小説「グラディーヴァ」の面影を、垣間見たいと思っていました。日曜日ということもあって、会場はとても混雑していました。
火山灰に埋もれた街から出土したフレスコ画や、宝飾品などは、とても二千年近くも前のものとは思われない鮮やかさを保っています。とくに現代の製品にもひけを取らない精密な日用品などは、当時の人の息遣いをふと甦らせます。
小説の中の若く想像力に富んだ考古学者、ノルベルト・ハーノルトが、冥府の花アスフォデロスをそっと手渡した、サンダーレをはいた足でこれ以上はない美しい歩みをする美女の影は、果たしてこれらの物に触発されて現れたのではないでしょうか? 発掘されたポンペイの目抜き通りの写真があり、その石畳の上に、幻想小説の一場面を思い描いてしまいました。
美しくたおやかなヴェスヴィオ山が、ある日突如噴火して人々の生活を封じ込めてしまった悲劇の物語と、そこから発掘されるタイムスリップした生活跡の驚きが、心の奥から夢が発掘され、甦ってくるような名作を生んだのではないでしょうか。
改めて小説の場面をいちいち思い浮かべながら展覧会と重ね合わせてみる楽しみの時間を過ごしました
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大場冨生(おおば とみお)木版画展ーー幻想絵画的な雰囲気とテンペラ画の絵肌ーー松屋銀座美術サロン(平成二十一年十一月四日~十日)
木版の木の温もりがよく出ていて、とても雰囲気のある作品です。最初、思わずテンペラ画かと思ってしまったほどです。
略歴によると、氏は岩手県の出身で、スパニッシュソウルギタリストとのこと。東北の温もりと、ラテンの音色が響き合うような空気が、そういえば画面からは漂い出しています
写真の作品の中からも、宮沢賢治の想像世界が溢れるような感じがしました。
(大場富生の木版画作品展)
清宮質文の記事はこちら!
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書き下ろし短編小説と幻想絵画の画本「孵化」小山右人と有人
以前の記事でも書いた短編小説と絵画を合わせた画本ですが、ようやく実現の運びとなりました。
小説と絵を合わせた本の制作は、かつてからの念願で、思い通りに実現したかったので、出版社には頼まず、自ら作ることにしました。
さて、小説の原稿も絵の写真も、すべてデータに入っているのに、近頃の印刷事情はとても複雑なことを知らされました。これをさらに印刷会社に合ったソフトに入れ替えなければなりません。この単純そうな作業を、どこも引き受けてくれないのには驚きました。もし頼むと、法外な金額を請求されます。
思わぬところにネックがありましたが、やはり探せば応えてくれるところがあるものです。それにしても、やっとたどり着いたという感じです。なんと商売気のない業界でしょう!
内容ですが、自分が絵を描いたり小説を書いたりする創造性のエネルギーがどこから来ているのか? 展覧会中にもよく尋ねられる質問ですが、一言では難しく、物語で表すのがいちばんと、かねてより思っていました。
「孵化」というのは、まさに創造性のエネルギーが爆発的に放出される瞬間を象徴しています。葛藤のエネルギーを溜め込んだ主人公の物語のクライマックスで、この爆発的放出は起こります。
小説と絵は、ほぼ同時進行で制作されました。二重奏、あるいはコラボレーションの作用で、より表現が浮き彫りになると思います。
この冊子は、来年(2010年)11月~12月の個展にご来場いただいて希望された方のみに差し上げます。もちろん無料です。一般の販売は行いません。
芸術家の気まぐれですが、お楽しみに、大切になさって下さい、もしや稀観本となりますことを夢見つつ・・・
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英 一蝶(はなぶさ いっちょう Hanabusa Ichou)--島流しの刑にも耐え、元禄の江戸に返り咲いた吉原の粋人画家・宝井其角とも親交のあった俳人・文人画家
最近展覧会のあった、元禄時代に江戸、吉原を中心に活躍した画家・英 一蝶の生き様に感銘を覚えました。
吉原の座敷で幇間(ほうかん 太鼓持ち)として人間の機微に通じて活躍していた一蝶は、宝井其角とも親交が篤く、俳句を詠んで文芸にも通じていました。狩野派の厳しい画法を学んだ一蝶は、やがてその枠に収まらなくなり、飛び出して独自の風俗画を展開していきます。民衆の生活の一断面をユーモラスに生き生きと捉えた作品が次々に描かれていきます。
