夏の夜はハンモック 揺れる感覚の解放感 QOLクオリティー・オブ・ライフが一気にアップ
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ポンペイ遺跡のバーチュアル美術館と初蝉の声
夕立の後、庭から初蝉の声が聞こえてきました。俳句を考えていた父は、この句を作らねばと、想を練り始めた様子。
小生は、PCでポンペイ遺跡のバーチュアル美術館の様子をフランスTVで見ていました。こうも幻想の領域をバーチュアルなハイテクで侵されていくと、自分の仕事の領域も狭くなっていくな、などと思っている折でもありました。
さすがに歴史的な繁栄の古代都市の再現ですから、幻想芸術的にも見ごたえのあるものでした。
そこへ、ふいに庭から聞こえてきた油蝉の声は、どこか遠く懐かしい世界から響いてくる音にも一瞬聞こえました。
次回の「小山右人個展」
来年(2009年)2月11日~2月21日ぎゃらりぃ朋(東京 銀座)での個展の新たなテーマです。水面を中心に、その上空や、深層で繰り広げられる様々の生命の形の変幻自在をお楽しみに!
「水面翔る」(みなもかける テンペラ混合技法キャンバス10号M)
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大正の鬼才ー「河野通勢」展(渋谷区立松涛美術館)Kouno Michisei に行ってきました。
画家自身、独自の技法を磨いて自信を持っていたとのことで、新発見の一連の作品には興味深く楽しめるものがありました。
静物や風景、人物画に、基礎的な技術力と個性が滲むのを感じました。私はとくに独特の細密銅版画と、一部の想像力を駆使した油彩に惹かれました。
「竹林之七妍」と題した十号ほどの油絵は、もっとも興味を引かれた作品でした。竹林を背景に、西洋東洋の美神が、独自の風俗の衣装で細密に描かれている幻想性に惹かれました。もしこの路線で、この画家がたくさんの作品を残していたら、大画家として称せられていたことでしょう。しかし、この一点だけでも、いっとき別世界に遊ぶ時間を楽しむことができました。
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昨日は友人の教授就任祝いで、東京會舘でにぎやかな祝宴でした。
打って変わって、今朝は柳田国男の「遠野物語」に読み耽る静かな日曜日のいっときとなりました。故郷の街で半分過ごしている今、広い海、田、山の中に潜むたくさんの神話や語り伝えを身近に感じるようになったせいもあるかもしれません。
遠野の地に伝わる妖怪変化の物語を読み進むうち、何もない広い野や山で、ふいに出くわすような白昼夢さながらの幻影が、語り伝として書き綴られている具象的な姿には驚きと感動すら覚えるものがあります。--例えば、「猿の経立」(さるのふったち)とかいって、松脂を毛に塗り、砂をつけて銃弾をも受け付けないような怪物が、童を脅す言葉になっているような話などには、思わず幼少期、悪いことをすると得体の知れない怪物にさらわれるなどと散々聞かされた話を思い出したりしました。
文章に喚起された力に引かれ、遠野を訪れるのは、今年中になると思います。広い野山に、さぞたくさんの妖怪たちが騒ぐことでしょう
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最近ギリシャを旅してきた知人に、サントリーニ島の美しさを聞かされ、一度は行くように強く勧められたので、夢が膨らんでいます。知人が言うには、静かな海に映える夜景は、筆舌に尽くしがたく、この世のものとも思われないほどだとの熱の入れようです。
そこまで自信を持って勧められると、さすがにいつかは行ってみたいと、一つの目標を与えられたような気にもなります。さっそく何枚か写真を見てみましたが、さすがに起伏の多い絶景の土地と、美しい建物、街並みの島のようです。
いつ行けるかはわかりませんが、夢の場所が一つ出来たことは嬉しいです。夢見、幻想し、それを膨らませて作品にするのが仕事のようなところがありますから、実際に行ってしまったら、せっかくの夢が消えてしまうかもしれません。
憧れの島に見る夢は、きっと次の作品のどこかに姿を現すにちがいありません。私がサントリーニ島を訪れるのは、飽きるほど夢を見切ってからにしようなどと、熱く語られるほど少々構えながら思っています
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六本木の森美術館で開催中の「ターナー賞の歩み」展を見てきました。
予備知識も全然なしに、ただ「ターナー」と冠してあるのでイメージだけで飛び込んだのですが、予想外の展示に、ショックというか、失望的驚きを感じたというのが正直なところかもしれません。
英国でも、 日本やアメリカと同時代的に似たようなコンセプチュアルアートが進展していたのですね。三十年余り前になりますが、意気盛んな先輩画家が、ラウシェンバーグやイヴ・クラインなどの写真を誇らしげに見せてくれた当時、新しい挑戦に胸躍ったことを思い出しました。
