新しい旅の方向に向かいつつ小品の完成ですー「真珠の航海」(キャンバスサイズF0号 テンペラ混合技法 小山右人こやまゆうじん)
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少し前ですが、NHKで、名古屋ボストン美術館で開催された「ゴーギャン展」にちなんで、名作の謎に迫ると銘打って、「アートエンターテインメント 迷宮美術館」で特集していました。ゴーギャン(ポール・ゴーガン Paul Gaugin)といえば、高名な画家として知り尽くしたような気分にもなっていますが、著作や展覧会に触れるたび、新しい発見に驚かされます。
今回、特に驚かされたのは、ゴーギャンが初めてタヒチの素朴で原始的な人間と自然の中に感じた、人間の露わな魂への戦きというか、感動を必死に伝えたかったというほとんど渇望のような思いです。
ゴーギャンは、愛娘への愛情とともに、無数の版画つき物語で、人間の原初の戦きに触れた感動を伝えようとします。その一つの結晶が、「ノア・ノア」(NOA NOA Paul Gaugin)だと思います。一読してタヒチの海の叙情的、神秘的な雰囲気が伝わってきます。
ゴーギャンの生涯の集大成とも言うべき「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」の、愛娘と絡めた謎解きの番組の中でも、特にゴーギャンが初めてタヒチの原始に見いだした深い感動が今回は格別感じられました。
出演者:山咲トオル、室井佑月、チチ松村
司会:段田安則、住吉美紀
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遠野の豊かな自然と人々の生活が解け合った空気の中に、ザシキワラシとかオシラサマ、カッパなどが現れても不思議はないようなイメージの喚起力があるのが妙です。
苔むした大きな岩が織り成す景観によるものでしょうか? そこにも、五百羅漢のように大飢饉の犠牲者の冥福を祈って、義山和尚によって彫られた仏が残されていたりします。
岩の間からのぞくさりげない瀬にも、飛び交う虫が幻想の生き物に一瞬見えるような雰囲気さえあります。
その自然の中に、素晴らしい名工によって築かれたと一目でわかる「福泉寺 ふくせんじ」の威容ある姿が聳え立っています。この寺の本堂にそびえる、一本の木から彫られた仏像としては最大といわれる「福徳観音像」が見るものを圧してきます。
五重塔などの修復や建立には、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」でご覧になった方も多いと思われますが、日本の名工とうたわれる宮大工の菊池恭二氏がこの地のご出身で関わっていらっしゃると聞いて、驚かされるやら納得したような気にもなりました。
写真は大雑把に並べましたが、五百羅漢や、遠野ふるさと村、カッパ淵、福泉寺などのものです
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遠野にようやく行くことが出来ました。東北地方を訪れるたび、気にかかっていたところでした。
今や沖縄ブームで、押すな押すなの人気でぼくも大好きですが、東北地方を訪ねるたび、その豊かさと奥深い発見に、きっと将来、東北の旅の人気が今以上に盛り上がるときが訪れると、常々予感しています。今回、遠野を訪ねてみて、その思いをより深くしました。
どんなところか予想していたのは、まず豊かな緑と水と山影がなす田園風景でした。それも、期待を越えて、心寛ぐのを覚えました。
そして何よりも、寒暖の差の激しい土地で馬とともに暮らす人々の囲炉裏の匂いが染み付いた曲がり屋の重みと親密さには驚きさえ感じました。いくつものガイドブックの写真やテレビ番組からは伝わってこない本物の厚味を感じました。今回は、その中でも代表的な「千葉家の曲がり屋」、「遠野ふるさと村」の写真の一部をご紹介します。(狭い土地に、ぎっしり様々な要素が詰まった遠野をご紹介するには、何回かに分けて記事を書くしかないと思いました)
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この六月二十一日にNHKの日曜美術館で放送された版画家、「清宮質文 せいみやなおぶみ」を見て、懸命に人の心に語りかけようとして一生を捧げた画家の気魂を感じさせられました。
ほとんどアトリエで仕事に打ち込んだまま過ごした画家の、その木版で心を伝えることにもどかしさを感じ、悪戦苦闘してきた人生が番組全体からよく伝わってきました。
清宮自身は、それを「お化け」という自分の言葉で語っていたそうですが、それが、芸術家として人の心に語りかけようとする言葉だと、はっきり実感していた画家だったのだと思いました。
さてそれを自覚したところで、表現によって伝えることの困難と恐さともどかしさを、より身に染みて悟っていた画家だったことも伝わってきます。
細い道の果ての薄墨色の空で、謙虚な閃きを放つ花火の作品は胸に響いてきます。もどかしげな分、より深く伝わってくるのかもしれません。
過剰を押さえた木版の表現には、余計なものをそぎ落として、その思いを伝えようとする心の言葉が滲み出しています。そして、命を終える前日まで創作に打ち込んだ生き様も、その思いを何倍にもして語りかけてきます。
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東北地方に行くたび、いつか訪れてみたいと気になっていた遠野へ、近々行ってみようと思っています。
梅雨の晴れ間の新緑豊かな土地は、どれほど瑞々しいことでしょう。静かな自然の中を、久しぶりに当てもなく歩き回ってみようと思っています。
遠野へ旅したいと少し書きましたところ、眺めのよいスポットや、語りべのこと、見落としてはならない名所などにつきまして、数々のご連絡をいただきましたことを感謝申し上げます。遠野が自然豊かでほんとうにのびのびした所なのだという思いが伝わってきました。ますます早く訪れたい気持ちになっています。
柳田国男の「遠野物語」を読み返しつつ、仕事と天気予報のよいタイミングを窺っています。
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お待たせしました! 新作の「真珠の海」(La mer de perle)がようやく完成しました。
伊勢志摩を巡る旅で、海のブルーや真珠から、たくさんのインスピレーションを与えられました。前回の記事でもそのことを書いたら、新作がどんなふうになるか楽しみとのご連絡を数々いただきまして、久しぶりに制作にプレッシャーを感じました。
描くうちに、真珠が思いの外、ぼくのテクニックになじむモチーフであることを発見しました。これからの作品の中でも、様々な姿で、空間を彩ることになると予感させられました。
海の多彩なブルーから、より自分らしいブルーを見いだしたような気もします。
ひとまず、完成した小品をご鑑賞下さい。
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伊勢神宮参拝の旅に続いて、志摩半島を巡る旅をしました。ここは言わずと知れた世界的な真珠の産地です。御木本幸吉翁が世界で初めて真珠の養殖に成功して発展していった足跡を、至るところに見ることが出来ます。
幻想的な海の眺めを見せる英虞湾内にも、真珠養殖のいかだが無数に浮かんでいます。お土産店や記念館の売店など、どこへ行っても美しい真珠に溢れています。
ミキモト真珠島では、海女の潜水の実演にも遭遇することが出来ました。真っ白な衣装で、青い海の中へ真っ直ぐに潜っていく姿は、想像していた以上に瑞々しく美しく感じました。
これだけたくさんの真珠と美しい海の眺めに浸っていると、嫌でも海と貝と真珠のファンタジーの世界へ誘われます。たくさんのインスピレーションが頭の中に生まれました。
それらが今後絵の中にどんな形となって現れるか、お楽しみに!
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誕生月のよい日頃、節目に伊勢神宮に参拝してきました。
名古屋から特急で向かう途中、平坦な土地の眺めに、どこに由緒ある神域が現れるのか、不思議な気もしました。
しかし、伊勢市で降り、外宮のご神域に踏み入ると、そんな気持ちも消し飛んでしまいました。古い木橋を渡り、年を経て苔むした巨木に囲まれた社の荘重さには圧倒されるものがあります。普段着のまま訪れた人々も、鳥居をくぐるたびに棘々した日常を忘れたような顔になっているのが見て取れます。聖域を充たす空気の力を実感しました。
ちょうど雨上がりの巨木の木肌に掌を触れると、冷たさが奥深くどこまでも染みてくるような感じがし、その感覚に導かれるような参拝でした。神域を流れる川風の清々しさにも心洗われるような旅でした。
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建築家、伊東豊雄氏のノルウェー、オスロの図書館設計コンペを巡る創造の軌跡を中心に、展開されている番組に興味を覚えました。
概して、何かを創造する人の苦悩の軌跡を巡る番組は、好きなものの一つです。
それにしても、大きなコンペに賭ける建築家の舞台裏とは大変なものですね。当たれば大きいのでしょうけれど、選外になれば徒労に終わる可能性もある。そうして積み重ねられたノウハウが次に花開くのでしょうけれど、それにしても報われないリスクも大きいものだと思いました。
それは、たいていの仕事とか、人生そのものにも当てはまることですから、なおさら共感を覚えるのかもしれません。
伊東豊雄氏設計の仙台「メディアテーク」は、かつて訪れてその空間を楽しみました。たしかに遮る壁などない人のつながりを促す空間には寛ぎを覚えました。他の図書館に比べ、ゆったり読書にも浸れました。
ちょうどその折、仙台の名物でもある欅並木にイルミネーションが点され、広い窓から美しく望まれたのが印象的でした。
オスロの図書館建築コンペでは、残念ながら伊東豊雄氏は敗退してしまいます。しかし、いくつもの幾何学的な構造を組み合わせた空間や、内部の独特の本の並べ方とか、いくつも興味深いアイデアがありました。
建築も、絵画や小説と同様に、膨大な情報量を創造者の精神の構造に組み上げていく作業であることが強く印象に残りました。複雑化と単純化の柔軟な発想で、極限を目指していく格闘に、深い共感を覚えました。
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最近のNHK日曜美術館で取り上げていた曾我蕭白の特集に強い印象を受けました。
江戸時代に、一方の写実の大家、円山応挙と対抗しながら、あまりに荒ぶる内面をさらして、ほとんど狂人として無視され、二百年を経てようやく発見された巨人でもあります。
しかし、当時の文人の間では、自分らしく生きるには、内面の自我を露出させ、狂の域にまで達しなければかなわないという思いもあったようです。自らの同一性とか、自我を突き詰めようとする、意外に深い個人の存在への問いかけが時代の底流をなしていたのかもしれません。
若くして身寄りや家業を失い、筆一本に賭けなければならないところに投げ出された蕭白は、そのような時代背景をしょわされる宿命も帯びざるを得なかったのでしょう。放浪の身を時代にさらして、画家自身も、肌にひりつく問いかけを強く感じていたにちがいありません。
数多くの天才たちの歴史が山ほど物語っているように、そこには時代との(世俗的な)幸福な出会いはなかった。生まれるはずもなかった。
ひとたび敏感に時代の自我を悟った画家は、自ら「鬼神斎 曾我蕭白」と名乗って署名します。そこには深い疎外感と苛立ち、荒ぶる魂を見る思いがします。
彼は、「狂」として振る舞い、人々を驚嘆させて時代を揺さぶってみせなければならない密かな使命も感じていたにちがいありません。
ゲストの村上隆氏は、蕭白が自らをパロディ化したのだと、氏らしい滑らかな口調でさらりと説明してみせました。欧米を舞台に広く活躍し、常にアイデンティティの問題を突きつけられている氏らしいお話だと感じました。しかし、表面的なところから深い部分まで幅広いニュアンスのあるこの言葉が、もし酔いに猛り狂っている最中の画家自身に、その表面的な意味のみしか伝わらなかったらどうなっていたか? 思うだけで、ひやりともなりました。
作品では、「雲龍図」「唐獅子図」などの猛々しさもさることながら、「群仙図屏風」 「雪山童子図」「商山四皓図屏風」「寒山拾得図」「竹林七賢図」など、強いメッセージが籠められているのに感銘を覚えます。
最晩年作の「石橋図」に至っても、極楽浄土へ渡る橋から、到達できずに次々転落する獅子の図は圧巻です。
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毎日のように海外旅行の土産話と、食べきれないほどのチョコレートのお土産、ありがとう! 大変な世の中だから、なおさらそう感じていらっしゃる方も多いでしょうね。でも、たしかに優雅に旅を楽しんでいらっしゃる方も一杯いるんですよね。それは、毎日浴びるようにメールやお話で聞かされている私が誰よりも実感していると思っています。
そんな旅の機会にも恵まれない私を救ってくれるのが、海の向こうからやってきてくれる人です。私の拙作と、上達しないフランス語に常日頃厳しい目を光らせてくれているのがフランス人の先生です。
でも、さすがに井の頭公園の桜には感激の様子。若く美しい先生が、生まれて初めて漕ぐというボートに感激し、他のボートにどんどんぶつかる(ごめんなさい)のも気にせず夢中で進んでくれるので、私は写真を撮りつつ珍しい花見を味わうことができました。
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今年の桜は、とくに絵のイメージをふくらませたいものだと楽しみにしています。去年偶々満開の時期に遭遇することができた京都の円山公園の夜桜、枝垂桜や、平安神宮の圧倒的な桜の美しさが、今回の個展の作品にも存分に反映された観もあったせいかもしれません。
きょう、新宿御苑の近くで仕事があったので、訪れてみました。染井吉野はまだ三分から五分咲きといったところですが、寒桜は今が盛りです。
肌寒く小雨交じりの天気もあったでしょうか。桜の季節にはもの哀しい思いも付きまといます。梶井基次郎の「桜の木の下には、屍体が埋まっている・・・」、樋口一葉の「闇桜」、坂口安吾の「桜の森の満開の下」・・・侘しい思いに呪縛されるようですが、空寒い新宿御苑の今日の桜の様子は、決して私をそんな気持ちに引き込むようではありませんでした。
これからもっと別の閃きが熟しそうな予感もしました。
「花宴」Yujin Koyama
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リンク: フレーザー島 - Wikipedia.
