小説と絵の冊子が実現しましたーー幻想小説と幻想絵画の画本「孵化」小山右人と有人

小説と絵の冊子が実現しましたー幻想小説と幻想絵画の画本「孵化」小山右人と有人

 以前の記事でも書いた短編小説と絵画を合わせた画本ですが、ようやく実現の運びとなりました。

 小説と絵を合わせた本の制作は、かつてからの念願で、思い通りに実現したかったので、出版社には頼まず、自ら作ることにしました。Photo_2

 さて、小説の原稿も絵の写真も、すべてデータに入っているのに、近頃の印刷事情はとても複雑なことを知らされました。これをさらに印刷会社に合ったソフトに入れ替えなければなりません。この単純そうな作業を、どこも引き受けてくれないのには驚きました。もし頼むと、法外な金額を請求されます。

 思わぬところにネックがありましたが、やはり探せば応えてくれるところがあるものです。それにしても、やっとたどり着いたという感じです。なんと商売気のない業界でしょう!

 内容ですが、自分が絵を描いたり小説を書いたりする創造性のエネルギーがどこから来ているのか? 展覧会中にもよく尋ねられる質問ですが、一言では難しく、物語で表すのがいちばんと、かねてより思っていました。

「孵化」というのは、まさに創造性のエネルギーが爆発的に放出される瞬間を象徴しています。葛藤のエネルギーを溜め込んだ主人公の物語のクライマックスで、この爆発的放出は起こります。

 小説と絵は、ほぼ同時進行で制作されました。二重奏、あるいはコラボレーションの作用で、より表現が浮き彫りになると思います。

 この冊子は、来年(2010年)11月~12月の個展にご来場いただいて希望された方のみに差し上げます。もちろん無料です。一般の販売は行いません。

 芸術家の気まぐれですが、お楽しみに、大切になさって下さい、もしや稀観本となりますことを夢見つつ・・・

 

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大場冨生(おおば とみお)木版画展ーー幻想絵画的な雰囲気とテンペラ画の絵肌ーー松屋銀座美術サロン

大場冨生(おおば とみお)木版画展ーー幻想絵画的な雰囲気とテンペラ画の絵肌ーー松屋銀座美術サロン(平成二十一年十一月四日~十日)

 木版の木の温もりがよく出ていて、とても雰囲気のある作品です。最初、思わずテンペラ画かと思ってしまったほどです。Photo

 略歴によると、氏は岩手県の出身で、スパニッシュソウルギタリストとのこと。東北の温もりと、ラテンの音色が響き合うような空気が、そういえば画面からは漂い出しています

 写真の作品の中からも、宮沢賢治の想像世界が溢れるような感じがしました

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英 一蝶(はなぶさ いっちょう Hanabusa Ichou)--島流しの刑にも耐え、元禄の江戸に返り咲いた吉原の粋人画家・宝井其角とも親交のあった俳人・文人画家

英 一蝶(はなぶさ いっちょう Hanabusa Ichou)--島流しの刑にも耐え、元禄の江戸に返り咲いた吉原の粋人画家・宝井其角とも親交のあった俳人・文人画家

 最近展覧会のあった、元禄時代に江戸、吉原を中心に活躍した画家・英 一蝶の生き様に感銘を覚えました。

 吉原の座敷で幇間(ほうかん 太鼓持ち)として人間の機微に通じて活躍していた一蝶は、宝井其角とも親交が篤く、俳句を詠んで文芸にも通じていました。狩野派の厳しい画法を学んだ一蝶は、やがてその枠に収まらなくなり、飛び出して独自の風俗画を展開していきます。民衆の生活の一断面をユーモラスに生き生きと捉えた作品が次々に描かれていきます。

 菱川師宣を越えようという意気込みが、若いころの手紙からは窺えます。「朝妻船」などの唄も大流行し、白拍子の絵も歌詞とともに描きました。

 そんな一蝶を襲った最大の危機は、四十七歳のとき、時の将軍綱吉の「生類憐みの令」を揶揄したというほとんど濡れ衣の罪で流刑に処せられたことでした。Photo

 江戸から百八十キロ離れた三宅島の阿古地区に流された一蝶は、それでも半年後には、他の島の神社からの依頼に応じ、絵を描き始めます。江戸で名を馳せたこの画家を、新島の梅田家は庇護するようになります。流罪の身ながら、こうして一蝶は、足掛け十二年を生き延びることが出来、苦境の中でも「四季日待図鑑」などを物します。

 御赦免を得て江戸に返り咲いたときには五十八歳になっていました。英一蝶という名前も、そのとき銘銘したものです。そこから七十三歳で亡くなるまで活躍したのですから、大変なものです。Photo_2

 最近知ったこの画家を、もっと好きになりそうです。その生き様と闊達な描写から、より有名になっていく画家だとも思いました

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谷川水系の、生と死の境をふと感じさせる眺めーー谷川水系に魅せられた画家・犬塚勉(いぬづか つとむ)

 谷川水系の、生と死の境をふと感じさせる眺めーー谷川水系に魅せられた画家・犬塚勉(いぬづか つとむ)

 何年かに一度、谷川水系を歩きに出掛けます。

 登山と観光の季節をはずれると、ここにはほとんど人影もありません。そして、険しい自然が、そのままむき出しになっています。

 それだけに、都会ではまず味わえない新鮮な自然の表情とここでは出会えます。東京からもさほど遠くなく、深いところで人を魅了し続けている所以だと思います。

 天神平へ向かうロープウェイからも、山肌が深くえぐられ樹木がなぎ倒された雪渓を望むことが出来ます。高原の霧は肌に沁み、さわやかです。Rimg0206

 麓の殺伐とした渓流沿いには、吸い込まれそうな滝が姿を現し、淵に立つと足がすくんで、まさに滝壺に飲まれそうな眩みを覚えます。

 土樽の駅には、地下ホームへ通じる数百段の階段トンネルがあり、夏でも冷たい霧に充たされています。無人のホームに、深い霧の中から列車が現れる光景は、幻想的以外のなにものでもありません。Rimg0286

 こんな風景に、画家が魅せられないはずもありません。自然の奥深くに潜む魂まで感じ取って、植物や岩の細部まで描き続けた犬塚勉が、谷川水系の魅力に惹かれるあまり命まで失う危険を冒した気持ちも、十分に了解できますRimg0302

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短編小説「孵化」と絵を合わせた画本制作にとりかかりました

短編小説「孵化」と絵を合わせた画本制作にとりかかりました(小説と幻想絵画の融合)

 「孵化」と題した三面の幻想絵画を2007年の個展(ぎゃらりぃ朋・銀座)で発表しました。

 この幻想物語ふうの絵画とほぼ同時に、同じ題の短編小説の執筆が進行していました。いずれ短編小説と絵画を融合させた画本を作ることが夢でした。このたびその仕事に着手しました。

 何やら物語風な絵画にどんな意図が込められているか、ご来場の方々にはしばしば尋ねられましたが、一言で説明するには難渋しました。しかし、作者の意図が正確に伝わらなくても、ご覧になる方の自由な想像の広がりを、傍にいて実感することもできました。それがまた絵画の妙味でもあります。

 マリンバ奏者で作曲家の吉岡孝悦氏のインスピレーションで、音楽に翻訳され、コラボレーションも実現しました。コア石響や東京文化会館のホールで、ステージ上のスクリーンに大きく投影され、絵画の中から音楽があふれ出しました。Photo

 音楽家の感性は敏感で、コラボレーションを先取りしていたのかもしれません。その点では、元々絵画と小説のコラボレーションを目指していた作品だったといえるのかもしれません。

 おおよその体裁は写真のようで、早ければ年内、遅くとも来年11月の個展にまでは仕上げたいと思います。是非ご希望される方のみに差し上げたいと存じます。ご来場のときにお申し付け下さい。Photo_2

 

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禁酒・断酒への意外な関心

禁酒・断酒への意外な関心

(禁酒・断酒の参考書籍)

禁酒、断酒の参考書籍

 最近、思い切って晩酌も、宴会での飲酒もいっさい止めることにしました。適度な晩酌は、むしろ長生きをもたらすというのは事実で、よく知られたことです。しかし、この適度が曲者で、美味しいお酒がいつのまにか増えていくのを止められなくなっているな、と日頃気にかけていました。

 ワイングラス一杯が、ボトル半分になり、それも徐々に越えていくという具合に。そうすると、夜中に気分が悪くなって目覚めたり、寝起きに頭が重かったりと、アルコールの悪影響が日常化しつつあるなとも感じていました。いつか止めなければ! その思いは常にあったような気がします。

 今年の八月、ついに決心してぴたりと止めました。一滴も飲まなくなりました。たいして苦にもならなかったので、さほど量が増える手前だったのだと思います。口さびしいときには、野菜ジュースを飲むことにしました。

 私の場合、睡眠も快適になったし、朝型の大事な時間にも頭がすっきりして仕事がはかどるし、身軽になったような気もします。

 次のハードルは宴会でした。集まりや同窓会で、ジュースを飲んでいると、皆、どうしたの? と不審げに訊いてきます。酒を止めたんだというと、体でも壊したのかと訊いてくる人が多かった。昔のワルな連中が、強引に酒を勧めてくるのでは、という場面も想定していました。