そして次々に新しい試みや画家が日本でも輩出して、画廊巡りが新鮮だったのを思い出します。しかし、鋭い試みで時代を切り開いていくのも、一回限りで、鮮度がみるみる落ちていく哀しさも、肌身に実感したときでもありました。どこの画廊に行っても、「いつまで似たような訳のわかんない石ころがごろごろしてんだろう」と溜息が漏れた頃もありました。
今回の展示の目玉らしい、親子の牛を、体の真ん中からぶった切りにしてホルマリン漬けにしてあるデミアン・ハーストの「作品」も、ある意味、残酷でショッキングな展示に限界的行き詰まりのようなものを感じました。「なにも、こんなに可哀想な展示をしなくたって、画家なら自分の筆力で、何倍もインパクトのある表現ができるだろうに」という批評が起こるのは必定だと思います。ぼくも、そちらの方に組すると思います。遠い昔、レオダルド・ダ・ヴィンチが、性交している男女の断面的解剖図を描いた方が、はるかに強烈なコンセプトを伝えてくるのが、逆説的に印象的に甦りました。
ぼくにとって、現代アートが、時代を切り開く胸躍らす展開であったときから、退屈極まりない古物に変わっていく、自分の内面のアート史を見るようなきっかけにもなったといえるかもしれません。
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「小泉孝司」作品展(電通恒産画廊 銀座) 私が氏の個展を見たのは、もうずいぶん前(たぶん1994年ころ)だと思うけれど、強く印象に残っている。不条理の空間を思わせる、主に室内が、柔らかなタッチで、多彩な光線も交えながら描かれていた。
例えば、螺旋階段に、四脚のテーブルが引っかかっているだけの構図なのだけれど、その空間と物との関係が、カフカの小説さながら、覚めながら夢見ているような不思議な感興に誘い込む。
がらんとした板床の室内に、窓から斜めに射し込む光線が作る色彩の虹色で鮮やかな反映は、フェルメールの窓辺に佇む娘に射す光を髣髴させもする。しかし、それとは一風変わって、光線独自が意味を持って、室内を光の舞台へと変質させる。そこに広がる空間の不条理と、光との関係を際立たせるのだ。
個展のときいただいたカードは、貴重な宝になっている。
「勝 国彰」展(ぎゃらりぃ朋 銀座 及びBunkamura Gallery 渋谷) 今や無名の画家から一躍有名画家になった氏の噂は、伝説のように銀座のあちこちで語られているが、私も身近なところで、氏と作品を拝見してきたので、一々興味深い。
細密画の技術の巧みさ、色彩のコントラストの絶妙さ、何やら異界の物語を思わせる人物や異形の妖怪たちとの絡み、いずれを取っても、隅々まで飽きさせるものはない。
氏が、絵のためにあらゆるものを犠牲にし、極貧に耐えて作品に込めてきた祈りがそこからは滲み出している。
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暑くも寒くもないちょうどよい陽気、仕事の後に銀座の画廊巡りをしようと思いました。が、あいにくの雨に、デパートに駆け込みました。
「honokaのエメラルド原石ジュエリー展」 目的の絵ではなかったけれど、偶然出会ったエメラルドの原石をふんだんに使ったジュエリー展には驚きました。幻想的で、深みのある、まさにエメラルドグリーンの味わいに酔いました。これだけ存分に見せられると、目からたっぷり栄養を与えられたような豊かな気持ちになるのも不思議です。いろいろな形をした自然の力の趣くままの黒蝶真珠もよかった。
「鈴木睦美漆器展」 さすがに熟練の風格を感じます。広い会場を充たす漆のほのかな香りにも惹かれます。大きな朱塗りの器に、金色で星座が描かれていたりして、大きな宇宙も感じました。
絵画のよい展覧会には巡り会えませんでしたが、豊かな気分になったことは確かです
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ウィリアム・ブレイクの詩の朗読始まる静かな日曜日となりました。慌しい日常とかけ離れた時間の流れの中に引き込まれます。
今朝は、「無垢の及び経験の歌」(梅津載濟美 訳)を読みました。
どの美術館の展覧会だったか忘れましたが、「あわれみ」の水彩画は印象的で、いつも身近に置いています。紺の背景の深さ、天使の手に抱かれたキューピットの愛らしさ、流れるような衣に解け込んだ白馬、哀しげに横たわり祈りを捧げる少女・・・
この絵の神秘も、心の底に流れ続けています
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「貴和皓山」KIWA KOZAN作陶展(松屋銀座美術画廊)平成19年1月 貴和曜変茶碗の魅惑
特に陶器には造詣がなかったけれど、個展を見て驚きました。茶碗の底にも広大な宇宙が現れているのには感動しました。前年の同展も素晴らしかったです。