三月二十二日の世界遺産の番組で、オーストラリアのフレーザー島について放映していたのが印象的でした。
なんといっても、いくつもある湖の、透明度のある水の色が異なる姿には惹かれました。ちょうど、こんな宝石のような水の感覚を絵の具で出せないものか挑戦していたところでしたので、なおさらでした。アルガーと呼ばれるバクテリアの一種で、水底が美しい緑に染まっている湖や、ブーマジン湖、マッケンジー湖、ワビー湖など、流砂と抗いながら奇跡的な色彩を放つ湖が多数紹介されます。
「奇跡の砂の島」というだけあって、太平洋から吹き付ける強い風と、砂と、生態系に、深い関わりがあるのですね。コーヒーロックと呼ばれる土壌が豊かな樹林を形成しているのが不思議です。サティネー、キングファーン、ビカクシダ、フィグツリーなどの植物が密生しています。
ピナクルズと呼ばれる砂の鉄分が酸化してできた崖が連なるのも圧巻です。その下の砂浜には、ミナミコメツキガネ、別名軍隊ガニと呼ばれる蟹が無数に群れています。こんな幻想の島を、夢想するだけでなく、一度訪れてみたいものです。
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最近の三月八日(日)、NHKの新日曜美術館で、伝説の書家、三輪田米山の特集をやっていたのが印象的でした。書の世界に造詣が深いわけではありませんが、この伝説の人の人物像に、強く関心を引かれるものがありました。
伊予の国の神官でもある書家は、夕刻から酒を煽り、境地に入り込んだところで書をしたためます。もちろん酩酊ですから、書き間違うこともある。しかし、そういう問題ではなくて、入り込んだ境地からあふれ出す精神の奔放さというか、解き放たれた天上世界が、そのまま紙面にしたためられます。その文字には、大量の酒によって微小にまで麻痺させられた気負いと理性から解放された最大限の自由が感じられます。そのエネルギーの大きさが、百年の歳月を経て人を魅了し続けているのが伝わってきます。解説者の壇ふみさんも、そのことに驚いていた様子です。
二升も三升も入る瓢箪を抱え、書家は乞われるままに民家を訪ね、書をしたため歩いたようです。それが、掛け軸となり、幟となり、現代に受け継がれています。
この番組を見て、私が強く連想したのは、エドガー・アラン・ポーEdgar・Allan・Poeのことでした。わずか四十歳で、深いアルコールの酩酊によって命を落としたこの天才作家・詩人にも、共通する境地が存在することを想起せずにはいられませんでした。--もちろん、単純にアルコールや薬物の中毒などとは片付けられない、創造の天才が追及した境地の深みがそこに感じられます。自らを追い詰め、身を削り、創造の「神様が降りてくる」に至るには、アルコールの酩酊が大きな触媒の作用を担っていたことが察せられます。
Poeの作品の中でも特に好きで、繰り返し耽読した「リジーア」Ligeiaの中には、そんな境地の雰囲気を濃く感じます。病み衰えていく愛妻の鬼気迫る描写もさることながら、その妻の死後、美女再生に至る新妻と暮らす神殿風の家屋の豪奢な暗がりの中に、存分にその怪しい空気が充ち充ちてはいないでしょうか。
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個展が終わって、ご来場下さった方々や、画廊の雰囲気など、しみじみ余韻に浸れる充実したときです。今回のご感想でいちばん多かったのは「癒される」というお言葉でした。テンペラと油彩によるブルーと、テンペラのマットな絵肌による柔らかさの感触を味わっていただけたためでしょうか。
「ぎゃらりぃ朋」での個展も、早いもので五回目となり、すっかり私のホームグランドとなりました。ご主人にもご評価をいただき、来年の十一月末から十二月の初旬にかけて、次の個展もお決めいただけましたことが、とても嬉しく励みになりました。
会場の写真を掲載します。今回ご来場いただけなかった方や、海外のコレクターの方々にも、雰囲気が伝われば幸いです。
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個展が終了して、また日々の生活に戻りました。とはいっても、個展期間中も、仕事を休むわけにはいかなかったのですが。
北国の街へ帰って、きょうはお年寄りのお宅を訪ね歩きました。海の方からの冷たい風も、穏やかに感じられました。街は閑散としています。しかし、この空気、風は、やはりどこでも感じられない独特のものなんですね。
個展の間、絵のことについて尋ねられると、空気だとか風を描こうとした、などとわかったような偉そうな説明を繰り返していましたが、言っているうちに、自分の方も妙に世界が開けてくるような気がするものです。きょう、頬に北風を感じながら、街には取るべきものは何もないけれど、この風だけは独特だ、などと納得したような気分にもなりました。そして、本当に風が伝わるような絵が描けたらよいな、とも思いました。
どこのお宅を訪ねても、この季節、お年寄りの蒲団の足元に猫が蹲っている光景に出会います。暖かい季節、どこかへ行ってしまったのかと案じていた猫が、ちゃんと戻っているのには微笑ましいものを感じました
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加山又造の展覧会にちなんで、新日曜美術館で特集をやっていましたね。個展の間、氏の展覧会を見るよう強く勧められていたこともあって、興味深かったです。
好奇心旺盛で、あらゆる技法に挑戦し、表現と戯れることに最大限没頭し喜びを見いだす画家なのだと感じました。
日本画に、シルクスクリーンやエアブラシなど、使えるものはなんでも貪欲に取り入れていくんですね。
ゲストの五木寛之氏も言っていましたが、京都の伝統の上にこそ遊び心がるのだという一言が、興味深かったです。本当の遊び心は東京にはないのだと。
それは、私の生き方とか仕事の核心部分に関わることなので、今後も反芻して深く考え続けていかなければならないポイントです。
また、膨大な加山又造の作品群の中心には、虚無の思想が感じられるということ。これも、偶々個展の会期中に勧められた、五木寛之氏の親鸞を軸にした混乱のこのご時世についての文章とも響き合って興味深かったです。
これからの世は「地獄は一定すみかぞかし」、暗い欝の時代が続くのだというお話。暗い山道を、せいぜい口笛を吹きながら下るのが賢明な生き方と覚悟してかからなければならない時代なのだそうです。
加山又造が、そんな時代に注目されたのでしょうか。
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世界大恐慌、二月の寒波悪天候の中での個展も無事に終了しました。最終日にはふさわしい、旧友の詩人にも訪れていただいて、懐かしい話やら、様々な作家との交流の話で盛り上がりました。そうですね、このブログでも紹介してきた建築家や、パリの詩人、作家、哲学者とも一つながりです。年を経ると、面白い人脈が広がるものです。
個展終了ぎりぎりにもコレクターの方から拙作をお求めいただいて、感激しています。いったいこのご時世に、だれが絵を求めるのかと、不思議がっている友人もいました。
大変な世の中で、今回ほど人のつながりとご協力のありがたさを感じたことはありません。実は、それが私の一番苦手とし、弱点でもあると感じてきたところですが。飲み会や宴会にもほとんど出席せず、人脈作りなどという意図的な作為をむしろ避けてきた私にとって、なおさら身に染みたことでした。それはわかるのですが、やはりこれからも不義理を重ねてしまいそうなことを、どうぞお許し下さい。
あらゆる悪条件の中で、かろうじて継続への大きな力をお与えいただいた皆様に、心より感謝申し上げます
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今回の個展は、経済大恐慌の真っ只中とくしくも重なってしまいました。当初から、作品が売れるということは、ほとんど想定外のことでした。「それなのに、なぜ個展を予定通り開催するのか?」と、現実的なフランスの友人に詰め寄られる場面もありました。
たぶん、現実原則で行動する人にとっては、暴挙とも映る行為だというのも、世相の厳しさを表しているのかもしれません。しかしこの大変な世の中で、懐は確かに苦しいけれども、なんとかこの作品は欲しいと、悩みぬいてコレクターの方々にお求めいただいている御姿に、今回ほど励まされ、感謝を覚えたことはありません。まさに画家冥利に尽きる個展となりました。
また描き続けていく、腹の底に響く大いなる力をお与えいただいたことに、心から感謝申し上げます
「ぎゃらりぃ朋」
2009.2.11~2.21(日曜休廊)12:00~19:00
東京都中央区銀座1-5-1第三太陽ビル2F
tel 03-3567-7577
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今回個展を開催してみて、「個展を開くとは、いったいどういうことなのだろう?」と、我ながら不思議な感興にとらわれたりしています。回を重ねてきて、ゆとりが生まれたせいかもしれません。
アトリエや自宅に絵を飾るのとは全くちがいます。こじんまりした画廊が、自分の作品の世界に変わる瞬間は、まず感動的です。初日に画廊を開き、最初のお客さんが訪れるときの新鮮さもこたえられません。それから知人や初めての方々が訪れて、絵の話をするのも充実しています。
でも、画廊にはいつもお客さんがいるわけではなくて、静かな時間もあります。そういうときの舞台裏は、隣室に倉庫のような物置部屋があって、そこに籠もって本を読んだり書き物をしたり、小窓からぼんやり銀座の街並みを眺めていたりしています。
ぼくは、この空白の時間が案外好きで、子供のころ、漫画や童話の本がうずたかく積まれた物置で存分に読みふけった楽しみを思い出します。そして、薄い扉を開けると自分の絵が取り囲んでいる世界です。この瞬間感じる至福のために、また描き続けるのだと思いました。
個展は21日まで、開催しています。
「ぎゃらりぃ朋」
2009.2.11~2.21(日曜休廊)12:00~19:00
東京都中央区銀座1-5-1第三太陽ビル2F
tel 03-3567-7577
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個展がスタートしました。作品を搬入し、飾り付けが終わったとき、そこが静かな海の底のような別世界に変わったようなのに、思わず嘆息が漏れました。コツコツと絵を描いてきて、いちばん喜びを覚える瞬間なのかもしれません。
今回は、ブルーを基調とした水面と植物、生き物たちが中心ですので、画廊がそんな雰囲気に変わったのだろうと思います。いつまでもこの部屋に住み続けたいと思うのも、この時です。しかし、つかの間の夢の空間なのですね。それは、毎回感じる感慨です。それだけに、一日毎、一瞬毎が、とても貴重に感じられます。
回を重ねるごとに多くの方々にご来場いただけるようになって嬉しいです。まだ二日ばかり画廊にいただけですが、とても有意義なお話の機会を持つことができて豊かな気分になっています。さっそく拙作をお求めいただいたのも、大変嬉しいです。
あと一週間あまり、絵を中心にした数々の出会いと物語が生まれることを楽しみにしています。
小山右人絵画個展
2009年2月11日~21日(日曜休廊)12:00~19:00(ぎゃらりぃ朋 銀座1-5-1第三太陽ビル2階 tel03-3567-7577)
「幸爛漫」(テンペラ混合技法M10号)
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とはいっても、きょうはアトリエから遠く離れて、北国の街で仕事に追われています。心のどこにしまわれているのでしょうか。それでも仕事から少し解放されると絵のことが甦ってきます。この空白の期間に、きっと想像力ははぐくまれ、絵の具はしっかり固まって、ぼくががむしゃらに描き始めるのを待っていてくれるのだと思います。
大寒のこの時期に、北国の街はコートもいらないくらい温かく、一日中そのことが話題になっていました。もっとも、あしたから崩れるそうですが。
ここ最近印象に残ったことといえば、NHKの新日曜美術館で、田淵俊夫氏の智積院不二の間の襖絵制作をやっていましたね。墨絵による枝垂桜とかススキの絵は圧巻でした。大きなアトリエで、意外にもハイテクのプロジェクターを使って、制作していくプロセスまでつぶさに公開されたのには驚かされました。ぼくは、とても興味深く感じましたが、ある意味、絵は手品のように謎めいているところが面白いようなところもあって、画家があんまり簡単に種明かしをしてしまっては、興味がうすれるところがあるのじゃないかという気もしました。きっと賛否両論あったと思います。
先週の春草も大変面白く見ました。明治の気鋭の画家の作品に、当時の知の結集が見られる点に、とくに感銘を覚えました。懸命にがんばっているぼくの仲間の画家たちも、集いで語らっている話や、作品のことに思いを馳せるとき、彼らの中に蓄積しているたくさんの美術の歴史や知の連鎖を感じます。それら歴史の呪縛の中で、必死で自分をつむぎ出そうとしている闘いを感じるのです。