 しかし、意外にも、かつての元気一杯のワルたちも、出世していたり、偉い社長になっていたりして、自分の健康管理には人一倍関心が高いのに気づかされました。「よく止められたな」とか、「止めたらどんな気分だ」とか、自らも飲みすぎている不安は常々抱いている様子です。

 同窓会では、一次会から二次会まで、禁酒、減酒の話題がしょっちゅう浮かんできて、日々の生活の中で、漠然と、しかし意外にも常に不安と関心の的になっているのだと驚かされました。

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「内田繁の厨子・新しい祈りの形」展(松屋銀座デザインギャラリー)と石田亘・征希・知史 パート・ド・ヴェール作品展(和光本館 銀座)

「内田繁の厨子・新しい祈りの形」展(松屋銀座デザインギャラリー)と石田亘(わたる)・征希(せいき)・知史(さとし) パート・ド・ヴェール作品展(和光本館 銀座)

内田繁の参考書籍

 銀座の近くで仕事があったので、昼休み、駆け足でしたが興味深い展覧会に出会うことが出来ました。

 一つは、内田繁(うちだ しげる Uchida Sigeru)氏の「厨子(ずし)」の展覧会。Photo

 単純な黒っぽい箱のようですが、内部は精緻に計算された構成の、金箔の祭壇のような階段になっています。そこに置かれた素朴な陶器とか植物の枝が、神聖な雰囲気をかもし出します。

 たしかに魂が籠もる感じがして、手を合わせたくなる空気を含んでいます。創造的なデザインの力で、これだけの不思議さが作れるものなのだと感銘を覚えます。

 もう一つは、石田亘(わたる)・征希(せいき)・知史(さとし)氏のパート・ド・ヴェール作品展。

 和光本館のショーウィンドーの中で、精密な紋様のガラス細工が目を引きました。思わず会場まで足を延ばしました。作者にお話を伺えたのも、幸いでした。Rimg4187

 なんでも、メソポタミアの古代のガラス細工技法を受け継ぎ、京都の工房で、ご家族で新しい和の独創的技法とデザインを加えて制作されているとのこと。なるほど、粉ガラスの素材から、柔らかく、和紙の感触さえ感じられるガラス細工には新鮮な驚きを覚えます。Rimg4192

 作品が完成するまでには、手の込んだ工程が幾重にもあり、大変手間のかかるお仕事とのことでした。

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パリ個展1978年 Exposition a Paris

パリ個展1978年 

 古い写真を整理していると、パリの個展が蘇ってきました。
 1978年のことで、もうだいぶ昔という範疇に入ってしまうようになりました。Photo
 当時は日本がアジアの中で先進国として頭角を現し始めた頃です。
 地球温暖化などという言葉もありませんでした。冬にはパリにも、ちゃんと雪が降りました。
 冷たい雪に足がずぶ濡れになって、個展準備に街を駈けずり回ったのを思い出します。Photo_2
 巻いて送ったキャンバスを空港貨物室に取りに行き、額用の角材をデパートに買い求めに行き、大工道具をそろえ、二日徹夜で展示に漕ぎつけました。今思えば、若さの体力としか言いようがありません。
 写真からは、少しだけ古いパリの面影が窺われるかもしれません。Photo_3
 何気なく記念に撮った写真が、こんなふうにネット上に蘇ろうとは、当時、想像することができたはずもありません。

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「真珠の風満帆」(Yujin Koyama テンペラ混合技法 F6号キャンバス)幻想絵画の作品です

「真珠の風満帆」(Yujin Koyama テンペラ混合技法 F6号キャンバス)

テンペラ技法の参考書籍

 真珠の海の風を体いっぱい受け止めた感覚の一つの結晶です。伊勢の英虞湾(あごわん)の美しい眺めや、航海で受けた風の感覚は、なお新鮮です。Photo

 夏の間、粉絵の具を使うためクーラーが使用できず、能率ががた落ちでした。難産の末、小品を少し大きめの6号に描くことが出来ました。少しずつ、また新たな方向に動き出しつつある予感もしています。

 もし、今計画中の熊野古道への旅とつなげて、より感覚の飛躍と深まりが得られれば、と期待と夢もふくらんでいます。

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自殺予防マニュアル:だれにでも出来ることからまず:うつ状態・うつ病の早期発見と対応の指針:日本医師会編及び自殺予防マニュアルの書籍紹介

自殺予防マニュアル:だれにでも出来ることからまず:うつ状態・うつ病の早期発見と対応の指針:日本医師会編及び自殺予防マニュアルの書籍紹介

 最近、自殺予防デーがありましたね。日本でも毎年三万人以上の自殺者があり、大変残念なことです。
 悲しい結果に至らないためにはどうすればいいか、目に止まったマニュアルがありました。これならだれにも出来、とても有効性があると感じられました。
 カナダの自殺予防グループが「TALKの原則」とまとめているものです。TALKというのは、Tell,Ask,Listen,Keep safeの頭文字をとったものです。

Tell:あなたのことを心配しているということをはっきりと言葉に出して伝えます。

Ask:自殺のことをうすうす感じているならば、はっきりとその点について尋ねてください。真剣に対応するなら、それを話題にしても危険はなく、むしろ自殺予防の第一歩になります。

Listen:傾聴です。絶望的な気持ちを真剣に聞きます。

Keep safe:危ないと思ったら、その人をけっしてひとりにしないで、安全を確保したうえで、必要な対処をします。危険だと考えられる人については、確実に精神科受診につなげてください。

 迷ったときに、この指針は大変役に立つと思います。だれにでも、身近で起こり得ることです。
 深刻な事態でなくても、こんなふうに温かく接してもらえたら、少し落ち込んでいるときや、めげているとき、元気になれそうだと実感できませんか?
 他人事のように感じていたり、手をこまねいている方に、この記事が少しでも役に立てば幸いです

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自殺予防マニュアルの書籍

うつからの脱出 参考書籍

うつ病の参考書籍

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人はなぜ危険を冒してまで聖地を目指すのでしょう?ーーいにしえの熊野古道ーー「熊野古道」小山靖憲著 岩波新書

人はなぜ危険を冒してまで聖地を目指すのでしょう?ーーいにしえの熊野古道

 今年の五月にお伊勢さんに参詣に行ったとき、参道の蔵を改造したギャラリーで、偶々
熊野の写真展を見ました。(「日本人の心 神宮の森」写真家 森武史 五十鈴蔵 おは
らい町通り・赤福本店横)

熊野古道の参考書籍

 霧に包まれた鬱蒼とした山々や、神木への人々のただならぬ畏敬の念が、写し出された
蔵の中には古い日本の心の原点が充ちているのを感じました。薄暗い空間に、神木の太い
幹が佇んでいたのも迫力がありました。
 
 旅程に余裕がなく、熊野まで足を延ばせなかったのが、心残りになっていました。この秋
か、近いうちにぜひ訪れてみたくて、少しずつ準備を進めています。

「熊野古道」(小山靖憲著 岩波新書)は、歴史の紹介と同時に、いにしえの人々が、いか
に危険を冒してまで聖地を目指したか、一緒に困難な旅を共にするような面白さで読むこと
ができました。
 とくに興味深かったのが、藤原定家でした。歌人も、天皇の御幸に伴って、歌会を開き
ながら険しい道を病と悪天候をおして聖地を目指したのですね。
 藤原定家の有名な日記「明月記」に、その様子が詳しく記されています。雨風に打たれ、
病弱な体で駕籠に揺られていく姿は、悲惨でさえあります。おそらく尿道の具合も悪かっ
たのでしょう、排尿もままならず苦しんだようです。そんな状態でも歌会だけはりっぱに
取り仕切ったそうですから、やはり偉大な歌人はちがいます。
 「明月記」で思い出すのは、私も自分の小説「マンモスの牙」の中で熱く書いた記憶が
あります。夜空に見慣れない明るい星が輝くのを、藤原定家は驚きを込めて書き止めてい
ます。それが、超新星super-novaの出現だったのですね。いにしえの夜空は、肉眼でも
新星が見分けられるほど澄んでおり、日記が一級の天文観察の記録になったのですから、
驚かされます。
 熊野古道は、天皇や貴族が参詣しただけではなく、「蟻の熊野詣」という言葉にも象徴
されるように、広く庶民にも開かれ、多くの人がご利益を願って参った聖地です。その細
かな歴史やゆかりの道や土地柄などについて、基礎知識が要領よくまとまっていて、すん
なり読むことが出来ました。
 より親近感と興味を覚え、熊野古道への夢はふくらんでいます。

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月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ 我が身一つの 秋にはあらねど 大江千里(おおえのちさと)ーー日曜の月夜、東京の街にも秋祭りの笛太鼓が響き渡りましたーーハンモックに揺られて見る月の幻想画像

月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ 我が身一つの 秋にはあらねど 大江千里(おおえのちさと)ーー日曜の月夜、東京の街にも秋祭りの笛太鼓が響き渡りましたーーハンモックに揺られて見る月の幻想画像