菱川師宣を越えようという意気込みが、若いころの手紙からは窺えます。「朝妻船」などの唄も大流行し、白拍子の絵も歌詞とともに描きました。
そんな一蝶を襲った最大の危機は、四十七歳のとき、時の将軍綱吉の「生類憐みの令」を揶揄したというほとんど濡れ衣の罪で流刑に処せられたことでした。
江戸から百八十キロ離れた三宅島の阿古地区に流された一蝶は、それでも半年後には、他の島の神社からの依頼に応じ、絵を描き始めます。江戸で名を馳せたこの画家を、新島の梅田家は庇護するようになります。流罪の身ながら、こうして一蝶は、足掛け十二年を生き延びることが出来、苦境の中でも「四季日待図鑑」などを物します。
御赦免を得て江戸に返り咲いたときには五十八歳になっていました。英一蝶という名前も、そのとき銘銘したものです。そこから七十三歳で亡くなるまで活躍したのですから、大変なものです。
最近知ったこの画家を、もっと好きになりそうです。その生き様と闊達な描写から、より有名になっていく画家だとも思いました
(島流しにされた画家の劇的な返り咲きと結実の強靭な人生物語です)
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谷川水系の、生と死の境をふと感じさせる眺めーー谷川水系に魅せられた画家・犬塚勉(いぬづか つとむ)
何年かに一度、谷川水系を歩きに出掛けます。
登山と観光の季節をはずれると、ここにはほとんど人影もありません。そして、険しい自然が、そのままむき出しになっています。
それだけに、都会ではまず味わえない新鮮な自然の表情とここでは出会えます。東京からもさほど遠くなく、深いところで人を魅了し続けている所以だと思います。
天神平へ向かうロープウェイからも、山肌が深くえぐられ樹木がなぎ倒された雪渓を望むことが出来ます。高原の霧は肌に沁み、さわやかです。
麓の殺伐とした渓流沿いには、吸い込まれそうな滝が姿を現し、淵に立つと足がすくんで、まさに滝壺に飲まれそうな眩みを覚えます。
土樽の駅には、地下ホームへ通じる数百段の階段トンネルがあり、夏でも冷たい霧に充たされています。無人のホームに、深い霧の中から列車が現れる光景は、幻想的以外のなにものでもありません。
こんな風景に、画家が魅せられないはずもありません。自然の奥深くに潜む魂まで感じ取って、植物や岩の細部まで描き続けた犬塚勉が、谷川水系の魅力に惹かれるあまり命まで失う危険を冒した気持ちも、十分に了解できます
(覚書:地下空間の地獄巡りを髣髴させる地底のトンネル、滝壷へ吸い込まれそうなむき出しの自然、鉄砲水の恐れのあるせせらぎ、谷川水系は常に命の瀬戸際を感じさせ、教えてくれる場所でもあります)
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短編小説「孵化」と絵を合わせた画本制作にとりかかりました(小説と幻想絵画の融合)
「孵化」と題した三面の幻想絵画を2007年の個展(ぎゃらりぃ朋・銀座)で発表しました。
この幻想物語ふうの絵画とほぼ同時に、同じ題の短編小説の執筆が進行していました。いずれ短編小説と絵画を融合させた画本を作ることが夢でした。このたびその仕事に着手しました。
何やら物語風な絵画にどんな意図が込められているか、ご来場の方々にはしばしば尋ねられましたが、一言で説明するには難渋しました。しかし、作者の意図が正確に伝わらなくても、ご覧になる方の自由な想像の広がりを、傍にいて実感することもできました。それがまた絵画の妙味でもあります。
マリンバ奏者で作曲家の吉岡孝悦氏のインスピレーションで、音楽に翻訳され、コラボレーションも実現しました。コア石響や東京文化会館のホールで、ステージ上のスクリーンに大きく投影され、絵画の中から音楽があふれ出しました。
音楽家の感性は敏感で、コラボレーションを先取りしていたのかもしれません。その点では、元々絵画と小説のコラボレーションを目指していた作品だったといえるのかもしれません。
おおよその体裁は写真のようで、早ければ年内、遅くとも来年11月の個展にまでは仕上げたいと思います。是非ご希望される方のみに差し上げたいと存じます。ご来場のときにお申し付け下さい。
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