東京の展覧会で感動したのは、(これはもう毎年のことのようですが)銀座松屋で開かれている貴和皓山(kiwa kouzan)氏の陶器の個展でした。その曜変茶碗には、陶器の世界に疎いぼくも、すっかり新たな目を見開かされました。今年は、とくに貴重な宝石のような深い艶が増したように感じます。このような無限に奥深く至高の美の世界があることを、たった一個の茶碗から教えられるのには、驚きと感動を覚えます。
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正月休みに、個展の中心作を完成することができたので、ほっとしています。個展まで、あと一月ほどとなりました。ブログを応援してくださった方のご来場を心よりお待ちしております。そして、お気軽にお声をおかけ下さい。少しも遠慮なさることはありませんよ。こじんまりしたアットホームな画廊です。
今年も、「吉岡孝悦ニューイヤーマリンバコンサート」に行ってきました。今回は観客として気楽に、存分に楽しんできました。
画家とのコラボレーションでは、勝間田弘幸氏の一貫した自分を追及する墨絵の制作意図について、演奏前のインタビューで、いっそう理解できたような気がしました。とても難しい理論に走る人は幾人も見てきましたが、氏の実直なお話には、いつも共感するものを覚えます。
渡辺あしな氏のインドをテーマにした作品には、今回も心惹かれました。特に雄大な自然を幻想的に描いた作品には、自分の届かぬ遠い境地を感じました。
今回は、竹澤薫氏のバレーとのコラボレーションもあって、見所の幅が広がりました。
中川俊郎氏の作曲されたコマーシャルミュージックの披露も面白かったですね。サントリーのウーロン茶、黒ウーロン茶の作曲も氏が手がけていたのですね。テレヴィをつけると自然に流れてくる曲が、お知り合いの作曲と知るのは、より親近感を覚えました。
吉岡氏の演奏はもちろんのこと。今回は、すばらしいドラムの演奏も披露されたのに、熱くなりました。レパートリーの広さには驚かされます。アンコールの余興に、吉岡氏がピアノ、中川氏がマリンバというのも面白かったです。音楽の秀才は、楽器が変わっても、それなりの演奏ができるものなのですね。
故郷の北国に戻ってきた私は、椿の街路樹が満開の町を、仕事で歩きました。お訪ねする皆さん、お元気で安心しました。鈍い色の雲が立ち込めるきょう、冷たい風向きが日本海の反対側から吹いてくるのを妙に感じました。そうしたら、東京で初雪が降ったという知らせを聞きました。
絵から離れていても、テンペラ絵の具は時間が経つほど発色が鮮やかに、そして堅牢さを増していきます。そのことを、前回の個展で専門家に教えていただいて、ますますよい技法と出会ったと感じました。
また東京に戻ったら、最後の仕上げに取り掛かりたいと思います
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お正月の定番、百人一首を読みながら、遠いいにしえの空気の澄明度を感じていました。
カルタ取りの傍らで、和歌の一言が持つ色彩とか透明度、静けさの質が、今とまるで違うように感じられてくるのが妙でした。
例えば、紀友則の「久かたの光りのどけき春の日にしず心なく花のちるらむ」
桜の花びらが受ける光、辺りの静けさ、空気の澄み具合は、もう現代にはありえないような気さえしてきます。
かの小野小町の「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」にしても同様です。平安神宮の枝垂桜を見ているときにもそんなことを考えていました。
そのほか、空気の透明感と静けさを感じた句を、もう一度しみじみとしたためたくなりました。
柿本人麻「足びきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」
清少納言「よを籠めてとりの空音ははかるともよにあふさかのせきはゆるさじ」
紫式部「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半のつきかな」
中納言家持「かささぎの渡せる橋におく霜のしろきを見れば夜ぞ更にける」
赤染衛門「やすらはで寝なましものを小夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな」
山部赤人「田子の浦にうち出でて見れば白妙のふじのたかねにゆきはふりつつ」
紀貫之「人はいさ心もしらずふるさとははなぞむかしの香ににほひける」
持統天皇「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山」
西行法師「歎けとて月やは物をおもはするかこちがほなるわがなみだかな」
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きょうは訪ね歩く北風の街は大荒れでした。足元の水溜りにはみぞれと椿の赤い花びらが鮮やかに入り混じっていました。冷たい季節風に、東京では感じられない重い湿り気を頬に受けて、子供のころの感覚をふと思い出しました。自分は昔と変わらず、こんな風と感覚的につながっていたのだと、妙な発見をした気分になりました。
外国の友人からはクリスマスカードが届き、こちらは年賀状を書くのに忙しい、年末らしい日々になりました。
新しい年の個展に向けて、DMも作っています。今や、家庭用のプリンターの方が、印刷会社のものよりはるかにすぐれているそうで、美術専門の印刷会社にもテンペラの微妙な色合いは出せないと言われたことがありました。それ以来、DMは自分で作るほかなくなりました。
慌しい年の瀬ですが、今年もこのブログを訪ねてくださったことに、この機会に感謝申し上げます
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師走も半ばを過ぎ、いよいよ慌しくなってきました。けれども、なぜかこの季節、面白い展覧会のご案内をたくさんいただいたり、企画が目に止まりました。以前、年末に個展を開催したとき、忙しくてたくさんのご来場は望めないと思っていましたが、案外他の時期よりおいでいただけたのが、印象に残っています。忙しいときほど、皆さんマメに足を運んで下さるのかもしれませんね。
そんな訳で、小生も雑多なことで慌しい時間をかいくぐって、面白そうなところにはしっかり足を運んでいるという次第です。
「万華鏡ー光の贈り物」赤津純子(銀座松屋2008.12.17~23)
前回は、ありきたりの万華鏡Kaleidoscopeではなくて、音が出たりハーブの香りが詰まっていたりと、とてもユニークなのが面白かったです。今回は、光の美しさが飛躍していて、澄んだ色彩の中を小さなビーズが描く模様は絶妙でした。美しいバッハの旋律が静かに流れるような音の空間を感じてしまいました。この人の作品は、いつか求めたいと思いました。
「中村太樹男絵画展」(これも銀座松屋2008、12.17~23)
幻想的な個性の世界がますます洗練されたという感じ。広がりすぎないで、しっかり自分の世界の中心に向かって充実していく観があるのがよかったと思います。次の発展も楽しみです
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「GAIA展」津田のぼる 松岩邦男 2008年12月8日~13日 ギャラリーGK(東京 銀座6-7-16第一岩月ビル一階 TEL03-3571-0105)
久々に、想像力の世界にたぷり遊ぶ楽しい展覧会のご案内をいただいて満足でした。松岩氏にDMをいただいたときから、わくわくするような予感を覚える展覧会でした。実際に初日に伺って、想像の空間に紛れ込んだような豊かな気分にさせられました。
津田氏の金属加工(空き缶などを使われるそうですが)の不思議な飛行船とか、物語世界のお城とか、様々の空想物語の人物たちに、日常世界から離れた、作家の創作に熱中する時間と想像の内面にいやでも誘い込まれます。展示の作品は、新聞などでもすでに紹介された有名なもののようです。そのように人の関心を惹くのも納得されるものでした。
松岩氏の作品にもすでになれ親しんできましたが、二人のコラボレーションで、絶妙の想像宇宙がかもしだされている観がありました。新しい漫画的とご本人がおっしゃる幻想画も、想像世界に羽ばたいて映りました。
銀座の小路を一歩入ったところのある、立錐の余地もない狭い画廊が、他にはない豊かな宇宙に変貌するとは、なんと粋な体験でしょう!
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往診で巡る故郷の街も、嵐模様となりました。日本海から吹き付ける風と雨は、海岸の土手を越え、頭上から吹き降ろすようです。道路には人影が全くありません。東京と比べて、何か不思議な世界に紛れ込んだような感じもします。同じ雨風でも、どこかちがっています。湿度の違いでしょうか? 渦巻く風の吹き具合でしょうか? 水溜りの水をはねながら、小道を巡り歩きました。くすんだ街並みや枯れ草の中で、神社の朱色の階段の手摺の色が、鮮やかに浮き上がって見えます。お年寄りが横たわる部屋に、突然猫ちゃん飛び込んできたりして、驚かされました。障子の穴が、猫ちゃんの出入り口になっていたんですね。往診道具が珍しいようで、じゃれついてなかなか離れません。
少々話が飛躍します。
かつて、高校生のころ、窓ガラスの外につららが下がった部屋で、国語の参考書に抜粋された川端康成の「雪国」の冒頭部分を読んでいたことがありました。そのとき偶々父が、越後湯沢にスキーに行こうと誘いました。ーースキー場に着いたとき、先ほどまで読んでいた「雪国」の情景とそっくりだと、感慨深く感じたのを、近頃しばしば思い出していました。スキー場の照明も素朴で、なんとなく幻想的でした。チェーンも付けないで運転する父の車は、まるでスキーをしているように雪道を滑って、それで家族も楽しんで歓声をあげたりしていました。湯沢駅に現れる駅長さんも、小説そのものの人だったと思います。清水トンネルに列車が入るとき、蒸気機関車の煙が入らないように、慌てて窓を閉めたのも思い出します。確かにトンネルは国境でした。トンネルを抜けて、急に真っ白になった情景に、車内で歓声が湧き起こるのもしばしばでした。
最近の湯沢に降りても、私はあの感興をほとんど覚えません。当時は、スチームのきいた列車の中で、たしかに曇ったガラス窓に、女の人の眸が夜光虫のように妖しく光った驚きはあったかもしれません。しかし、時間の流れと時代の進展は、こうも情緒まで変えてしまうものかと驚かされます。
やはり最近でしたか、三島由紀夫の「金閣寺」を携えて、京都の京極辺りの描写と現在を比べてみたことがありました。そのときにも驚きを感じました。質素な市民や軍人の姿が行き来する情景などからは隔たった今の雑然とした繁華街に、これほど変わるものかと呆然となった記憶は焼きついています。
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さっさと引退してセカンドライフといきたいところですが、なかなかそうもいかないので、連休はありがたいです。
午前中は、少しずつ書き続けている短編小説の校正をして、午後は絵のキャンバスの下地作りをしました。
画廊のご主人からも、ここまでの作品にゴーサインをいただいて、後半戦のイメージを膨らませるところまで来ました。これからは、遊び心を存分に楽しめる段階です。
私の絵は、下地がかなり重要な部分を占めているので、何度も塗り重ねたり、削ったりしてゆきます。完成作品の脇に新しいキャンバスを並べ、次はどんなイメージが中から湧いてくるのか楽しみです。下地の暗示に逆らわずに描いていくのも、私のやり方です。
絵の具が乾くのを待ちながら、今日、何度もじっと見ていたのは、サンドロ・ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」でした。この有名な作品は、たしかに豊かなイメージに溢れています。女神誕生の何やら華やぎの胸騒ぎに止まらず、ヴィーナスと海のエロスの豊饒にも充ちみちています。
海面の波の表現や、息を吹き込む神の使いらしい人のさりげない表現も、とても高度なイメージの豊かさです。私は、ほんの少しだけ貝のコレクションにも凝っていますので、帆立貝の上に立つヴィーナスの姿が、いっそう愛着を帯びて神々しく見えたのも、そのせいかもしれません。
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今週の往診日は、荒れ模様でした。落ち葉が舞う街は、強い海からの風で、傘を広げていると身動きもなりませんでした。しかし、元々雪国の人は、これくらいではめげません。背を丸め、先の方を歩いている人を何人か、認めました。
看護士もたくましく、長靴で平然と路地から路地をを潜り抜けて、患家を訪ねて回ります。水溜りに足を浸しながら歩く感覚は、子供のころを思い出させます。事実、この街は、たくさんの子供たち同士で雪合戦をしたときと眺めがほとんど変わっていません。歩くだけで、思い出が湧き出てきます。