 夜になるとようやく涼しくなってきました。猛暑の間は、夜間でさえ外出はおっくうでしたが、月を眺める余裕もできました。

 さて今年はじめてハンモックを引っ張り出してきて、屋上でさわやかな夜風に吹かれました。わざわざ遠くへ出掛けなくても、手軽に味わえるリゾート気分です。

 心地よく「揺れる」というのは、リラックスとか贅沢な気分をもたらすようですね。つかの間、夜空を漂う気分を味わいました。Photo

 日曜日の夜、東京の空にも満月が皓々と輝きました。ゆっくり流れていく鱗雲に隠れたり現れたりして、なかなか風情がありました。

 電車や踏切の音は相変わらずですが、その間から、秋祭りの笛太鼓、子供の歓声が響いてきます。

 もう季節も秋に入りつつありますね。そのせいか、月の輝きもどこかもの哀しげに見えました。

ハンモックの商品

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鴻池朋子展(こうのいけ ともこ Kounoike Tomoko)NHK日曜美術館アートシーン・神話と想像の世界に目一杯羽ばたく、ダンテの神曲を髣髴させる大スペクタクル・「インタートラベラー神話と遊ぶ人」・東京オペラシティアートギャラリー

鴻池朋子展(こうのいけ ともこ Kounoike Tomoko)NHK日曜美術館アートシーン

 神話と想像の世界に目一杯羽ばたく、ダンテの神曲を髣髴させる大スペクタクル・「インタートラベラー神話と遊ぶ人」・東京オペラシティアートギャラリー

鴻池朋子の参考書籍

東京の美術館ガイド

 鴻池朋子展(こうのいけ ともこ)をNHK日曜美術館アートシーンで紹介していました。

 この前、実際に見てきて、迫力の素晴らしさに、記事も書きました。今回の番組で、鴻池朋子氏自身のインタビューもあって、捉え切れなかったテーマがより明瞭に見えた気がしました。

 地殻の中心部で輝く物体は、産声を発する赤ん坊の顔でもあったのですね。そして鴻池朋子氏は、旅人の心は、生まれ出たばかりの赤ん坊のそれと同じで、無限の欲望と好奇心と不安に充ち充ちていると説きます。会場に紛れ込んだ観客は、その赤ん坊の心にまで立ち返り、インタートラベラーと化して作者とともに地殻の核心へ向かう旅に出発します。

 そこに、深い森の奥の狼や少女、得体の知れない妖怪や現代都市の記憶の断片などが入り混じったスペクタクルが展開していきます。

 久々に、思う存分内面の物語世界を展開してみせた展覧会に出会ったという感動を新たにしました。

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「ベルギー幻想美術館」クノップフからデルヴォー、マグリットまで(姫路市立美術館所蔵)Bunkamuraザ・ミュージアム

「ベルギー幻想美術館」クノップフからデルヴォー、マグリットまで(姫路市立美術館所蔵)Bunkamuraザ・ミュージアム

幻想絵画の参考書籍

デルヴォーの参考書籍

 姫路市立美術館所蔵の作品だったのですね(ベルギーのシャルルロワ市と姉妹都市とのこと)。美術館は、赤レンガ造りで、背後に姫路城を望み、なんと素晴らしい建築でしょう!Photo_2

 姫路には仕事で何度か行ったことがありますが、姫路城さえ訪れる時間がなかったのは、今も心残りです。いつかこの美術館では、半日くらいどっぷり過ごしたいと思いました。Photo

 「ベルギー幻想美術館」展の方は、十九世紀後半から二十世紀前半にかけてのベルギーの繁栄の一方で、皮肉にも進展した人間疎外を反映した空想的、幻想的作品の展示となっています。「この時代に最も強いメッセージを放っていたのは、象徴主義、シュルレアリスム、表現主義にまたがるこうした内向的芸術家たち」(カタログより)だったのです。

 それらの作品群を一通り見渡すことができました。

目に止まったのは、「レテ河の水を飲むダンテ」ジャン・デルヴィル(今、ダンテのことに関心があったし、水と緑、花々がなんとも幻想的で美しい力作)

「オステンドの灯台」レオン・スピリアールト(さりげないデッサン風の作品だけれど、嵐の中に小さく立つ灯台を、なんとも象徴的にうまく表現している)

「海は近い」ポール・デルヴォー(デルヴォーの特徴がよく表れた作品を拝んだという感じ)

 その他、総覧的に時代の流れを見た印象でした。

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2009年9月の目録

2009年9月の目録

 今年の秋に、是非熊野古道を歩きたくて、参考書籍の読書。

「熊野古道」小山靖憲著 岩波新書

「語り部とともに歩く熊野古道」坂本勲生・南川三治郎・嵐圭史 かんき出版

 友人たちの絵画と音楽のコラボレーション

「音の風景」吉岡孝悦プロデュース・マリンバコンサート絵画展(9月19~23日 四ツ谷のコア石響)ピアノ山内久子・絵画 永松あき子・戸沼牧子・立体 津田のぼる・朗読 鈴木陽子・作 ビーゲンセン・絵 永井郁子

 訪れてみたい展覧会

「トリノ・エジプト展」東京都美術館

「聖地チベットーーボタラ宮と天空の至宝」上野の森美術館

「ベルギー幻想美術館」クノップフからデルヴォー、マグリットまで(姫路市立美術館所蔵)Bunkamuraザ・ミュージアム

「古代ローマ帝国の遺産」国立西洋美術館

鴻池朋子展(こうのいけ ともこ Kounoike Tomoko) 神話と想像の世界に目一杯羽ばたく、ダンテの神曲を髣髴させる大スペクタクル・「インタートラベラー神話と遊ぶ人」  東京オペラシティアートギャラリー

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パトリック・モディアーノの小説「La Petite Bijou」 Patrick Modiano(folio3766 Gallimard)-失踪した母の影を追って、パリの憂愁をさ迷い歩くーフランスの現代小説

パトリック・モディアーノの小説「La Petite Bijou」 Patrick Modiano(folio3766 Gallimard)-失踪した母の影を追って、パリの憂愁をさ迷い歩く

 地下鉄のシャトレ駅で、ラッシュアワーの人ごみの中に、黄色いコートの老女の姿がふと主人公の目に止まります。主人公は、十年余り前に失踪した母の姿をそこに見て、そっと跡をつけていきます。

 こんな始まりの小説ですが、若い女性の主人公は、戸惑いつつ老女に話しかけるには至りません。そこから思い出と自分探し、母の安否を求めるパリでの孤独な探索が始まります。Photo_2

 主人公は、かつて住んでいたアパルトマンの微かな記憶、ダンサーだった母が踵を痛め夢を断念せざるを得なかったときの自分との葛藤、失望から失踪の動機に至ったのではない かという堂々巡りの思いとか抱きながら日々の生活を送るようになります。

 それから出会う人々やパリの街並みは、すべてこの記憶の探索に巻き込まれていきます。幼女を世話する仕事に就いて出会う家族や子供、世界中のラジオ局から番組を聴いて翻訳している不思議な男とか、主人公の孤独の中に紛れ込んでくる人々も、どこかパリの憂いを帯びた人々を実感させます。

 何よりもフランス語が平易でリズミカルで、読書の快感を掻き立ててくれます。この本をポケットに入れて読みつつ東京の街を歩いているとき、ちょうど夕もやがうっすらかかったパリの街をぶらついているような二重の気分に浸りました。

 時間も越えて、かつてパリで絵画の個展を開いたとき、画廊のご主人宅に泊めてもらって、街の人々の生活に直に触れた時をもくっきり思い出しました。画廊の周りには入り組んだ小路があって、細かな日用品を求めてその迷路を巡るのも楽しみでした。

パトリック・モディアーノの本

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「ゴーギャン」NHK日曜美術館・文明と原始の対立

「ゴーギャン」NHK日曜美術館・文明と原始の対立

 今回の記念すべきゴーギャン展のまとめとして、NHK日曜美術館の放送を楽しみにしていました。

 番組の主題は、ゴーギャンが違和感を覚えて逃れた文明と、楽園を求めたタヒチの原始の対立に焦点が当てられていたと思います。

 しかし、知識人が、ゴーギャンの作品の絵解きや、分析、解説を熱く語れば語るほど、ゴーギャン自身の生き様とか、荒削りな作品にあるリアリティーから遠ざかっていくのが不思議でした。知的な言葉がどんどん上滑りしていってしまうのです。これはまた、どうしたことでしょう?