パリの美術館でも特別展が催されたようですが、頷けます。
「チェ・ウラム」CHOE U-RAM展(森美術館ギャラリー2)2006年3月~5月
メタリックアートもいろいろあるけれど、こんなに幻想的に昆虫や、空想の生物を精緻でメカニックに作り上げている作品に出会ったのは初めてでした。特に、ゼリー状の液体の中で、海蛇のような金属の生物が、妖しい七色の光を反射しながら身をくねらせている幻想性は、今でも時々思い出します。
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よく持ち歩いている本の一つに、Collection Folio の[L'etranger] Albert Camus があります。フランス語がとても平易で滑らかで、ちょっとした時間の隙間に読むと休まります。
カミュといえば、かつて大学紛争のころは、学生たちの集まりでよく議論されたのを覚えています。日本では、あのころいちばんよくよまれていたのではないでしょうか。「異邦人」の映画もあって、海の場面がとても鮮やかだったのが印象に残っています。
そんな懐かしさもあって、擦り切れてしまったこの本を、よく胸に忍ばせています。
しかし、フランスでは、相変わらず根強い人気のようで、文化の番組ではほとんど毎日といっていいくらい話題に上ってくるので、少し驚いています。「カリギュラ」も人気があるようですね。
その辺を考えながら、また読み直してみたいと思っている今日この頃です
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街には温かい日差しが降り注いでいます。日本海縁の故郷の街を、往診で歩きました。
どの家の前にも、花々が溢れています。真っ白な除虫菊が庭いっぱいに咲いたお宅、バラや名も知らない紫、ピンクの花など、一番美しい季節です。
前庭で飼われているメダカや金魚を見ると、子供のころが懐かしくなります。小学校からは、元気な声が響いてきます。
玄関脇の庭で、亀がぬうっと首を伸ばしたおじいさんのお宅では、枕元にいつもぶちの猫が寄り添っています。心配そうに、時々おじいさんの頭を舐めます。猫は、仲間を癒そうとするとき、舐めてあげるんだそうですね。きっと、おじいさんを励ますつもりなのかもしれません。
皆、しっとりと海辺の土と穏やかな風と生き物たちと解け合っている感じがします。故郷の街を、しみじみと実感するときです。
海岸で拾い集めた貝殻など。
これらも机上のコレクションになるでしょう。
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「夢幻のイストワール」展も無事に終了いたしました。たくさんの皆様のご来場を賜りまして、誠にありがとうございました。彩鳳堂画廊の社長様、職員の皆様には大変お世話になり、心より感謝申し上げます。
初日が偶々小生の誕生日に当たり、画廊からも、お集まりいただいた友人の皆様からも祝杯をあげていただきまして、喜びも倍加いたしました。
初日と最終日しか画廊に居ることができませんでしたが、それでもたくさんのご意見とコメントをいただき、貴重なインスピレーションを得ることができました。次の個展は、来年の三月に「ぎゃらりぃ朋」(銀座一丁目)にて予定しております。お蔭様で、その展覧会に向けて、構想も少しずつ動き出しております。
Ciel様、素敵なコメントもいただきまして、大変ありがとうございます。絵の中の人物や生き物に関心を示されているご様子、作者にもイメージの刺激として直に伝わってきました。次々に新たなイメージも展開するようです。きっと次には、もっと面白い作品をご覧いただけると存じます。そのように頑張りたいと、大いに力をいただきもしました。お楽しみに!
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「夢幻のイストワール」展 開催中です。
初めての画廊で、しかも銀座の真ん中の老舗画廊での展覧会とあって、新鮮な緊張を覚えています。三人の幻想画家は、どこか似通っているようにも見えますが、実は個性は大きく違っています。広い画廊に展開した三人の作品をご堪能いただければ幸いです。
私は、沖縄の八重山諸島を旅して感じた亜熱帯の幻想を中心テーマに出品しています。マングローブのジャングルに、夕暮れ時こだます不思議な鳥の鳴き声や、暗黒の川面に反射する星空は、湿気の多い風の奥に潜む神秘を感じさせました。
2008年5月13日(火)~5月24日(土)日曜休み
彩鳳堂画廊(東京都中央区銀座6-7-7)
TEL 03-3575-0960
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「夢幻のイストワール」展(彩鳳堂画廊:銀座)が近づいてきました。(2008年5月13日~24日:日曜休廊)これまでの個展で発表してきた作品の集大成のような展示になると思いますので、是非ご高覧賜れれば幸いです。
「夢幻」(キャンバスF6号)