訪ねたおじいさんの脈を取ろうとしたら、「冷やっこい!」と思わず悲鳴をあげられてしまいました。こちらの手もすっかり凍えていたのに気づき、ストーブで温めさせてもらってから、診察に取り掛かりました。
深々と蒲団に横たわるおじいさんは、何故か、行ったこともない富士山の樹海が夢に現れ、そこから帰ってこれなくなる恐ろしさに度々目覚めて困っていると、不思議さに溢れた眸でおっしゃいました。お話を聞くうちに、嵐の街に、深い樹林が広がるような情景が過りました。
夜にかけても、空爆のような雷鳴が、時々頭上に轟き渡りました。
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雑誌の中で、こんな記事に目が留まりました。
ニセコ町にあるニセコアンヌプリという山の雪質は、世界的に最高で、世界中から、新雪スキーの愛好家が集まってくるとのこと。
筆者はシーズンには天候と雪質をチェックし、休暇には飛んで行って滑るそうです。その醍醐味は、雪崩の危険を冒してでも替え難いほどのものだそうで、想像を大いに刺激されました。
私も以前はスキーによく出かけましたが、新雪パウダースノーのは経験したことがありません。しかし、これだけ夢中に、取り憑かれたように求める奥深さは、究極の感覚の追求と言っていいのかもしれません。
自分の知らない、色々な体験を夢中で求める人がいるものだなと感心すると同時に、ふときらめく新雪の中に深く沈み込みながら、重力のまたとない滑降の眩暈を味わっているのを、ぼんやり想像してみたりしています。
寒い北海道へ飛び出していく元気はありませんが、もしはまったら、きっと他にはない体感を、自分の身の奥に新たに刻める経験になるのでしょう。それは、写真に収める思い出などとはまた違った、人間にとって不可欠の思い出の一つなのかもしれません。
Astellas Square 2008 10-11月号より
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きょうは往診日。海からの北風に、色づいた枯れ葉が舞っています。
出かけてすぐ、自転車に乗った人が笑顔で話しかけてきます。だれかと思ったら、数か月前、血圧が二百もあって、ぶるぶる震えながら受診した人です。急いでMRIを撮ってみると、脳梗塞も起こしかけていて、さっそく大学病院に紹介しました。
「病院にはまだ行ってません!」と、照れ笑いで言うのにはびっくりしてしまいました。どうしてあんなに重症だった人が、見違えるようになって自転車に乗れるようになっているのか? 一緒にいた看護士共々首をひねってしまいました。
それにしても、一刻も早く精密検査を受けるよう改めて説得しなければなりません。
海辺に近い葡萄棚のある小道のお宅で、寝たきりだった人が、伺うたびに元気になっていかれるのにはこちらも力づけられます。今までほとんど独り暮らしだったので、我々が毎週顔を見せるのだけでも違うのかもしれません。
老人の蒲団の上に猫が丸まっているお宅が何軒かありました。外が寒くなってきて、猫たちの一番の居場所が蒲団になってきたのかもしれません。
「もうすぐ雪の話になりますね」と言う人もいました。
道を歩くだけで吹き飛ばされそうになる強い北風の向こうに、荒れた日本海を感じました。
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「新型インフルエンザの世界的大流行・パンデミックPandemic 特に毒性が強いH5N1型」
新型インフルエンザの世界的大流行・パンデミックの講演会に行ってきました。さすがにいろいろなところで危機が警告されているだけに、関心が高く、会場は医療関係者で満員でした。
危惧されている毒性の強いH5N1型は、インフルエンザという名前がついているものの、従来のインフルエンザの単なる重症型ではなくて、急速に多臓器にウィルスが広まって、致命的な症状を発する、まったく別の病気といってよいほどのものだということ。
一度感染が広まった場合の恐慌は、想像を絶するものがあります。
結局今のところ有効なワクチンが行き渡る保証もなく、特効薬も完全なものはありません。
どうやらパンデミックは、3回くらいの周期で襲ってくるようで、その各々の8週間くらいは篭城のように家にこもってやり過ごすのが最も有効な防御手段というところのようです。
それだけの覚悟と、食料などの準備を心がけておきましょう。
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前回のNHK新日曜美術館で、池内紀氏の解説でウィーンのことについて放送していましたが、特に画家クリムトについて興味深く感じました。
装飾画家として才能を発揮したクリムトが、有名なエロスの名作を描くようになっていく背景について、漠然としていましたが、当時隆盛を極めつつあったフロイトの学説が大きな影響を及ぼしていたという話に、驚きと同時に合点がいくものを感じました。
ウィーンの都市、リンクを中心にして、ヨーロッパ中の様式を持った建築が並び、文化もにぎわっていた熱い雰囲気が伝わってきました。
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直島の地中美術館についてもご紹介しましたが、同じ旅路で、イサム・ノグチ庭園美術館にも感銘を覚えました。
イサム・ノグチといえば、主に石の彫刻家として著名ですが、いまひとつ理解できずにいました。この制作現場でもある美術館を訪れて、まず感覚から理解できたような気がしました。
高松郊外の海と山に臨んだ土地の空気、辺りに流れる時間の感覚、土の感触によって、石のオブジェの制作にこの地を選んだ氏の感性が伝わってきます。何よりも、芸術家自身の厳しい感性に合わせて、丸亀の豪商の木造家屋を解体してこの地に再建して住処としたり、制作の木造家屋も、酒造りのそれをいったん解体して運んだものと聞きました。
木造家屋を通り抜ける風の感触、深い陰翳の織り成す室内に淡く点る和紙の「あかり」、人の呼吸が宿った柱の重厚さ、板床の光り具合、すべてが主によって精密に選ばれ、さりげないながら厳密に構成されているのを感じました。
この地に立って、芸術家の魂が、すっと胸に入ってきたような気がしました。
(写真は、一部イサムノグチ庭園美術館のパンフレットより)
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地中美術館、ベネッセハウス、直島 Musee sous terrain a Naosima(安藤忠雄設計)
最近、友人に直島の地中美術館について紹介する機会がありましたので、懐かしさも含めて書きたいと思います。
初めて訪れたのは、もう三年余り前になりますでしょうか。安藤忠雄氏設計の評判の美術館とあって、高松港を出港するときから楽しみが膨らみました。
ベネッセハウスの現代建築と美術の展示を見た後、静かな瀬戸内海の湾を望みながら地中美術館へ向かいました。途中の海岸も、さりげなく彫刻作品の展示場になっているのが直島ならではです。
さて地中美術館ですが、名前のとおり、地中の美術館ですから、外観はほんの一部を望むことができるだけです。(内部は写真厳禁で、掲載できないのが残念です)
一歩踏み込むと、コンクリート打ちっぱなしの暗い廊下や、傾いだ通路に、迷路か秘密のトーチカに潜入したような気分にさせられます。
クロード・モネ室:靴から柔らかなスリッパに履き代えさせられます。そのわけがまもなくわかりました。天井の隙間から射し込む薄暗い外光の部屋は、滑らかな大理石の床で、音もなく水面をすべるように歩けるのです。四囲の壁に展示されたモネの絵を、睡蓮の浮遊の感覚になって、こんなふうに鑑賞したのは初めてでした。
ジェームズ・タレル室:薄暗いコンクリートの通路を歩き、次に入った部屋には、海中を想わせるブルーのスクリーンがありました。たしかにスクリーンのようではありますが、何やら淡い靄を見ているような感覚にも引き込まれます。そのスクリーンの前に上がってよいと係員に促されます。さて、その幕に近づいてみると、皮膜は消え、青い霧のような光に吸い込まれます。とっくに幕を通り越して、奥の空間に紛れ込んでしまっています。そこは、光で作られた霧の世界なのでした。
ウォルター・デ・マリア室:コンクリートの階段の上に、漆黒の光る球体の置かれた部屋。
現代的な教会の祭壇のような印象も受けます。珍しい美術館の探検を、ほっと癒される部屋でもあります。階段に腰掛けてぼんやり時を過ごしている旅行者も何人かいました。
さりげなくコンクリート壁に囲まれただけの空間もあって、そこの天井は四角く抜けていて、空をそのまま仰ぐことができます。しかし、空とも思われず、建築の一部として描かれた壁面のように見えてくるのが妙でした。
瀬戸内海を眺望する美術館のレストラン:私が行ったときは空いていて、他に三人外人の旅行者がいただけでした。彼らがフランス語で話し始めたので、一緒に会話に加わりました。一組のカップルは、新婚旅行のようで、親しくなって、それから京都まで半日旅をともにしました。夫のほうは、趣味でかなり熱心に写真に凝っているようで、妻の方は、将来美しい橋を設計するのを夢見る建築家でした。そういう人が、わざわざ新婚旅行に選ぶような場所なのだとも思いました。
彼らは、直島に点在する民家を改築した美術館にも詳しかったですが、私は残念ながら訪れる時間はありませんでした。
込み合う休日だと、せっかくの空間を楽しむ美術館の趣きも半減してしまいますから、ゆったり島を回れる穴場の日時がお勧めです
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ピカソ展「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡PICASSO Collection of the Musee National Picasso,Paris」新国立美術館THE NATIONAL ART CENTER,TOKYO 及び「有賀和郎 展」Gallery58を見て
久しぶりの展覧会巡りとなりました。パリのピカソ美術館が改築中とのことで、幸い本邦での最大規模のピカソ展を目の当たりにすることができました。
すでにポピュラーになった名作を、これほど一度に見られる機会はそうないと感じました。「愛と創造の軌跡」と題されているように、ピカソと女性との出会いや愛情の歴史を中心軸に作品が陳列されている構成も面白いと思いました。
確かに恋愛や結婚の相手によって、色彩や画風が変わっていく道筋も見て取ることができます。それは、創造性の心理学など引き合いに出すまでもない、自然の流れのようにも感じられました。
ピカソなど見飽きたと感じていらっしゃる方にも、この展覧会は一見の価値ありと、お勧めしたいと思いました。
ピカソ展の後、銀座のGallery58で初日を迎えた有賀和郎氏の個展に行きました。前回の同画廊での個展で脱皮した観のある氏の作品は、またさらに勝るとも劣らない興味深いものでした。
会場の方と言葉を交わしながら何度も巡るうち、そのたび新しい発見があるような面白さを味わいました。そこでお知り合いになったイタリア人のPさんに、「どの作品が好きで、何が見えますか?」と訊かれ、謎解きのようにお互いが見えたものを語り合うのも楽しいひとときでした。氏が、単純に「夢の光景」だとか「星のような淡い光」とか決め付けずに、懸命に心の言葉で語ろうとするのが特に興味深かったです。結局は、氏は謎を解き明かす言葉を口にしませんでしたが、それだけ奥深く心に染みている感じが伝わってきました。
その後の集いでも、とっておきの美術品などのお話を参加された方々からお伺いできて、とても有意義な午後を過ごすことができました。目の肥えた方の、本当に誠意のあるお勧めでしたので、それは後日、きっと私の目で確かめてここに書きたいと思いました
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今回は観客として、心行くまで定例となったこのコンサートを楽しむことが出来ました。2008年9月14日(日)
(参加画家は、渡辺あしな氏、古渡依里子氏、勝間田弘幸氏、斉藤芳子氏、唐沢貴子氏、松岩邦男氏)
画廊や美術館で絵を見るのとはちがって、いかに絵に命が吹き込まれて浮かび上がることか、改めて感激しました。初めて一昨年に画家の有賀和郎氏にお誘いいただいたときの新鮮さそのものでした。
壁にかけてあるだけでは、ふと見落としてしまいそうなところまで、なんと鮮やかに画家の心を語り出すことでしょう。吉岡氏の趣向で、最近画家自身の制作意図をインタビュー形式で演奏前に語るようになってから、なおさら興味が惹かれるようになりました。
人が自分の絵をどういうふうに見てどう感じているか、いかに孤高の画家とはいえ、永遠に捕えがたい関心事であり、ある種神秘な課題として常に残るものだと思います。そこへ、音楽家が感性で捕えた命を吹き込み、視覚と聴覚で同時に実現して見せるのですから、こんなに至福のときが他にあろうはずがありません。観客も、それを一緒に味わいながら鑑賞できる時代が到来したことは、ある意味感覚の革命が一角で起こりつつあるといっていいのかもしれません。