 ゴーギャンがもし生きていて、この番組を見ていたとしたら、身をよってシニックな笑いを浮かべ、こそばゆいとばかりにチャンネルを変えてしまっていたかもしれません。なにかそういう言葉では捕らえきれないものがゴーギャンの魅力なのかもしれないと、主題とは別の姿が浮かび上がるようでもありました。

 そもそも文明から逃れていったゴーギャンを、知識人がやいのやいのと追っかけること自体が矛盾した所業なのかもしれません。

 この画家は、やはり着実に足の地に着いた物語でしか感じられない存在なのだと思いました。そして何よりも、素朴な作品の前で感動を胸に秘めて深く沈黙するしかない画家なのだと思いました。

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ゴーギャンの参考書籍

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「ゴーギャン 私の中の野生」(高階秀爾監修)に読みふけってしまいましたーゴーギャン展、竹橋の近代美術館にて

「ゴーギャン 私の中の野生」(フランソワーズ・カシャン著 高階秀爾監修 創元社)に読みふけってしまいました

 電車の中で読み始めると、各駅停車が目的地にできるだけゆっくり着くように願うほどでした。ゴーギャンの生い立ちから、名画が生まれ出る過程と、苦難に富んだ画家の生涯が流れるように書かれていて、物語にすっかり引き込まれました。

 ゴーギャンがタヒチにたどり着く根には、幼いころペルーで過ごした数奇な生い立ちだけではなく、株式仲買人になる前に、水兵として世界中を航海した体験があったのですね。画家になってから、彼の頭の中には、常に南国の島を志す思いがあったようです。そして、どの島を目指せばよいか、土地勘が常に働いていたことも発見でした。Photo

 ゴーギャンが株式仲買人を辞め、画家を志した転換点には、家族を捨てたエゴイストとか、目算のない夢に飛び出してしまった現実感のない男、などとドラマチックに様々語られていますが、そこでのゴーギャンの内面にも一歩踏み込めたような気がします。自尊心と思い込みも確かに強かったようですが、安直ではない崇高な芸術的野心と目論見があったことが、生涯の流れから読み取れました。絶え間なく襲いかかる貧窮と病の中で、それでも名作を次々に生み出していった軌跡の背景には、一貫して強い志があったことが浮かび上がってきます。

 ゴーギャンの手紙も紹介されていますが、むしろ彼を捨てたのは、妻のメットであり、経済的なこと以外は心通わせない冷淡なところが読み取れます。家族思いのゴーギャンに対しても、手紙もほとんど出さず、誕生日のお祝いメッセージすら送ってよこさないと、彼は嘆きを何度も書き送っています。

 ゴッホとの交流にしても、個性の強い画家同士が親密な切磋琢磨と同時に、葛藤にとり憑かれたようにゴッホがカミソリを振り回す場面など、すさまじい共同生活の模様も伝わってきます。ゴーギャンもゴッホに精神病院を受診するよう勧められていますが、ひねくれからそうしなかった、などと手紙には書かれています。

 ゴーギャンがタヒチに渡り、町から離れたマタイエアという原始で素朴な土地に落ち着いたときの静寂の描写は圧巻です。これほど静かで、何も動かない完璧な夜の闇の深さを感じ取ったことはありません。

 ゴーギャンが独特の画風を確立していく過程もとても勉強になりました。ゴーギャンの作品に無意識的にタペストリーのような温かみを感じてしまいますが、それも「区分主義」(クロワゾニスム)という手法を他の画家と競い合って身につけていったものです。

 マルキーズ諸島についに渡ったゴーギャンの晩年も、壮絶なものでした。健康の悪化と土地の紛争にも巻き込まれながら、最後の情熱を燃やし尽くすように多産な創作をしました。

 専門家によってコンパクトにまとめられたこの書には作品の写真も豊富で、芸術の巨人の生涯に、しばしどっぷり浸かって酔いしれることが出来ました。

高階秀爾の本

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鴻池朋子展(こうのいけ ともこ Kounoike Tomoko)に行ってきました・神話と想像の世界に目一杯羽ばたく、ダンテの神曲を髣髴させる大スペクタクル・「インタートラベラー神話と遊ぶ人」・東京オペラシティアートギャラリー

鴻池朋子展(こうのいけ ともこ Kounoike Tomoko)に行ってきました

神話と想像の世界に目一杯羽ばたく、ダンテの神曲を髣髴させる大スペクタクル・「インタートラベラー神話と遊ぶ人」  東京オペラシティアートギャラリー

鴻池朋子の参考書籍

東京の美術館ガイド

 これほど思う存分想像力を展開している展覧会を訪れるのは、久しぶりでした。 

 何やら深い森の中に広がる少女か狼のような大きな顔が中央から開かれた襖絵をくぐり抜けると、そこから不思議な世界が始まります。

 昆虫の羽を持つ幻想的な生き物が、透けたカーテンの中に、天井からその巨体を吊るされています。生き物の隙間からは、まさに少女らしき姿が生まれようとしています。一見生々しい驚きの世界です。そのグロテスクなイメージで終わる展覧会は数多くありますが、鴻池朋子の場合、そこからの無限の展開の広さと力強さには圧倒されます。

 次々にカーテンを潜りながら薄暗い部屋に現れる世界は、奥深い森であり、地球の核心に近づく胎内的世界であり、また広大な星空をも想わせる闇の世界です。部屋を巡るうち、自ずとダンテの「神曲」のような物語世界を逍遥している気持ちに連れ去られます。

 鴻池朋子が扱うテーマには、頻繁に少女、狼、刀のようなナイフ、昆虫的な生き物が現れます。それらが、深い森の中で出会い、結びつき合い、歩み出したり夢見たりします。とりとめないほど広がったイメージは、闇に広げられた大きな本のページに投影されたアニメのようなデッサンの物語の中で、まさに神話的物語として融合し、展開してゆきます。それを、じっと佇んで見終わると、不思議な夢を見て目覚めたような気分に引き入れられました。

 無数のデッサンも圧巻ですが、出口に近いところで、何匹もの狼の毛皮が、通る者の顔を撫でるように吊るされているのにも驚かされました。

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安田侃(やすだ かん Yasuda Kan)の心を聴き、石に彫る世界・北海道、アルテピアッツァ美唄・NHK日曜美術館・ミューズの微笑み・ときめき美術館

安田侃(やすだ かん Yasuda Kan)の心を聴き、石に彫る世界・北海道、アルテピアッツァ美唄・NHK日曜美術館・ミューズの微笑み・ときめき美術館

安田侃の参考書籍

 北海道、美唄市にあるアルテピアッツァ美唄の安田侃(やすだ かん)の特集は印象的でした。

 廃校になった小学校敷地のポプラ並木を吹き抜ける清々しい風の中に並ぶ安田侃の石の彫刻は、なんと安らぎを与えることでしょう。今年の初夏に、北海道を訪れたときに、東京とは全く違うおいしい空気を実感したのがそのまま甦りました。

 大理石が発掘されるイタリア北部のピエトラサンタに三十年も滞在して、石の彫刻を彫り続けている安田侃は、現地ではマエストロ(巨匠)と呼ばれる存在です。そんな安田が、アルテピアッツァで開かれた彫刻に関心を持つアマチュアの人々に語りかけた言葉が印象的でした。--「彫刻は、石の中から出てきた力を形にする」「心の音を聴く。聴いたらもう恐いものはない」

 その言葉のとおり、穏やかな芝生の起伏に並ぶ彫刻は心に染みてきます。特に、大理石の小石を敷き詰めた水の広場、時の移ろいを象徴する妙なるせせらぎのなんと美しいこと! その先に佇む<天の大いなる力が地上に舞い降りる瞬間を象徴する>純白の門のような大理石彫刻も清らかでした。

 安田侃の彫刻がイタリアのフォロロマーノに置かれ展示されるという催しもあったそうです。まさに古代と現代の心が響き合うような不思議な調和の情景でした。 

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ゴーギャン展に感じた画家とタヒチを巡る物語ー画家と小説ーゴーギャンとモーム・画家の壮大な旅に強く触発された小説、モームの「月と六ペンス」

ゴーギャンとタヒチを巡る物語ー画家と小説ーゴーギャンとモーム・画家の壮大な旅に強く触発された小説、モームの「月と六ペンス」

ゴーギャンの参考書籍

モームの参考書籍

幻想絵画の参考書籍

 ゴーギャンの絵がどうしてこれほど人を魅了するのか? 思うとき、それは作品の魅力ばかりではないことを強く感じます。そこには、文明に侵された社会から、原始の人間の姿の驚きを感じさせる世界への壮大な旅の流れが関わっていることを抜きには考えられません。 

 ゴーギャン自身も驚きと発見の旅の只中にいることを強く自覚して、それをなんとか人に伝えたいという気持ちが、版画の連作や絵入りの手紙などから窺われます。その断片的な物語が、作家の心を揺り動かさぬはずはありません。

 ウィリアム・ソマーセット・モームの「月と六ペンス」には、私も長い間魅了され続けてきました。そこには、画家自身の日常を越えた生き方の物語が展開され、絵と同様、読者をいっとき別の世界へ導く甘い想像の蜜に溢れているからにちがいありません。今回のゴーギャン展を巡りながら、いつのまにかこの物語世界をもゆっくり巡っていたことを後から思い出しました。

 モームについては、高校生のころ、家庭教師の先生に、「人間の絆」の原書「Of Human Bondage」の大きなハードカバーをプレゼントされ、高校の間に読み切るといいと、勧められたのが深い思い出です。医師を目指す若者に是非という先生の思いも、今思い起こされます。

 ゴーギャン自身の短編小説「ノア・ノア」は、タヒチの海へ漁に出る素朴なカヌーの水音や海面の輝きまで見えそうな、とてもリアリティーに溢れた美しい名品です。いつまでも印象に残っていて、ゴーギャンの絵に触れるたびタヒチの情景とともに甦ってきます。

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タヒチのDVD

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ゴーギャン展(作品 我々はーわれわれはどこから来たのか~)ー2009 国立近代美術館、に思うこと。その2 タヒチでのプリミティブアートの親密と底力

ゴーギャン展(作品 我々はーわれわれはどこから来たのか~)(2009 国立近代美術館)に思うこと。その2 タヒチでのプリミティブアートの親密と底力

ゴーギャンの参考書籍

 ゴーギャン展を、作品の順を追っていってすぐに感じることですが、画家がフランスにいて描いていた作品群と、タヒチに渡ってから描いたそれらとは大きく印象が異なることです。

 当時、文明から隔たった遠い島で、画家が感じた素朴で原始的な胎内からの叫びは、どれほど魂を戦かせたことか。その驚きと親密が、絵のどこからともなく伝わってきます。

 それは、画家が頭で作ろうとしてもとうていかなわないものなのかもしれません。画家の全身と魂までもが、そういう原始に包まれたときに、初めて生み出されるものなのでしょう。

 全身全霊が戦くような環境に飛び込み得たゴーギャンの時代は、ある意味大変な幸福だったのかもしれません。

 その夢がかなわないとしても、作品からその片鱗を窺えたのは、幸いでした。制作する上で、最近迷っていた解決困難な問題にも手がかりを与えてくれるように感じました。

 そのような思いの中でいちばん惹かれた作品は、「ファア・イヘイヘ(タヒチ牧歌)」でした

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ゴーギャン

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ゴーギャン展2009(作品 我々はーわれわれはどこから来たのか~)に行ってきました! 国立近代美術館(東京 北の丸公園 竹橋)ゴーギャンとタヒチ、マルキーズ諸島の名作の数々 ヒエロニムス・ボッスの「悦楽の園」(プラド美術館 マドリッド)を直に見たときのような感動。展覧会美術エッセイ

~ゴーギャン展2009に行ってきました! 国立近代美術館(東京 北の丸公園 竹橋)ゴーギャンとタヒチ、マルキーズ諸島の名作の数々 展覧会美術エッセイ~

ゴーギャンの参考書籍

 ついに念願のゴーギャン最高傑作を目の当たりにすることができました!

 有名なゴーギャン最高傑作の公開とあって、「モナリザ」並みの混雑を覚悟していました。しかし、真夏の平日のせいもあってか、国立近代美術館はさほど込んではいなくて、名画の前にいつまでも佇んでいられるほどでした。

 麻袋をつなぎ合わせたという粗末なキャンバスに描かれた最高傑作の、画家の筆致を見るのは、これ以上にはない好奇心と親しみに応えてくれる幸せをもたらします。かつて、スペイン、マドリッドのプラド美術館で、ヒエロニムス・ボッス(ボッシュ)の「悦楽の園」の前に日参して、その板絵に透けて見える画家の下書きの筆致を垣間見たときの肌があわ立つような感動を思い出しました。

 ゴーギャンの名作の左上部、黄金のような黄の背景には、有名な文言「我々はどこからきたのか? 我々は何者か? 我々はどこへ行くのか? D`ou Venons Nous? Que Sommes Nous? Ou Allons Nous?」が、はっきり読み取れます

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「クリムト 黄金にきらめくエロス」-エロスと死の画家、グスタフ・クリムト(NHK日曜美術館 ゲスト、アートディレクター結城昌子氏)美術エッセイ

「クリムト 黄金にきらめくエロス」-エロスと死の画家、グスタフ・クリムト(NHK日曜美術館 ゲスト、アートディレクター結城昌子氏)

クリムトの参考書籍

 少し日にちは経ちましたが、NHK日曜美術館で放送していたクリムトのことについて、書いてみたいと思っていました。

 世紀末ウィーンを代表するクリムトには、以前から深い関心を抱いていました。フロイトの精神分析の強い影響を受け、性、エロスの大胆な表現へと才能を開花させた画家の作品群は、当然のこと、当初社会からの強い抵抗を受け、発表を禁じられたものも多くありました。

 しかし、今の時代になってみると、「接吻」、「ダナエ」、「水蛇」などの一連の作品は、美術史上に華やかな存在感を際立たせています。

 男女の抱擁の図、そしてとりわけ女性の露わで大胆な表現は、驚きを越えて人の心に親密な安らぎの情景としてすでに深く住み着いているものと思います。とくに世紀末の、恍惚となったまま過ごしたいと欲し、そのまま死に通じるのも厭わないような潜在的願望と、現代の捉えどころのない時代意識と響き合うものがあるのかもしれません。

 実際、晩年の作品「死と生」には、きらびやかなエロスから到達した境地も窺えます。この作には、従来の黄金の背景も塗りつぶされています。

 クリムトといえば、様々な手法を凝らした黄金の背景がまず浮かぶほどです。元々金細工師の家に生まれたこともさることながら、ビザンチン美術の神の象徴としての金や、日本(ジャポニスム)の金屏風などの影響を大変強く受けたようです。

 尾形光琳の「紅白梅図屏風」の構図の影響さえ受けているという指摘もありました。日本、ジャポニスムの構図の中にヨーロッパの諸問題を描いたのだという視点にも、興味深いものがありました。

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メキシコ美術・NHK日曜美術館「アイデンティティを求めてー20世紀のメキシコ美術」-ポサダ、リベラ、フリーダ・カーロ等を通してー詩人オクタビオ・パスの言う「他者性」の発見

NHK日曜美術館「アイデンティティを求めてー20世紀のメキシコ美術」-ホセ・グアダルーペ・ポサダ、ディエゴ・リベラ、フリーダ・カーロ等を通して

 20世紀のメキシコ美術にはとくに詳しくはありませんでしたので、今回の放送はとてもインパクトのあるものでした。

 民衆の眼差しから、メキシコのルーツを追及し続けたリベラの油絵から、死と生の親密かつ相反しながら存在する、メキシコ人のアイデンティティを強く際立たせる大壁画の数々が、中心の流れを成していたと思います。

 そこには、ヨーロッパ美術の流れを超越した、例えばゴーギャンの異国趣味などよりももっと力強く親しみのある作品さえ感じました。リベラがいったんパリに留学し、故郷に戻って発見した異国性の説得力によるのかもしれません。

 生と死との観念にせよ、征服に対する苦しみ、たえざる移民の流入と流出、貧困と疫病に対する苦悩など、揺れる民族の思いを伝えるコミュニケーションの手段が、言語よりもこれらの絵画のイメージがより大きな力を持っていたという指摘には、興味深いものを覚えます。大壁画に表された「メキシコの歴史」や、ポサダの版画に源を発する生と死の舞踏などは、メキシコ人としての自覚の物語に、深く組み込まれているにちがいありません。そうして内面を追求していったときに、詩人のオクタビオ・パスが指摘したようなアイデンティティの「他者性」に到達する複雑さがメキシコ社会の根底にあるのかもしれません。

 今回の番組は、メキシコ人の内面を、美術を通して強く訴えかけてくるものだったと思いました。

 東京をはじめ、ニューヨーク、パリなど、大都市ではどこでも見かける若者の壁面への落書きは、違法として敬遠されがちですが、メキシコでは、このグラフィティがむしろ積極的に受け入れられ、依頼さえあるというのは驚きでした。それがまた社会の強いメッセージの手段として受け入れられているところに、コミュニケーションの新しい発見を見ることもできました。

メキシコ美術の本

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ジョットのフレスコ画ースクロヴェーニ礼拝堂(北イタリアのパドヴァ)の聖母マリアと救世主イエス・キリストの生涯を巡る連作ー背景のブルーの神秘的美しさー絵画美術エッセイーフレスコ画技法

 ジョットのフレスコ画ースクロヴェーニ礼拝堂(北イタリアのパドヴァ)

フレスコ画技法の参考書籍

 最近の蒸し暑くすっきりしない気候のせいもあったでしょうか、ジョットのフレスコ画のブルーに覚えた清々しさが蘇って、画集を書庫から引っ張り出してきました。

 久しぶりに画集を開いてみて、その期待通りの奥深いブルーに引き込まれました。

 完成したときには、より鮮やかさがあったのでしょうが、所々擦り切れて、壁面がのぞいている状態には、むしろ時代の厚味も加わって、なんとも言えない温もりある親しみを感じさせます。元々のフレスコ画のマットな温かみの魅力に、さらに重厚さが加わっています。

 とくに暗い建物が消えかかって、星空を連想させる空がうねっているように見える背景とか、天使が舞う空がほとんどかき消されてしまっているのには、かえって実際以上の想像を掻き立てられます。それは、画家の眼には多くのことを教えてくれます。

 きっとスクロヴェーニ礼拝堂に入ったら、神聖さと壁画の趣の深さに圧倒されてしまうのではないかと思いました。いつかは、実際に目の当たりにしてみたいと強く感じ入りました。

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美術作家「やなぎ みわ」Yanagi Miwa氏のベネチア・ビエンナーレ作品の放送を見てーNHK日曜美術館ー美術エッセイ

 最近のNHK日曜美術館で「やなぎ みわ」Yanagi Miwa氏のベネチア・ビエンナーレ出品作の放送には、ある種のカルチャーショックを覚えました。

やなぎみわの参考書籍

ベネチアビエンナーレの参考書籍

 女性として生きてきたことの思いとアイデンティティーを、思いっきりグロテスクなまでの笑い叫ぶ女の巨大な写真で表現したのには圧倒されます。どこかサルバドール・ダリの「内乱の予感」にも通じるような激しさを感じました。

 やなぎみわ氏は、これまでにも、童話の中の少女像を自分のイメージで象徴的に変容させたり、理想的で憧れの老女の姿を作り出してきたことも紹介されます。そのように強く自分のコンセプトを打ち出すのには、写真は適した技法なのかもしれません。