こういうコラボレーションは、是非多くの人にお勧めしたいと思いました。
演奏会後の交流会で、インドに滞在してご制作とのW氏の絵画に、羨ましい異国情緒を感じてお話を伺いました。ご主人が、今や世界のハイテクセンターでもあるインドの中心的都市の物理研究室にお勤めとのこと。
ご主人もいらっしゃっていて、お話を伺うと、何やら不可思議な「遊体」の研究をなさっているとのこと。遊体離脱とさえ通じるような物理学ということで、ハイテクの先端を行く学問というのは、なんという心理的な領域にまで入り込んでいることかと驚かされました。
たしかに芸術とも一脈通じるところがあるとのことで、当の物理学者ご自身も、絵を描いて銀座の画廊に出品されるとのこと。話は大いに盛り上がりました。
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毎週往診で伺っている九十歳を越えたおじいさんは、海風のよく通るお部屋で静かな老後を暮らしておられます。伺うたびにお話になるのは、遠い過去の思い出がたくさん浮かんできて、「本当にあんなことは、あったんだろうか?」と不思議でならないということです。
今でも澄んだ眸をしておられるおじいさんの視線の向こうには、手入れの行き届いた庭があります。古い苔に覆われた庭の空間に、二度の大戦の時代を生き抜かれた人の思い出の幻が騒ぐのをふと見たような気がしました。
同時に、かつて「ユング自伝」を読んだときの感動も思い出しました。ユング自身、人生はただ物語るだけだと、外見こそ平穏で変化に乏しいものの、心の物語に光を当てつつ淡々と語ってゆきます。しかし、たしか八十五歳くらいで書かれた自伝にしては、幼時からの記憶が鮮明で、心の物語を織り成す出来事とはこれほど貴重な人生の宝物なのだと強く印象づけられたことを思い出しました。
振り返ってみれば、どんなに忙しくても、静かに保たれた心の中では、毎日のように思い返していることがあるのに気づかされます。そして、今も新たな思い出に残るにちがいない事も進行しているのだということにも。回想しつつ、どんなことが深く心に刻まれていくのか、そんなことを認識できるところに人生がさしかかったような気もしています。
この瞬間が、きっと深い思い出に残るにちがいないと思いつつ、現実の時間はどんどん過ぎていってしまいます。将来この時を思い返すとき、本当にそんなことはあったんだろうかと、きっとおじいさんのように不思議に感じるにちがいありません。でも、幻のような思い出でも、それこそ最後にためつすがめつ一日を費やして考える宝であることには間違いありません
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先週のNHK新日曜美術館で、「高島野十郎」の特集をやっていましたね。恥ずかしいながら、この放送まで、こんな画家が日本にいたのを知りませんでした。
どうして超秀才の、いくらでも可能性のある生き方から、俗なものを一切排除して、孤高の画業の道に入っていったのか、人の好奇心を引き付けて止まない神秘な生き様が山ほど隠されているのを感じます。もちろんそれは、作品に込められた深く精緻な精神性から来ていることが、紹介されていく写実を極めた絵から見えてきます。
「睡蓮」の絵は(モネとは自ずと視点はまったく違うのですが)、自然の風景ながら、微動だにしない宇宙空間を見せられたような、一分の隙もない張り詰めた空気を感じます。
中でも、私が最も驚かされたのは、渓流の作品でした。何日も渓流を見つめ続け、ついに水の動きが止まって、岩が動き出す瞬間を描き出したという境地には、日常の世界を突き抜けたものを感じさせられました。常識が反転される瞬間を描き出した絵といっていいのかもしれません。偶々その後、ある展覧会で、他の画家の渓流の絵を見る機会がありましたが、似たような情景でありながら、その奥行きの隔たりにため息が漏れたほどでした。
十数年もかけたという雨の降る五重塔の絵も素晴らしかったですね。
社会とのつながりをほとんど絶って、ひたすら絵や小説に打ち込んでいる人は、身近に何人か見かけてきましたが、あのすごい作品を作っていた人たちは今どこでひたすら黙々と創作に没頭しているのか、ふと脳裡を過りました。きっと将来、新たな高島野十郎として発見されるのかもしれません。
あらゆるものを捨てて、一つのことに打ち込みたいと思っている人は結構多いと思いますが、現実的にできないとか、そういう生活に飛び込む勇気がないと感じる人も多いのではないでしょうか。そのような思いを、一生を捧げて貫いたところに、高島野十郎の偉大さと、人を魅了せずにはおかない深遠さがあるのではないでしょうか
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今年も四ツ谷の石響で開催される吉岡孝悦プロデュースの<展覧会のマリンバ>のご案内を、画家の松岩邦男氏からいただきました。(開催日9月14日、15日)
早いもので、昨年参加させていただいてから、もう一年経ってしまいました。吉岡孝悦氏(マリンバ)と中川俊郎氏(ピアノ)のリハーサル中に絵画を搬入、飾りつけするという新しい体験に、とても新鮮な感動を覚えたのが甦ってきます。
二日とも満席の盛況だったのも、残暑の暑さを熱狂に変えてくれました。お二人の脂の乗り切った演奏を、今年もたくさんの方々にご覧いただきたいです。
コラボレートする画家の方々は、渡辺あしな氏、古渡依里子氏、勝間田弘幸氏、斉藤芳子氏、唐沢貴子氏、松岩邦男氏で、各々独特の作風なので、どんな曲がつくのか楽しみです。
今年は、気楽な鑑賞者として、存分に楽しもうと思っています
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「いやあ、本当にびっくりしました」と大きな声で、言いながら診察室に入ってこられた方に、私も何事かとびっくりしました。
訊いてみると、最近、七十歳を迎えて同窓会が開かれたのだけれど、二十八人いた男性のうち、二十人がすでに他界してしまっているとのこと。女性のほうは、その反対の数だったそうです。どうやら男性が七十歳まで生きるというのは大変なことのようです。
昨日まで青春を謳歌していて、まだ漠然と明日があるような気にもなっていた今日このごろでしたが、人生を現実的に見つめて、整理しながら生きていかなければならないところに差し掛かっているのかと、考えさせられました。
一方では、元気に百歳を迎えられたおばあさんで、雨でもあられでもしゃんしゃんと歩いて通ってこられる方ですが、「長生きで一番つらいのは、体の心配ではなくて、仲間がいない精神的な苦労が最も大変です」としみじみと言っておられたのにも、深く考えさせられました。
慌しく生きている日々の中で、限りある時間とか、毎日の一瞬ごとの大切さとか、生きる緊張感とか、これからの自分の有りようとか、ふと仕事を離れたときに案外深い思いに誘われる出来事でした
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猛暑が一段落した日曜日とあって、久しぶりに銀座と上野の展覧会巡りに出掛けました。
銀座松屋でやっていた漫画家の「高橋留美子」展。故郷の街の、自宅から歩いて五分ほどのご出身とあって、親近感から伺おうと思いましたが、超満員で、入り口のアニメ画面だけを拝見してあきらめました。ますますのご活躍をお祈りします。
国立博物館の「対決巨匠たちの日本美術」運慶VS快慶、雪舟VS雪村、永徳VS等伯、長次郎VS光悦、宗達VS光琳、仁清VS乾山、円空VS木喰、大雅VS蕪村、若冲VS蕭白、応挙VS芦雪、歌麿VS写楽、鉄斎VS大観は、すばらしかったです。
スケールが大きすぎて散漫になるかと、あまり大きな期待はしていませんでしたが、名作をそろえた大企画だったと思います。時代を代表する天才の対決とは名案で、よい企画でした。
大混雑でしたが、名作に圧倒され、酔ったような人の流れに押し流される気分でした。「この展覧会は見なければ損をする」そんな思いにさせる展覧会でした。
若冲にも圧倒されたし(本当に鶏が動きだしそう)、大好きな円空仏も、中途半端じゃないいいものが展示されていたし、野々村仁清の壷も絶品! 長次郎と光悦の茶碗など、渋いけれど舞い上がりそうな感動と奥深さを感じます。
長沢芦雪の「虎図襖」に描かれた幻想的な猛獣の虎には、そうめったにはお目にかかれないでしょうね。
東洲斎写楽の「市川鰕蔵」とか喜多川歌麿の「ポッピンを吹く女」などを直に見られたのも感動でした。
長沢芦雪の狂気すれすれの幻想画もすごかったです。
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きょうは海辺の故郷の街の往診日でした。油蝉の声がかまびすしい夏真っ盛りの情趣を感じながら、街を歩きました。
古い家屋がウナギの寝床さながら連なった小路の趣は、タイムスリップして昔の懐かしい時に紛れ込んだような錯覚を催します。傾きかけた家々の板壁、夏の花々、雑草、荒れた苔にも何かしら安らぎを感じます。
外国の写真家とか建築家に、こんな人間の匂いが濃く染みついた場所を紹介したらさぞ感動するだろうなと、通るたび思います。東京と故郷の街を往復している私自身、異国へ来たような感じもします。
そして坂道を上っていくと、傍らの崖の上に日本海を望む神社があります。きょうは、崖からせり出した鳥居の脇の大木が、盛夏に思い切り枝を広げて欝蒼とのしかかるほどにも見えました。
樫の木か樟のようにも見えますが、そうでもなさそうです。さっそく訪ねた百歳近いおじいさんに訊いてみたところ、「よの木」というのだそうです。手元の辞書では見当たらないので、方言か愛称なのでしょうか?
ささやかですが、真夏の一日に印象に残った眺めでした。
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最近、暑さに加えて十分にリラックスできていないのを感じていました。真夏に温泉というのもなんだし、イモ洗いのプールもなあ、と迷っているところでした。
ネットで検索して、思い立って今夜、ピラティスに挑戦してきました。新しい世界に飛び込むようで、とても新鮮な体験でした。スタジオで、最初にいきなり「だいぶきついですけれど大丈夫ですか?」とインストラクターに心配そうに訊かれたときは、ちょっと不安になりました。
レッスンが始まって、大鏡に映った周りの若い女性たちの背筋が伸びた見事な胡坐の姿勢に圧倒されました。小生の股関節と腰は、最初のいくつかの姿勢で早くも悲鳴を上げ始めました。
「背骨が一個ずつマットから離れていくように」とか、「ガムテープを剥がす感覚で頭から上げていきましょう」とか、リアリティーのあるインストラクターの言葉どおりに体を動かせたらさぞ快感を味わうことができるのでしょうね。私は、周りの形を真似るのが精一杯というところでした。
でも、一時間のたしかにきついレッスンを終えたときには、爽快感を覚えました。腰も背筋も伸びて、動きがしなやかになったような感じもします。
あしたから、またダイナミックな仕事に体が乗ってくれるか楽しみです
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きょう仕事の合間に読んだエッセイに、印象に残るものがありました。製薬会社の雑誌に掲載されたある医師の「蝶の採集」の趣味についてのものでした。そこに、著者の、表向き趣味とは言わざるを得ないものの、深い夢の真摯な追求を感じたのに打たれました。
著者の仕事上での激しい消耗は想像に難くありませんが、その一方で、自分に立ち返ったときの心の内に広く大きく広がる蝶に賭ける夢が、読者のこちら側にも伝わってくるようでした。著者は稀少の蝶を追い求め、それを採集することに、地球規模の地理、気象、生態系などの自然科学、博物学のあらゆる科学的な知識を動員しなければならないことを説きます。
さらには、蝶を発見した瞬間に識別する視力や捕える動態視力、反射神経と、人間的なあらゆる能力も動員されなければ、憧れの蝶には到達できないということも。著者は、憧れの蝶を求め、インド、チベット、シベリア等、世界中へ出掛けるそうです。
少年の夢が大きく膨らんで、大人の夢のすべてを賭ける人間の理想にまで発展しているのを感じずにはいられませんでした。私も、中学生のころまでは昆虫少年で、一時蝶を追って夢中になっていてことがありました。それで、共感も、ひとしおでした。
地球規模とまではとてもいきませんでしたが、ミヤマカラスアゲハの不思議な鱗粉の輝きに惹かれ、生息地を懸命に探したり、捕虫網の動かし方を、何度も練習したりしました。また、捕り逃がした蝶も、必ず縄張りの同じ場所に戻ってくる習性を知って、真夏の木陰で何時間もじっと待っていたことも思い出しました。
今夜はしばし蝶の夢に浸れそうです
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幻想絵画
小山右人絵画個展
2009年2月11日~21日(日曜休廊)12:00~19:00(ぎゃらりぃ朋 銀座1-5-1第三太陽ビル2階 tel03-3567-7577)に向けた新作です!
「飛翔」(テンペラ混合技法キャンバス F6号)この連作3作目。だいぶ作風も落ち着いてきました。
「幸呼ぶ声」(テンペラ混合技法 キャンバスF6号)水音の響く淡い
星空に木霊す幸いを呼ぶ声のイメージです。
「天使の水音」(テンペラ混合技法 キャンバスF6号)
テンペラと油彩を交互に塗り重ねて、宝石の奥から光が深く射すように、エメラルドグリーンやマリンブルーの色調に微妙さを持たせました。翡翠とか瑪瑙の奥深い艶が出せるのが目標です。山の中の澄んだ湖を、泳いで横断したときの恐れ戦くようなブルーのグラデーションも、心に深く染み付いています。そんな色彩が実現できたかどうか、ギャラリーでご堪能下されば幸いです。
暑さの続く夏の夢にふさわしい幻想画をイメージしました。やはり石垣島や、西表島など沖縄の八重山諸島を旅した印象が濃く反映されている気もします。
西表島の夜の川面に映る星空、亜熱帯の藪の中でかすかに光る蛍など、とても美しかったです。
次回の「小山右人個展」Exposition of Fantastic Art Yujin Koyama
来年(2009年)2月11日~2月21日(日曜休廊)ぎゃらりぃ朋(東京 銀座1-5-1 第三太陽ビル2階 TEL03-3567-7577)での個展の新たなテーマです。水面を中心に、その上空や、深層で繰り広げられる様々の生命の形の変幻自在をお楽しみに!
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ポンペイ遺跡のバーチュアル美術館と初蝉の声
夕立の後、庭から初蝉の声が聞こえてきました。俳句を考えていた父は、この句を作らねばと、想を練り始めた様子。
小生は、PCでポンペイ遺跡のバーチュアル美術館の様子をフランスTVで見ていました。こうも幻想の領域をバーチュアルなハイテクで侵されていくと、自分の仕事の領域も狭くなっていくな、などと思っている折でもありました。
さすがに歴史的な繁栄の古代都市の再現ですから、幻想芸術的にも見ごたえのあるものでした。
そこへ、ふいに庭から聞こえてきた油蝉の声は、どこか遠く懐かしい世界から響いてくる音にも一瞬聞こえました。
次回の「小山右人個展」
来年(2009年)2月11日~2月21日ぎゃらりぃ朋(東京 銀座)での個展の新たなテーマです。水面を中心に、その上空や、深層で繰り広げられる様々の生命の形の変幻自在をお楽しみに!
「水面翔る」(みなもかける テンペラ混合技法キャンバス10号M)
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大正の鬼才ー「河野通勢」展(渋谷区立松涛美術館)Kouno Michisei に行ってきました。
画家自身、独自の技法を磨いて自信を持っていたとのことで、新発見の一連の作品には興味深く楽しめるものがありました。
静物や風景、人物画に、基礎的な技術力と個性が滲むのを感じました。私はとくに独特の細密銅版画と、一部の想像力を駆使した油彩に惹かれました。
「竹林之七妍」と題した十号ほどの油絵は、もっとも興味を引かれた作品でした。竹林を背景に、西洋東洋の美神が、独自の風俗の衣装で細密に描かれている幻想性に惹かれました。もしこの路線で、この画家がたくさんの作品を残していたら、大画家として称せられていたことでしょう。しかし、この一点だけでも、いっとき別世界に遊ぶ時間を楽しむことができました。
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昨日は友人の教授就任祝いで、東京會舘でにぎやかな祝宴でした。
打って変わって、今朝は柳田国男の「遠野物語」に読み耽る静かな日曜日のいっときとなりました。故郷の街で半分過ごしている今、広い海、田、山の中に潜むたくさんの神話や語り伝えを身近に感じるようになったせいもあるかもしれません。
遠野の地に伝わる妖怪変化の物語を読み進むうち、何もない広い野や山で、ふいに出くわすような白昼夢さながらの幻影が、語り伝として書き綴られている具象的な姿には驚きと感動すら覚えるものがあります。--例えば、「猿の経立」(さるのふったち)とかいって、松脂を毛に塗り、砂をつけて銃弾をも受け付けないような怪物が、童を脅す言葉になっているような話などには、思わず幼少期、悪いことをすると得体の知れない怪物にさらわれるなどと散々聞かされた話を思い出したりしました。
文章に喚起された力に引かれ、遠野を訪れるのは、今年中になると思います。広い野山に、さぞたくさんの妖怪たちが騒ぐことでしょう
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最近ギリシャを旅してきた知人に、サントリーニ島の美しさを聞かされ、一度は行くように強く勧められたので、夢が膨らんでいます。知人が言うには、静かな海に映える夜景は、筆舌に尽くしがたく、この世のものとも思われないほどだとの熱の入れようです。
そこまで自信を持って勧められると、さすがにいつかは行ってみたいと、一つの目標を与えられたような気にもなります。さっそく何枚か写真を見てみましたが、さすがに起伏の多い絶景の土地と、美しい建物、街並みの島のようです。
いつ行けるかはわかりませんが、夢の場所が一つ出来たことは嬉しいです。夢見、幻想し、それを膨らませて作品にするのが仕事のようなところがありますから、実際に行ってしまったら、せっかくの夢が消えてしまうかもしれません。
憧れの島に見る夢は、きっと次の作品のどこかに姿を現すにちがいありません。私がサントリーニ島を訪れるのは、飽きるほど夢を見切ってからにしようなどと、熱く語られるほど少々構えながら思っています
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六本木の森美術館で開催中の「ターナー賞の歩み」展を見てきました。
予備知識も全然なしに、ただ「ターナー」と冠してあるのでイメージだけで飛び込んだのですが、予想外の展示に、ショックというか、失望的驚きを感じたというのが正直なところかもしれません。
英国でも、 日本やアメリカと同時代的に似たようなコンセプチュアルアートが進展していたのですね。三十年余り前になりますが、意気盛んな先輩画家が、ラウシェンバーグやイヴ・クラインなどの写真を誇らしげに見せてくれた当時、新しい挑戦に胸躍ったことを思い出しました。
そして次々に新しい試みや画家が日本でも輩出して、画廊巡りが新鮮だったのを思い出します。しかし、鋭い試みで時代を切り開いていくのも、一回限りで、鮮度がみるみる落ちていく哀しさも、肌身に実感したときでもありました。どこの画廊に行っても、「いつまで似たような訳のわかんない石ころがごろごろしてんだろう」と溜息が漏れた頃もありました。
今回の展示の目玉らしい、親子の牛を、体の真ん中からぶった切りにしてホルマリン漬けにしてあるデミアン・ハーストの「作品」も、ある意味、残酷でショッキングな展示に限界的行き詰まりのようなものを感じました。「なにも、こんなに可哀想な展示をしなくたって、画家なら自分の筆力で、何倍もインパクトのある表現ができるだろうに」という批評が起こるのは必定だと思います。ぼくも、そちらの方に組すると思います。遠い昔、レオダルド・ダ・ヴィンチが、性交している男女の断面的解剖図を描いた方が、はるかに強烈なコンセプトを伝えてくるのが、逆説的に印象的に甦りました。
ぼくにとって、現代アートが、時代を切り開く胸躍らす展開であったときから、退屈極まりない古物に変わっていく、自分の内面のアート史を見るようなきっかけにもなったといえるかもしれません。
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「小泉孝司」作品展(電通恒産画廊 銀座) 私が氏の個展を見たのは、もうずいぶん前(たぶん1994年ころ)だと思うけれど、強く印象に残っている。不条理の空間を思わせる、主に室内が、柔らかなタッチで、多彩な光線も交えながら描かれていた。
例えば、螺旋階段に、四脚のテーブルが引っかかっているだけの構図なのだけれど、その空間と物との関係が、カフカの小説さながら、覚めながら夢見ているような不思議な感興に誘い込む。
がらんとした板床の室内に、窓から斜めに射し込む光線が作る色彩の虹色で鮮やかな反映は、フェルメールの窓辺に佇む娘に射す光を髣髴させもする。しかし、それとは一風変わって、光線独自が意味を持って、室内を光の舞台へと変質させる。そこに広がる空間の不条理と、光との関係を際立たせるのだ。
個展のときいただいたカードは、貴重な宝になっている。
「勝 国彰」展(ぎゃらりぃ朋 銀座 及びBunkamura Gallery 渋谷) 今や無名の画家から一躍有名画家になった氏の噂は、伝説のように銀座のあちこちで語られているが、私も身近なところで、氏と作品を拝見してきたので、一々興味深い。
細密画の技術の巧みさ、色彩のコントラストの絶妙さ、何やら異界の物語を思わせる人物や異形の妖怪たちとの絡み、いずれを取っても、隅々まで飽きさせるものはない。
氏が、絵のためにあらゆるものを犠牲にし、極貧に耐えて作品に込めてきた祈りがそこからは滲み出している。
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暑くも寒くもないちょうどよい陽気、仕事の後に銀座の画廊巡りをしようと思いました。が、あいにくの雨に、デパートに駆け込みました。
「honokaのエメラルド原石ジュエリー展」 目的の絵ではなかったけれど、偶然出会ったエメラルドの原石をふんだんに使ったジュエリー展には驚きました。幻想的で、深みのある、まさにエメラルドグリーンの味わいに酔いました。これだけ存分に見せられると、目からたっぷり栄養を与えられたような豊かな気持ちになるのも不思議です。いろいろな形をした自然の力の趣くままの黒蝶真珠もよかった。
「鈴木睦美漆器展」 さすがに熟練の風格を感じます。広い会場を充たす漆のほのかな香りにも惹かれます。大きな朱塗りの器に、金色で星座が描かれていたりして、大きな宇宙も感じました。
絵画のよい展覧会には巡り会えませんでしたが、豊かな気分になったことは確かです
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ウィリアム・ブレイクの詩の朗読始まる静かな日曜日となりました。慌しい日常とかけ離れた時間の流れの中に引き込まれます。
今朝は、「無垢の及び経験の歌」(梅津載濟美 訳)を読みました。
どの美術館の展覧会だったか忘れましたが、「あわれみ」の水彩画は印象的で、いつも身近に置いています。紺の背景の深さ、天使の手に抱かれたキューピットの愛らしさ、流れるような衣に解け込んだ白馬、哀しげに横たわり祈りを捧げる少女・・・
この絵の神秘も、心の底に流れ続けています
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「貴和皓山」KIWA KOZAN作陶展(松屋銀座美術画廊)平成19年1月 貴和曜変茶碗の魅惑
特に陶器には造詣がなかったけれど、個展を見て驚きました。茶碗の底にも広大な宇宙が現れているのには感動しました。前年の同展も素晴らしかったです。
パリの美術館でも特別展が催されたようですが、頷けます。
「チェ・ウラム」CHOE U-RAM展(森美術館ギャラリー2)2006年3月~5月
メタリックアートもいろいろあるけれど、こんなに幻想的に昆虫や、空想の生物を精緻でメカニックに作り上げている作品に出会ったのは初めてでした。特に、ゼリー状の液体の中で、海蛇のような金属の生物が、妖しい七色の光を反射しながら身をくねらせている幻想性は、今でも時々思い出します。
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よく持ち歩いている本の一つに、Collection Folio の[L'etranger] Albert Camus があります。フランス語がとても平易で滑らかで、ちょっとした時間の隙間に読むと休まります。
カミュといえば、かつて大学紛争のころは、学生たちの集まりでよく議論されたのを覚えています。日本では、あのころいちばんよくよまれていたのではないでしょうか。「異邦人」の映画もあって、海の場面がとても鮮やかだったのが印象に残っています。
そんな懐かしさもあって、擦り切れてしまったこの本を、よく胸に忍ばせています。
しかし、フランスでは、相変わらず根強い人気のようで、文化の番組ではほとんど毎日といっていいくらい話題に上ってくるので、少し驚いています。「カリギュラ」も人気があるようですね。
その辺を考えながら、また読み直してみたいと思っている今日この頃です
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街には温かい日差しが降り注いでいます。日本海縁の故郷の街を、往診で歩きました。
どの家の前にも、花々が溢れています。真っ白な除虫菊が庭いっぱいに咲いたお宅、バラや名も知らない紫、ピンクの花など、一番美しい季節です。
前庭で飼われているメダカや金魚を見ると、子供のころが懐かしくなります。小学校からは、元気な声が響いてきます。
玄関脇の庭で、亀がぬうっと首を伸ばしたおじいさんのお宅では、枕元にいつもぶちの猫が寄り添っています。心配そうに、時々おじいさんの頭を舐めます。猫は、仲間を癒そうとするとき、舐めてあげるんだそうですね。きっと、おじいさんを励ますつもりなのかもしれません。
皆、しっとりと海辺の土と穏やかな風と生き物たちと解け合っている感じがします。故郷の街を、しみじみと実感するときです。
海岸で拾い集めた貝殻など。
これらも机上のコレクションになるでしょう。
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「夢幻のイストワール」展も無事に終了いたしました。たくさんの皆様のご来場を賜りまして、誠にありがとうございました。彩鳳堂画廊の社長様、職員の皆様には大変お世話になり、心より感謝申し上げます。
初日が偶々小生の誕生日に当たり、画廊からも、お集まりいただいた友人の皆様からも祝杯をあげていただきまして、喜びも倍加いたしました。
初日と最終日しか画廊に居ることができませんでしたが、それでもたくさんのご意見とコメントをいただき、貴重なインスピレーションを得ることができました。次の個展は、来年の三月に「ぎゃらりぃ朋」(銀座一丁目)にて予定しております。お蔭様で、その展覧会に向けて、構想も少しずつ動き出しております。
Ciel様、素敵なコメントもいただきまして、大変ありがとうございます。絵の中の人物や生き物に関心を示されているご様子、作者にもイメージの刺激として直に伝わってきました。次々に新たなイメージも展開するようです。きっと次には、もっと面白い作品をご覧いただけると存じます。そのように頑張りたいと、大いに力をいただきもしました。お楽しみに!