 興味深かったのは、やなぎみわ氏が、最も日本の伝統的な地、京都に住みながら、周囲を取り囲む伝統の厚味のようなものを、意識的、無意識的に強く排除して、ひたすら自分の内面を追求して制作に没頭してきたようにも思われるところでした。ベネチア・ビエンナーレでも、案の定というべきか、外国人が日本の伝統を作品の中に探して質問したりしたそうですが、それは氏の意図からは遠いところにあるような印象を受けました。しかし、氏が制作を続けていく長い年月のうちに、いつか身近な伝統の大きさと向き合うときが訪れると、予感のようなものも覚えました。

 美術とはいっても領域が広く、やなぎみわ氏が写真によって素早くコンセプトを展開していく過程には、物語世界を見るときの印象も受けました。「美術作家」と氏が標榜する所以も、そのあたりにあるのかもしれません。先のカルチャーショックは、自分の土俵とあまりに隔たった、その表現の目まぐるしい展開に感じたアイデンティティークライシスだったのかもしれないとも思いました。

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リヨン(フランス)で、友人が主催する展覧会へのメッセージ文ー日本文化の伝統、とくに遠野に見いだした原点からー旅と文化のエッセイ

 この前の遠野への旅は、フランスのリヨンで、展覧会を企画していた日本文化・日本学を専門にしている友人には、とてもタイムリーな情報をもたらす機会になったようです。

 遠野に残された古い民家に感じた奥深く力強い瞑想と想像力を喚起する力が、異国にできるだけ伝わることを念じました。

 今、フランスでも日本の伝統的な文化は、相当熱心に学ばれ、流行にさえなっていますが、その真髄を伝えることは、日本人自身にとっても難しいようです。各地を旅してみて、その都度新しい発見に驚かされます。それだけなお、神秘で未知の領域が多く残されたこの国に生まれたことを、こういう機会にまた喜びとして感じました。

 以下が、メッセージ文の草案です。

 最近、日本の東北地方の山間にある遠野を訪れて再発見したことがあります。そして日本文化の深い謎を解く鍵が、ここには豊富に残されていることを見いだしました。民族学者の柳田国男の「遠野物語」で有名なこの土地は、今でも古い伝統的な生活の面影が多く残されています。昔のまま保たれた民家は、茅葺きの重厚な木造家屋で、竈の煙の煤と、人々の生活の跡で黒光りしています。家の中は大変に暗く、障子戸を透かした淡い光が、土壁や太い柱の間に何重にも繊細な光模様を描いています。そして、柔らかな光が消えかかるところには、濃厚な闇があります。作家の谷崎潤一郎が、日本人が愛する安らぎと瞑想の原点として、この繊細な陰影が織り成す心模様を見事に描いた「陰翳礼讚」の世界が、まさにそこには宿っています。日本の漆工芸、陶器、日本画、墨絵、茶道の儀式、華道、能や歌舞伎も、この繊細な影の効果との調和を抜きにしては考えられません。先の「遠野物語」にしても、家の暗がりとほの明かりの間に生まれる愛らしい幽霊と人々との係わりあいや多彩な想像力が生み出した物語が、主に語り継がれたものです。日本人に愛され続けている宮澤賢治の童話も、この地で多く生まれました。

 そのような伝統的な日本文化に残された特性は、最近とくに見直され、新しい技法と組み合わされてさらに興味深い展開を推し進めようとしています。例えば宮崎駿は、新しく繊細なアニメの技法で、先の遠野の古い民家と愛らしい幽霊の物語を彷彿させる「となりのトトロ」という作品を生み出しました。かつて囲炉裏端で語り継がれた物語が、新しい表現によって広く世界に伝えられるのを見る思いです。柔和な照明効果を作り出す和紙で、石の彫刻家でもあるイサム・ノグチは、伝統的な行灯や提灯が醸し出す微妙な明るさを、照明彫刻「あかり」としてデザインし、日本家屋に新たな陰影をもたらし高く評価されました。日本画家の田淵俊夫は、新しい映像プロジェクターと伝統的な墨絵を組み合わせて、京都の智積院の襖絵に、墨の濃淡だけで満開の枝垂れ桜や朝陽、夕陽を、色彩を用いる以上に鮮やかに実現しました。安藤忠雄の建築には、日本の伝統の記憶を意図的に一部に残し、新しい建築技法と組み合わせたハイブリッドの建築構想が見て取れます。

 日本から新しく発信されている芸術、文化作品には、その根に日本の深い伝統が組み込まれ、新しい技術や視点と融合されていることが見て取れます。幸いにも、今でも日本各地には神秘的な伝統が多く残され、日本の現代美術を鑑賞するとき、それらを読み解く大きな手掛かりを与えてくれます。

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「となりのトトロ」宮崎駿監督ーに感じた遠野の濃い雰囲気ー「陰翳礼賛」谷崎潤一郎(いんえいらいさん たにざきじゅんいちろう)にも通じる世界

 遠野の旅をきっかけに、宮崎駿監督の「となりのトトロ」を勧められ、見てみました。

となりのトトロDVD

 懐かしい民家、家の中に影が幾重にも織り成す陰翳、ザシキワラシを想わせる幽霊、古い大木や神社、豊かな田園風景・・・たしかにこのあいだ見てきた風景とずいぶん重なるものを感じました。

 そこには、伝統的な日本人が安らぎと瞑想を育んできた陰翳と荒びの安らぎがあふれています。

 この話を、フランスのリヨンで「日本の伝統文化と新しい美の追求」という展覧会を企画している友人に連絡したら、さっそく、展覧会へのメッセージをこの視点から書くように依頼がありました。

 木の温もりや、柔らかな和紙の照明、障子の卓越した通気性と光の効果・・・近頃日本の伝統で見直されているものはきりがありませんが、異国にも、是非この感覚を少しでも届けたいものだと思います

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新しい旅の方向に向かいつつ小品の完成ですー「真珠の航海」(キャンバスサイズF0号 テンペラ混合技法 小山右人こやまゆうじん)

 この前の伊勢志摩への旅以来、温めているイメージの小品第二作目です。前の作品と対を成すような構成になっていると思います。しばらくこの感触で、少しずつ新しい方向へ発展させたいと思います。

テンペラ技法の参考書籍

「真珠の航海」(キャンバスサイズF0号 テンペラ混合技法 小山右人こやまゆうじんYujin Koyama)

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ゴーギャンがタヒチに感じた深い戦きーNHK アートエンターテインメント 迷宮美術館ー叙情的物語「ノア・ノア」ポール・ゴーガンPaul Gauguinの力ー名古屋ボストン美術館

 少し前ですが、NHKで、名古屋ボストン美術館で開催された「ゴーギャン展」にちなんで、名作の謎に迫ると銘打って、「アートエンターテインメント 迷宮美術館」で特集していました。ゴーギャン(ポール・ゴーガン Paul Gaugin)といえば、高名な画家として知り尽くしたような気分にもなっていますが、著作や展覧会に触れるたび、新しい発見に驚かされます。

 今回、特に驚かされたのは、ゴーギャンが初めてタヒチの素朴で原始的な人間と自然の中に感じた、人間の露わな魂への戦きというか、感動を必死に伝えたかったというほとんど渇望のような思いです。

 ゴーギャンは、愛娘への愛情とともに、無数の版画つき物語で、人間の原初の戦きに触れた感動を伝えようとします。その一つの結晶が、「ノア・ノア」(NOA NOA Paul Gaugin)だと思います。一読してタヒチの海の叙情的、神秘的な雰囲気が伝わってきます。

 ゴーギャンの生涯の集大成とも言うべき「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」の、愛娘と絡めた謎解きの番組の中でも、特にゴーギャンが初めてタヒチの原始に見いだした深い感動が今回は格別感じられました。

 出演者:山咲トオル、室井佑月、チチ松村

 司会:段田安則、住吉美紀

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「遠野を旅して」その2-座敷ワラシやカッパが現れそうな自然の中に、伝統的文化の優れた存在ー日本の名工、宮大工の菊池恭二氏ーNHKプロフェッショナルで、百年後を見据えた感動的な宮大工も、この地が地盤なんですね-旅のエッセイ

 遠野の豊かな自然と人々の生活が解け合った空気の中に、ザシキワラシとかオシラサマ、カッパなどが現れても不思議はないようなイメージの喚起力があるのが妙です。

 苔むした大きな岩が織り成す景観によるものでしょうか? そこにも、五百羅漢のように大飢饉の犠牲者の冥福を祈って、義山和尚によって彫られた仏が残されていたりします。

 岩の間からのぞくさりげない瀬にも、飛び交う虫が幻想の生き物に一瞬見えるような雰囲気さえあります。

 その自然の中に、素晴らしい名工によって築かれたと一目でわかる「福泉寺 ふくせんじ」の威容ある姿が聳え立っています。この寺の本堂にそびえる、一本の木から彫られた仏像としては最大といわれる「福徳観音像」が見るものを圧してきます。

 五重塔などの修復や建立には、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」でご覧になった方も多いと思われますが、日本の名工とうたわれる宮大工の菊池恭二氏がこの地のご出身で関わっていらっしゃると聞いて、驚かされるやら納得したような気にもなりました。

 写真は大雑把に並べましたが、五百羅漢や、遠野ふるさと村、カッパ淵、福泉寺などのものです

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遠野を旅して感じた生活と文化の厚みー柳田国男の「遠野物語」百周年を来年に控えたことや、宮沢賢治文学のみならず、「千葉家の曲がり屋」など長い遠野生活の人々の生活の跡に感じた強い親密の感情からまず「Toono Monogatari」Yanagida Kunio

 遠野にようやく行くことが出来ました。東北地方を訪れるたび、気にかかっていたところでした。

 今や沖縄ブームで、押すな押すなの人気でぼくも大好きですが、東北地方を訪ねるたび、その豊かさと奥深い発見に、きっと将来、東北の旅の人気が今以上に盛り上がるときが訪れると、常々予感しています。今回、遠野を訪ねてみて、その思いをより深くしました。

 どんなところか予想していたのは、まず豊かな緑と水と山影がなす田園風景でした。それも、期待を越えて、心寛ぐのを覚えました。

 そして何よりも、寒暖の差の激しい土地で馬とともに暮らす人々の囲炉裏の匂いが染み付いた曲がり屋の重みと親密さには驚きさえ感じました。いくつものガイドブックの写真やテレビ番組からは伝わってこない本物の厚味を感じました。今回は、その中でも代表的な「千葉家の曲がり屋」、「遠野ふるさと村」の写真の一部をご紹介します。(狭い土地に、ぎっしり様々な要素が詰まった遠野をご紹介するには、何回かに分けて記事を書くしかないと思いました)

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版画家「清宮質文 せいみやなおぶみSeimiya Naobumi」最近のNHK日曜美術館を見てーー魂に語りかけようとした画家「清宮質文」ー心象風景画像の清宮質文独特の版画-美術エッセイ

 この六月二十一日にNHKの日曜美術館で放送された版画家、「清宮質文 せいみやなおぶみ」を見て、懸命に人の心に語りかけようとして一生を捧げた画家の気魂を感じさせられました。

清宮質文の参考書籍

 ほとんどアトリエで仕事に打ち込んだまま過ごした画家の、その木版で心を伝えることにもどかしさを感じ、悪戦苦闘してきた人生が番組全体からよく伝わってきました。

 清宮自身は、それを「お化け」という自分の言葉で語っていたそうですが、それが、芸術家として人の心に語りかけようとする言葉だと、はっきり実感していた画家だったのだと思いました。

 さてそれを自覚したところで、表現によって伝えることの困難と恐さともどかしさを、より身に染みて悟っていた画家だったことも伝わってきます。

 細い道の果ての薄墨色の空で、謙虚な閃きを放つ花火の作品は胸に響いてきます。もどかしげな分、より深く伝わってくるのかもしれません。

 過剰を押さえた木版の表現には、余計なものをそぎ落として、その思いを伝えようとする心の言葉が滲み出しています。そして、命を終える前日まで創作に打ち込んだ生き様も、その思いを何倍にもして語りかけてきます。

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遠野への憧れの旅ー癒しの力をたっぷり与えられる癒し系の旅かな?ー民話と心の故郷、緑と水の豊かな自然の中で、絵画の世界を思ってみたいです

 東北地方に行くたび、いつか訪れてみたいと気になっていた遠野へ、近々行ってみようと思っています。

 梅雨の晴れ間の新緑豊かな土地は、どれほど瑞々しいことでしょう。静かな自然の中を、久しぶりに当てもなく歩き回ってみようと思っています。

 遠野へ旅したいと少し書きましたところ、眺めのよいスポットや、語りべのこと、見落としてはならない名所などにつきまして、数々のご連絡をいただきましたことを感謝申し上げます。遠野が自然豊かでほんとうにのびのびした所なのだという思いが伝わってきました。ますます早く訪れたい気持ちになっています。

 柳田国男の「遠野物語」を読み返しつつ、仕事と天気予報のよいタイミングを窺っています。

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新作「真珠の海 La mer de perle」の誕生です! (絵画サイズF0号キャンバス テンペラ混合技法)真珠の幻想絵画

 お待たせしました! 新作の「真珠の海」(La mer de perle テンペラ技法)がようやく完成しました。

テンペラ技法の参考書籍

 伊勢志摩を巡る旅で、海のブルーや真珠から、たくさんのインスピレーションを与えられました。前回の記事でもそのことを書いたら、新作がどんなふうになるか楽しみとのご連絡を数々いただきまして、久しぶりに制作にプレッシャーを感じました。

 描くうちに、真珠が思いの外、ぼくのテクニックになじむモチーフであることを発見しました。これからの作品の中でも、様々な姿で、空間を彩ることになると予感させられました。

 海の多彩なブルーから、より自分らしいブルーを見いだしたような気もします。

 ひとまず、完成した小品をご鑑賞下さい。

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真珠と幻想の宝庫ー英虞湾(あごわんagowan)、賢島(かしこじまkasikozima)伊勢、志摩(ise.sima)の旅ー伊勢神宮参拝に続いて-パールの輝きと深い海のブルー

 伊勢神宮参拝の旅に続いて、志摩半島を巡る旅をしました。ここは言わずと知れた世界的な真珠の産地です。御木本幸吉翁が世界で初めて真珠の養殖に成功して発展していった足跡を、至るところに見ることが出来ます。

 幻想的な海の眺めを見せる英虞湾内にも、真珠養殖のいかだが無数に浮かんでいます。お土産店や記念館の売店など、どこへ行っても美しい真珠に溢れています。

 ミキモト真珠島では、海女の潜水の実演にも遭遇することが出来ました。真っ白な衣装で、青い海の中へ真っ直ぐに潜っていく姿は、想像していた以上に瑞々しく美しく感じました。

 これだけたくさんの真珠と美しい海の眺めに浸っていると、嫌でも海と貝と真珠のファンタジーの世界へ誘われます。たくさんのインスピレーションが頭の中に生まれました。

 それらが今後絵の中にどんな形となって現れるか、お楽しみに!

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お伊勢さんに参拝しました

 誕生月のよい日頃、節目に伊勢神宮に参拝してきました。

 名古屋から特急で向かう途中、平坦な土地の眺めに、どこに由緒ある神域が現れるのか、不思議な気もしました。

 しかし、伊勢市で降り、外宮のご神域に踏み入ると、そんな気持ちも消し飛んでしまいました。古い木橋を渡り、年を経て苔むした巨木に囲まれた社の荘重さには圧倒されるものがあります。普段着のまま訪れた人々も、鳥居をくぐるたびに棘々した日常を忘れたような顔になっているのが見て取れます。聖域を充たす空気の力を実感しました。

 ちょうど雨上がりの巨木の木肌に掌を触れると、冷たさが奥深くどこまでも染みてくるような感じがし、その感覚に導かれるような参拝でした。神域を流れる川風の清々しさにも心洗われるような旅でした。

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新作とともに桜の宵を懐かしみつつーー「花香る夜」(絵画サイズF0号キャンバス テンペラ混合技法)幻想画と季節

「花香る夜」(絵画サイズF0号キャンバス テンペラ混合技法)幻想画像

昨年楽しんだ京都の夜桜を懐かしく思い出しつつ、新作の小品を眺めています。Photo_4 フランスのリヨンの友人から、来年企画する展覧会への出品の誘いがありました。和風の感じがするこんな作品を送ってみようか、などと考えています。

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光ゆらぐ春の海に触発されて、小品の「水辺の煌き」(テンペラ混合技法)ができました。幻想画像。水面の描き方の一つの試み。幻想画と季節

 美しい春の海の光に触発されてでしょうか、小品が一つ生まれました。ーー幻想画像

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「水辺の煌き」(テンペラ混合技法 キャンバスF0号)Yujin Koyama











   

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日本海(mer du Japon)が最も美しい季節となりましたーー春の海からの便り-海の幻想画像

 北国の街で、早朝の光を感じると、海辺をさ迷う誘惑を禁じ得なくなる季節になってきました。日本海が最も穏やかで、美しい光の戯れるころでもあります。

 風紋の刻まれた砂浜と波打ち際をしばし散策しました。

 海面と砂浜には、語りつくせないほどの物語が溢れています。光の妖精だったり、跳ねる白馬、翼のある神々や生き物の姿。この海辺で生まれて死んでいく人々の物語。

 今は最も穏やかな顔を見せる海ですが、深い哀愁も覗かせるし、残酷なほど荒れ狂っていることも多い海です。いろいろな悲しみを飲み込んで、海は静まり返っています。

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建築家、伊東豊雄(architecte Ito Toyoo)氏の創造の軌跡ーー「プロフェッショナル、NHK」を見て-建築エッセイ

 建築家、伊東豊雄氏のノルウェー、オスロの図書館設計コンペを巡る創造の軌跡を中心に、展開されている番組に興味を覚えました。

 概して、何かを創造する人の苦悩の軌跡を巡る番組は、好きなものの一つです。

 それにしても、大きなコンペに賭ける建築家の舞台裏とは大変なものですね。当たれば大きいのでしょうけれど、選外になれば徒労に終わる可能性もある。そうして積み重ねられたノウハウが次に花開くのでしょうけれど、それにしても報われないリスクも大きいものだと思いました。

 それは、たいていの仕事とか、人生そのものにも当てはまることですから、なおさら共感を覚えるのかもしれません。

 伊東豊雄氏設計の仙台「メディアテーク」は、かつて訪れてその空間を楽しみました。たしかに遮る壁などない人のつながりを促す空間には寛ぎを覚えました。他の図書館に比べ、ゆったり読書にも浸れました。