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「夢幻のイストワール」展 開催中です。
初めての画廊で、しかも銀座の真ん中の老舗画廊での展覧会とあって、新鮮な緊張を覚えています。三人の幻想画家は、どこか似通っているようにも見えますが、実は個性は大きく違っています。広い画廊に展開した三人の作品をご堪能いただければ幸いです。
私は、沖縄の八重山諸島を旅して感じた亜熱帯の幻想を中心テーマに出品しています。マングローブのジャングルに、夕暮れ時こだます不思議な鳥の鳴き声や、暗黒の川面に反射する星空は、湿気の多い風の奥に潜む神秘を感じさせました。
2008年5月13日(火)~5月24日(土)日曜休み
彩鳳堂画廊(東京都中央区銀座6-7-7)
TEL 03-3575-0960
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「夢幻のイストワール」展(彩鳳堂画廊:銀座)が近づいてきました。(2008年5月13日~24日:日曜休廊)これまでの個展で発表してきた作品の集大成のような展示になると思いますので、是非ご高覧賜れれば幸いです。
「夢幻」(キャンバスF6号)
「スフィンクスの苦闘」(キャンバスF4号)
次の展覧会は、彩鳳堂画廊(東京 銀座)にて、三人展、「夢幻のイストワール」展を開催します。
私のほか、永松昭子氏、松岩邦男氏が参加します。
幻想的な物語の絵画を専門にする三人の展覧会です。乞うご期待!
2008年5月13日(火)~5月24日(土)日曜休み
彩鳳堂画廊(東京都中央区銀座6-7-7)
TEL 03-3575-0960
http://homepage.2.nifty.com/saihodo/
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彩鳳堂画廊(東京 銀座)にて、三人展、「夢幻のイストワール」展を開催します。
私のほか、永松昭子氏、松岩邦男氏が参加します。
幻想的な物語の絵画を専門にする三人の展覧会です。乞うご期待!
2008年5月13日(火)~5月24日(土)日曜休み
彩鳳堂画廊(東京都中央区銀座6-7-7)
TEL 03-3575-0960
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ゴーチェの「死霊の恋」を懐かしく思い出して読んだ。物語の構成も、回想として始まっているが、たしかに若い修行僧の怪しい女、クラリモンドに対する初々しい恋心には、ある種忘れていたものを思い出させられるような新鮮な驚きを覚えた。
なぜか最近、ゴシックロマン風の小説に惹かれて読む機会が多くなった。私小説風のものとか、若い人の等身大の小説には少々退屈しているせいかもしれない。奇をてらっていても、稠密で深いところに切り込むような作品の方に、よほど時間を忘れて読みふけることができる。
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横山大観展(新国立美術館 六本木 東京)の「生々流転」の大絵巻に再会できて、感激を新たにした。ぼんやり霞んだ山野の墨絵から始まり、旅人ともに人生の山河を巡る。やがて穏やかな大海原に達し、まもなく荒れた波浪に巡り合わす。それは、飛龍の姿をしており、昇天する。果てには、得体の知れない渦巻きが逆巻いている・・・
行列とともにゆっくり流れながら眺めるうち、人生の縮図を歩いたような心地になっていた。
(幻想画家ユージンのブログ)
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友人の建築家、竹山聖氏の近著「ぼんやり空でも眺めてみようか」(彰国社)を興味深く一気に読んだ。氏の建築家を志した駆け出しのころから、現在の京大の助教授に就任するまであたりのことが、率直な体験と、生き生きした眼差しに映る世界を描写しながら書かれている。そのため、門外漢の私にも、大変興味深く共感を抱きながら読むことができた。
すでに次世代を担う大建築家としてブレーク中(そういってももう過言ではないだろう)の彼の、現場から積み上げた苦心惨憺の体験談は、建築家を志す若者の必読の書といえるだろう。
初めて知り合った大学院生のころ、彼は、様々な分野に並外れた好奇心の持ち主だというのが強い印象だった。その貪欲さには、ある種さわやかなものさえ感じたほどだった。
今もその旺盛さは衰えるどころか、ますます盛んのようで、最近、彼が美術監督をつとめた映画「KAMATAKI(窯焚き)」が封切られるという。クロード・ガニオン監督で、モントリオール映画祭で、五部門受賞したという。こちらも、楽しみにしている。
「ぼんやり空でも眺めてみようか」竹山聖(彰国社)
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「幻想絵画とマリンバ、ピアノによる幻想曲コラボレーション」
今年はじめ、1月6日に東京文化会館で開催されたコラボレーションのステージの一場面です。
ふだん、多くの人前で話す機会などない私にとって、ステージに上がるなどということは、最近まで思ってもみないことでした。ステージ上からは、観客席が思いのほか暗く、最前列くらいの方々しかよく見えませんでした。真っ暗な海に向かってお話しているような錯覚さえ覚え、それで、ひどくあがらずにすんだのだと思います。話の最後に拍手をいただいたとき、たしかに大きな潮が押し寄せてくるような、感動的な盛り上がりを感じました。
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幻想画のこれまではブログで未公開だった一点です。
小生の小説「ネペンテス」(「新潮」1997年12月号)を元に描いた幻想的雰囲気の作品です。
小説の方は、ネペンテス、すなわち、どんな苦しみ(ペンテス)をも打ち消し(ネ)、忘れさせる怪しい秘薬を秘めているようなウツボカズラを、家の裏庭に栽培し、そこをネペンテスの領域と称して引きこもり世界の神秘を追求しようとしているスフィンクス兄貴と、弟のぼくとの間で展開する物語。スフィンクス兄貴は、かつては医学生だったけれども、様々の苦悩や事故を経験し、中退して今は家の裏のこの不思議な領域に籠もりきりになっている。そこを訪れる妖しい女性やぼくとの間に、事件と物語が発展していく・・・・・
小説「マンモスの牙」掲載号(新潮1996年11月号)
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このたびは東京文化会館でのコラボレーションコンサートに、多数のご来場を賜りまして誠にありがとうございました。
吉岡氏と中川氏の演奏は、さすがにエキスパートのこと、演出も含めて素晴らしかったです。ブラボー、アンコールの連続でした。今回、特に両氏の気合が入っているのが伝わってきました。マリンバというのが、こんなに幻想的で素晴らしい楽器なのだと、今までの中で一番強く感じました。
私は、自分の拙作を展示して、ステージ上でご挨拶と、絵の簡単な説明をするだけでしたが、650名の聴衆の皆様を前に、しかもコンサートの場面でお話しするという初めての体験には不安と緊張を覚えました。しかし、この上ないお天気のよい気分に加え、リハーサルもあって、何とかお話できたかな?と思っています。作品の意図がわかって、その分面白かったと後ほどご意見をいただいて、ほっとしました。
(休憩時間にたくさんの方々にごらんいただきましてありがとうございました)
花々や宇宙、星空の幻想絵画、妖精の幻想画、テンペラ絵画技法などを紹介するブログです
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新春のコンサートまで、あと三日です。ステージ上に投影される絵画と、流れ出す音楽の情景が脳裡をよぎります。
Marie PARRA-ALEDO氏から、フランス、リヨンの大学で、学生たちにこの絵画と音楽のコラボレーションのことをご紹介されたとのメッセージをいただきました。とても関心が寄せられたとのことでした。近い将来、このコラボレーションがフランスなどで実現するのも、夢ではないかもしれませんね。
きょうは、とりわけ流れるように美しい花吹雪の画面のメロディーを思い浮かべていました。マリンバとピアノの幻想的な響きが、地上を離れた吹雪の情景を浮かび上がらせます。この部分で、絵画が連作のように移り変わるのが、なおさら花吹雪の渦をダイナミックに描き出します。
「豊饒の精」
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あけましておめでとうございます! 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
新春のコンサートが迫ってきました。吉岡氏から連絡があり、画家の生の声をステージ上で聞きたいという方々がいらっしゃるので、是非一言とのこと。口下手のぼくのこと、せっかくのコンサートをしらけさせてはと、お断りしたかったのですが、吉岡氏がリードするので是非と懇切にお勧めいただき、腹を括ることにしました。
さてどんなメッセージをステージでお伝えしたらいいのか、初夢の床の中で考えました。あれこれ思う中、やはり自分がどうして絵を描く魅力の虜になっているか、それを端的にお話できればいいのではないかと思いました。
やはりなんといっても、かつて自分が作品の前に佇んで、心を奪われた体験が忘れられません。それがいつしか、自分でもそんな作品を実現したいという思いに変わり、その夢に向かっていろいろ工夫し、駆けてきたような気がします。ただの絵の具とキャンバスの混合体に過ぎない物質が、ある瞬間から作品としての不思議な力を帯び始める瞬間の魅力は、心を捉えて放しません。
しかも、それが人に伝わり、同じように、あるいは、自分でも思いがけないような姿と強さで感動を生み出すのを目の当たりにする喜びは、ほかには換えがたいものです。
昨年の三月の個展で、吉岡氏に拙作をご覧いただいたとき、氏の体が踊り出さんばかりに全身音楽で感じているのが伝わってきたのは、初めての強い驚きでした。それだけ氏の感性と、創造性に、深い信頼と本物である証明を見たきがしました。
そのようなことを、お伝えできれば幸いですが、うまくできるかどうか心配でもありますので、ここに記すことができたのは、よい機会だと思いました。
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昨日は長野方面での仕事があって、夕方からの冷え込みは身に沁みました。しかし、雪を頂いた美しい浅間山の輝き、白壁の蔵の多い街並みを歩くうち、その奥に秘められた温かい夢への憧れが、むしろ惹起されるようでした。
さて、吉岡孝悦氏が、拙作「椰子の胎内」に作曲して下さった曲は、清らかに流れるような夢の味わいを存分に醸し出してくれる素晴らしさです。私が抱いた素朴な亜熱帯の密林の奥に感じた素朴で原始の夢の響きを、さらに美しく増幅してくれました。
その音色が、一月六日、上野の東京文化会館のホールに響き渡ります。一回限りの幻想的な曲の流れに、息を殺して耳を澄ましたいと思います。
「椰子の胎内」(テンペラ幻想画 Yujin Koyama)
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幻想絵画と詩歌の交感
響け!「マルドロールの歌」Les Chants de Maldoror
新春のコラボレーション・コンサートに、ロートレアモン(Isidore Ducasse)の「マルドロールの歌」を想いました。
Marie PARRA-ALEDO氏が来日の際に、フランスからのお土産にいただいたGallimard版とGF-Flammarion版は、珠玉の宝物として、机の脇の書棚にはいつも置いています。
今日は特に、この毒気さえ帯びた深い叫びが心の中に響き渡り、新春のコンサートホールに響く幻想的な音色を強く喚起しました。
ニューイヤーコンサート(Collaborate with Music & Painting)
Takayoshi Yoshioka New Year Marimba Concert
2008年1月6日(日)14時開演(13:30開場)
東京文化会館小ホール
全自由席 前売り¥4000(当日¥4500)
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Yokosuka Museum and Kannonzaki(Kanagawa Japan)
マリンバとピアノによる幻想音の響きは、快晴の観音崎あたりの海と空に感じる音色と共鳴するようにも感じられます。
東京近郊ながら、亜熱帯の異国情緒漂う眺めを覆う空は、広いホールの天蓋に変わり、上野のホールで演奏される音楽がそのまま広がっていくように感じずにはいられませんでした。
(観音崎京急ホテルのロビーからの眺め)
まさに幻想美術館、横須賀美術館と、そこからの東京湾の眺め
ニューイヤーコンサート
2008年1月6日(日)14時開演(13:30開場)
東京文化会館小ホール
全自由席 前売り¥4000(当日¥4500)
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幻想絵画と小説との交感
きょうは、尾崎翠の「第七官界彷徨」の世界に思いを巡らせながら、近づきつつあるコラボレーションのコンサートについて想った。
各々個性的な勉強家が、一軒家の自分の部屋でそれぞれの世界を追求し、それと共に若い娘が、六感を超えた第七官の世界に自由に想いを馳せて彷徨う、心の奥に温かい夢と想像の卵を抱いてまどろむような小説空間。こういう緩やかにとぐろを巻くような時間が流れる小説は、たえず心の底に漂っていて、折に触れて心の水面に現れてくるものだ。
思えば、今回のコラボレーションにしても、各々別の世界をあちこち徘徊して追及してきた人たちが、ひとつのステージを触媒にして、新しい美の結合を作ろうとしている。それがどんな美になり、雰囲気に包まれるのか、未だに誰にもわからない。夏に石響のホールで演じられたことはあったが、今回は場所もホールの規模もまったく異なる。演奏家も画家も観衆も、一回限りの感覚の世界を共に彷徨うことになるのだ。そこには、六感を超えた新たな時空間が展開し始めるにちがいない。
Fantastic Art of Japan
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「幻想絵画と音楽の融合」
来春の絵画と音楽のコラボレーションが近づいている。日が迫ってくるにつれ、いろいろなことを考えるようになった。吉岡氏との偶然の出会いを通じて訪れた稀な体験と思うと、なおさら貴重な時間について、ためつすがめつ様々な角度から考えて、楽しみを噛み締めたくなる。
吉岡氏が、最初に拙作をご覧になったとき、まさに体から音楽があふれ出し、踊りだしそうなのが実感されたのは、絵を描いてきて初めての驚きの体験だった。--絵を音楽で(リズムやメロディー)で見る人がいる! --自然のことながら、特別の才能を持った人から印象的に発見させられた。思えば、絵を描くときに、発想の源に音楽に近い部分があることも感じた。
絵画と音楽を高いレベルで融合して演奏会に仕立て上げられるのも吉岡氏の才能だが、それが、かつての演奏会とは大きく隔たった感覚と興味を呼び覚ますることに、関心が引き付けられて止まなかった。たぶん、そこには、視覚と聴覚の融合が、美の感覚を相乗効果で呼び覚ますことがあるのだろう。
ステージは、視覚と聴覚の融合の壮大な実験の場となるのだ。観衆は、その新鮮さと、融合の実験の成否に息を呑んで見守ることになる。そこに興奮とかつてない美の感覚がかもし出される秘密の核心があるのかもしれない。
Takayoshi Yoshioka New Year Marimba Concert
Tokyo Bunka Kaikan(Ueno Toky Japan)
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新春の1月6日(日)に、上野の東京文化会館にて、音楽と絵画のコラボレーションが催されます。マリンバとピアノの演奏とともに、ステージ上に次々に映し出される絵画からあふれ出る音楽をお楽しみください。
新しい年の夢を彩る音色と画面になりますよう。
渦巻くような花の嵐に、マリンバとピアノのどんな音色を想像されますか?
「椰子の胎内」(テンペラ混合技法 F6号キャンバス)
椰子の胎内には、どんな音色が響くのでしょう? 意外と優しく清らかなメロディーが響き渡っているようですよ。
新しい年も、豊饒な光と希望に満ち溢れますよう、豊かな音色が彩ってくれることでしょう。
マリンバ : 吉岡孝悦 ピアノ : 中川俊郎 画家 : 田所一紘、 小山右人
2008年1月6日(日)14時開演(13:30開場)
東京文化会館小ホール
全自由席 前売り¥4000(当日¥4500)
チケット前売り
東京文化会館チケットサービス(03)5815-5452
ジャパンパーカッションセンター(03)3845-3041
ヤマハミュージック東京銀座店(03)3572-3134
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第39回日本芸術療法学会(花村誠一会長)のポスターに、拙作の「夜の想い」(油彩 10号Fキャンバス)をご採用いただきまして、誠にありがとうございました。
学会にご招待いただきましたことに、心より感謝申し上げます。花村誠一先生の長年のライフワークが凝縮した熱いご講演には、一言も聞き逃すまいと引き込まれて、大変感銘を受けました。心の奥深くにお話が進むにつれ、なぜか宇宙の物理学の理論を聞いているような錯覚さえふと覚えました。
「ベケット ライブ」等でご活躍の俳優 鈴木理江子氏のジョイスの小説等の朗読とコラボレーションする形でのご講演は、まさに言語の極限を極めた作家の心性を掘り下げながら展開されました。
日常生活や仕事、芸術面で日ごろ考えていることを、崩壊寸前の言語にまで解体して、もう一度様々な面から考え直す衝撃的な迫力のものでした。数日たった今も、折に触れて疑問だったこととお話の内容がぶつかり合い、新たな枝葉を伸ばす自問自答が続いています。
(絵画療法 アートセラピー)
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ちょうど十回目になる個展でしたが、由緒ある日本家屋のギャラリーというのは経験がなくて、初めてのような新鮮な体験でした。(10月18日~23日 GALLERY藍染にて)
たぶん、古典技法のテンペラ絵画と和室は良く合うだろうと、おぼろげにイメージしていましたが、実際に展示してみるまでは、見当もつかない部分もありました。
しかし、展示したときの写真をご覧ください。
Exposition Yujin Koyama
Gallery Aisome(Ikenohata Tokyo Japan)
Fantastic Picture of Japan
昭和六年に建築された日本家屋の温もりの中に、一日ごとに絵も溶け込んでいくような感じがしました。とりわけ、時間の移ろいの中で、庭からの外光を受けて、画面の色彩、絵の存在感も変わっていくのが、ビルの中の画廊では体験したことのない感動でした。
ギャラリーのご主人様に、細かいお心遣いをいただき、貴重な機会をお与えいただきましたことに大変感謝しております。また、ご来場いただきました皆様から、このような画廊での展示が意外で、作品とも雰囲気が合っていると、おっしゃっていただけたのが、何よりも嬉しかったです。
文学的情趣豊かな池之端の町に建つこの家屋について、十一月十日土曜日のテレビ東京、「出没アド街ック天国」で紹介されるそうです
「繁茂」(Exube'rance テンペラ混合技法 10号Mキャンバス)
今回の案内状に使用した作品です。沖縄にはじめて行って、植物や生命の繁茂に圧倒されたとき、なぜか子供のころ、貝殻や虫が宝物だったときのことを鮮明に思い出す、恍惚の体験をしました。
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「華の精」 F6号 テンペラ混合技法
9月16、17日に開催されました四ツ谷の「石響」ホールにてのマリンバとピアノとのコラボレーションには、厳しい残暑の中、二日とも満席のご来場を賜りまして誠にありがとうございました。会場は、大変な熱気と緊張に包まれ、私も、ずっと吉岡氏、中川氏の独創的な演奏に、身じろぎもせずに聴き入っておりました。
打ち上げ会がまた、個性の強い芸術家の言いたい放題の活気あるものになり、そっくりそのまま面白い小説の一場面にいるような感じでした。久々に楽しいパーティーに臨むことができました。
ご好評をいただき、このコラボレーションは、来年の1月6日に、上野の東京文化会館でも開催されることになりました。その際にも、是非よろしくお願い申し上げます。
さて、往年の文豪たちが歩き集った文学的情趣の濃い街、上野公園や不忍池に近い池之端の「GALLERY藍染」での個展も迫ってまいりました。昭和初期に建てられた由緒ある日本家屋のギャラリーで、どうぞおいしいコーヒーを召し上がりながら、いっときテンペラ絵画をお楽しみ下さい。
「小山右人個展」
三四郎の歩いた道、池之端の文学的由緒ある日本家屋での個展です。
歴史的日本家屋にしっくりのテンペラ絵画と、物語世界に乞うご期待!
2007年10月18日(木)~23日(火)
10時~18時(最終日17時まで)
GALLERY藍染(東京都台東区池之端4-14-2)
Tel 03-3824-1504
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マリンバとピアノが繰り広げる演奏のステージに大写しにされた絵画から音楽が流れ出します。普通の演奏会とも展覧会とも異なる、コラボレーションまで、もう一月を切りました。ぼく自身も、胸躍る思いです。
開催中のグループ展、コラボレーション、個展のご案内です
「Melody of Colors2」展
松岩邦男氏企画のグループ展 2007年8月20日(月)~26日(日)
12時~19時(最終日16時)
Gallery銀座一丁目 (東京都中央区銀座1-9-8奥野ビル4F)
Tel 03-3535-0522
「Marimmba in Gallery」
吉岡孝悦氏のマリンバ、中川俊郎氏ピアノ演奏による、絵画の中から音が溢れる絵画と音楽のコラボレーション。
ステージ上に大写しになった絵画作品から、演奏とともに音楽があふれ出す眺めは圧巻です!
2007年9月16日(日)、17日(月・祝)
音楽会16時~17時45分
コア石響(東京都新宿区若葉1-22-16 最寄り駅は四ツ谷)
チケット前売り3000円 (当日3500円)
予約・問い合わせ コア石響 Tel 03-3355-5554
「小山右人個展」
三四郎の歩いた道、池之端の文学的由緒ある日本家屋での個展です。
歴史的日本家屋にしっくりのテンペラ絵画と、物語世界に乞うご期待!
2007年10月18日(木)~23日(火)
10時~18時
GALLERY藍染(東京都台東区池之端4-14-2)
Tel 03-3824-1504
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「夢幻」F6号(テンペラ技法)
「Melody of Colors2」展
松岩邦男氏企画のグループ展 2007年8月20日(月)~26日(日)
12時~19時(最終日16時)
Gallery銀座一丁目 (東京都中央区銀座1-9-8奥野ビル4F)
Tel 03-3535-0522
「Marimmba in Gallery」
吉岡孝悦氏のマリンバ、中川俊郎氏ピアノ演奏による、絵画の中から音が溢れる絵画と音楽のコラボレーション。
ステージ上に大写しになった絵画作品から、演奏とともに音楽があふれ出す眺めは圧巻です!
2007年9月16日(日)、17日(月・祝)
音楽会16時~17時45分
コア石響(東京都新宿区若葉1-22-16 最寄り駅は四ツ谷)
チケット前売り3000円 (当日3500円)
予約・問い合わせ コア石響 Tel 03-3355-5554
「小山右人個展」
三四郎の歩いた道、池之端の文学的由緒ある日本家屋での個展です。
歴史的日本家屋にしっくりのテンペラ絵画と、物語世界に乞うご期待!
2007年10月18日(木)~23日(火)
10時~18時
GALLERY藍染(東京都台東区池之端4-14-2)
Tel 03-3824-1504
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「孵化(Eclosion)」(テンペラ混合技法 変形60号キャンバス)
今年三月の「ぎゃらりぃ朋」での個展にご来場いただきました皆様には、心より感謝申し上げます。その後次々にお誘いやご縁が広がり、個展やコラボレーションの予定が決まりましたことを大変うれしく存じております。ご好意にたがわぬよう、今後も細心の努力を積み重ねてゆきたいと思っております。何卒宜しくお願い申し上げます。
今後の出品展覧会
「Melody of Colors2」展
松岩邦男氏企画のグループ展 2007年8月20日(月)~26日(日)
12時~19時(最終日16時)
Gallery銀座一丁目 (東京都中央区銀座1-9-8奥野ビル4F)
Tel 03-3535-0522
「Marimmba in Gallery」
吉岡孝悦氏のマリンバ、中川俊郎氏ピアノ演奏による、絵画の中から音が溢れる絵画と音楽のコラボレーション。
ステージ上に大写しになった絵画作品から、演奏とともに音楽があふれ出す眺めは圧巻です!
2007年9月16日(日)、17日(月・祝)
音楽会16時~17時45分
コア石響(東京都新宿区若葉1-22-16 最寄り駅は四ツ谷)
チケット前売り3000円 (当日3500円)
予約・問い合わせ コア石響 Tel 03-3355-5554
「小山右人個展」
三四郎の歩いた道、池之端の文学的由緒ある日本家屋での個展です。
歴史的日本家屋にしっくりのテンペラ絵画と、物語世界に乞うご期待!
2007年10月18日(木)~23日(火)
10時~18時
GALLERY藍染(東京都台東区池之端4-14-2)
Tel 03-3824-1504
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