 ちょうどその折、仙台の名物でもある欅並木にイルミネーションが点され、広い窓から美しく望まれたのが印象的でした。

 オスロの図書館建築コンペでは、残念ながら伊東豊雄氏は敗退してしまいます。しかし、いくつもの幾何学的な構造を組み合わせた空間や、内部の独特の本の並べ方とか、いくつも興味深いアイデアがありました。

 建築も、絵画や小説と同様に、膨大な情報量を創造者の精神の構造に組み上げていく作業であることが強く印象に残りました。複雑化と単純化の柔軟な発想で、極限を目指していく格闘に、深い共感を覚えました。

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曾我蕭白(Soga Shouhaku)ーー心のうちをさらけ出し「狂」を原点として描ききった画家

 最近のNHK日曜美術館で取り上げていた曾我蕭白の特集に強い印象を受けました。

 江戸時代に、一方の写実の大家、円山応挙と対抗しながら、あまりに荒ぶる内面をさらして、ほとんど狂人として無視され、二百年を経てようやく発見された巨人でもあります。

 しかし、当時の文人の間では、自分らしく生きるには、内面の自我を露出させ、狂の域にまで達しなければかなわないという思いもあったようです。自らの同一性とか、自我を突き詰めようとする、意外に深い個人の存在への問いかけが時代の底流をなしていたのかもしれません。

 若くして身寄りや家業を失い、筆一本に賭けなければならないところに投げ出された蕭白は、そのような時代背景をしょわされる宿命も帯びざるを得なかったのでしょう。放浪の身を時代にさらして、画家自身も、肌にひりつく問いかけを強く感じていたにちがいありません。

 数多くの天才たちの歴史が山ほど物語っているように、そこには時代との(世俗的な)幸福な出会いはなかった。生まれるはずもなかった。

 ひとたび敏感に時代の自我を悟った画家は、自ら「鬼神斎 曾我蕭白」と名乗って署名します。そこには深い疎外感と苛立ち、荒ぶる魂を見る思いがします。

 彼は、「狂」として振る舞い、人々を驚嘆させて時代を揺さぶってみせなければならない密かな使命も感じていたにちがいありません。

 ゲストの村上隆氏は、蕭白が自らをパロディ化したのだと、氏らしい滑らかな口調でさらりと説明してみせました。欧米を舞台に広く活躍し、常にアイデンティティの問題を突きつけられている氏らしいお話だと感じました。しかし、表面的なところから深い部分まで幅広いニュアンスのあるこの言葉が、もし酔いに猛り狂っている最中の画家自身に、その表面的な意味のみしか伝わらなかったらどうなっていたか? 思うだけで、ひやりともなりました。

 作品では、「雲龍図」「唐獅子図」などの猛々しさもさることながら、「群仙図屏風」     「雪山童子図」「商山四皓図屏風」「寒山拾得図」「竹林七賢図」など、強いメッセージが籠められているのに感銘を覚えます。

 最晩年作の「石橋図」に至っても、極楽浄土へ渡る橋から、到達できずに次々転落する獅子の図は圧巻です。

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秘密のお花見スポットーー東京で、他の人には教えたくない場所

 いよいよ桜満開の季節ですね。

 東京で、私が一番好きなお花見の場所は、目黒区の駒場公園です。丸い芝生を囲んで、向こうには大正モダニズム(?)の文学館の建築を望みながら、静かに花びらが散る花陰を楽しむことが出来ます。

 訪れる人も少なく、秘密のスポットといえます。ご覧になった方は、秘密にしておいて下さい!

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 桜にちなんで、新作が出来ました

「花の歓び」Yujin Koyama(F0号キャンバス テンペラ混合技法)

Joie de fleurs de cerisier

Joy of the cherry blossoms

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手厳しいフランスっ子も井の頭公園の桜に夢中

 毎日のように海外旅行の土産話と、食べきれないほどのチョコレートのお土産、ありがとう! 大変な世の中だから、なおさらそう感じていらっしゃる方も多いでしょうね。でも、たしかに優雅に旅を楽しんでいらっしゃる方も一杯いるんですよね。それは、毎日浴びるようにみやげ話で聞かされている私が誰よりも実感していると思っています。

 そんな旅の機会にも恵まれない私を救ってくれるのが、海の向こうからやってきてくれる人です。私の拙作と、上達しないフランス語に常日頃厳しい目を光らせてくれているのがフランス人の先生です。

 でも、さすがに井の頭公園の桜には感激の様子。若く美しい先生が、生まれて初めて漕ぐというボートに感激し、他のボートにどんどんぶつかる(ごめんなさい)のも気にせず夢中で進んでくれるので、私は写真を撮りつつ珍しい花見を味わうことができました。

フランス語教材

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南極の氷のかけらー氷河期の気泡が入った極上のチューハイ

 船乗りの知人から、南極の氷のかけらをいただく機会に恵まれました。さて、何万年も昔の気泡が入った氷は、どんな味がするでしょう?

 さっそく頬ばってみて、まったく癖のある匂いも味もしない、氷と水の純粋な味わいにびっくりしました。濁りない冷たさが口腔から広がって、気持ちまでハイに澄み渡るようです。

「こんな透明感のある色彩を出したい」

 また大きなモチベーションを与えられたようです。

 チューハイに浮かべた氷は、まさに宝石のように感じられました。

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Tensinomizuoto 氷と響き合うのは、やはりこの作品でしょうか

「天使の水音」

Yujin Koyama

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桜のイメージをふくらまそうと(絵画と小説)ーー「桜の木の下には・・・」水面に映える桜

 今年の桜は、とくに絵のイメージをふくらませたいものだと楽しみにしています。去年偶々満開の時期に遭遇することができた京都の円山公園の夜桜、枝垂桜や、平安神宮の圧倒的な桜の美しさが、今回の個展の作品にも存分に反映された観もあったせいかもしれません。

 きょう、新宿御苑の近くで仕事があったので、訪れてみました。染井吉野はまだ三分から五分咲きといったところですが、寒桜は今が盛りです。

 肌寒く小雨交じりの天気もあったでしょうか。桜の季節にはもの哀しい思いも付きまといます。梶井基次郎の「桜の木の下には、屍体が埋まっている・・・」、樋口一葉の「闇桜」、坂口安吾の「桜の森の満開の下」・・・侘しい思いに呪縛されるようですが、空寒い新宿御苑の今日の桜の様子は、決して私をそんな気持ちに引き込むようではありませんでした。

 これからもっと別の閃きが熟しそうな予感もしました。

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「花宴」Yujin Koyama

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フレーザー島 - オーストラリア、自然の世界遺産、透明な海と幻想絵画

リンク: フレーザー島 - Wikipedia.

三月二十二日の世界遺産の番組で、オーストラリアのフレーザー島について放映していたのが印象的でした。

 なんといっても、いくつもある湖の、透明度のある水の色が異なる姿には惹かれました。ちょうど、こんな宝石のような水の感覚を絵の具で出せないものか挑戦していたところでしたので、なおさらでした。アルガーと呼ばれるバクテリアの一種で、水底が美しい緑に染まっている湖や、ブーマジン湖、マッケンジー湖、ワビー湖など、流砂と抗いながら奇跡的な色彩を放つ湖が多数紹介されます。

「奇跡の砂の島」というだけあって、太平洋から吹き付ける強い風と、砂と、生態系に、深い関わりがあるのですね。コーヒーロックと呼ばれる土壌が豊かな樹林を形成しているのが不思議です。サティネー、キングファーン、ビカクシダ、フィグツリーなどの植物が密生しています。

 ピナクルズと呼ばれる砂の鉄分が酸化してできた崖が連なるのも圧巻です。その下の砂浜には、ミナミコメツキガネ、別名軍隊ガニと呼ばれる蟹が無数に群れています。こんな幻想の島を、夢想するだけでなく、一度訪れてみたいものです。Photo_2

「夢のマーチ」Yujin Koyama

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眞鍋かをりのココだけの話 powered by ココログ: 沖縄!

リンク: 眞鍋かをりのココだけの話 powered by ココログ: 沖縄!.

続きを読む "眞鍋かをりのココだけの話 powered by ココログ: 沖縄!"

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伝説の書家、三輪田米山とエドガー・アラン・ポーEdgar・Allan・Poeの天才に開ける独特の世界

 最近の三月八日(日)、NHKの新日曜美術館で、伝説の書家、三輪田米山の特集をやっていたのが印象的でした。書の世界に造詣が深いわけではありませんが、この伝説の人の人物像に、強く関心を引かれるものがありました。

 伊予の国の神官でもある書家は、夕刻から酒を煽り、境地に入り込んだところで書をしたためます。もちろん酩酊ですから、書き間違うこともある。しかし、そういう問題ではなくて、入り込んだ境地からあふれ出す精神の奔放さというか、解き放たれた天上世界が、そのまま紙面にしたためられます。その文字には、大量の酒によって微小にまで麻痺させられた気負いと理性から解放された最大限の自由が感じられます。そのエネルギーの大きさが、百年の歳月を経て人を魅了し続けているのが伝わってきます。解説者の壇ふみさんも、そのことに驚いていた様子です。 

 二升も三升も入る瓢箪を抱え、書家は乞われるままに民家を訪ね、書をしたため歩いたようです。それが、掛け軸となり、幟となり、現代に受け継がれています。

 この番組を見て、私が強く連想したのは、エドガー・アラン・ポーEdgar・Allan・Poeのことでした。わずか四十歳で、深いアルコールの酩酊によって命を落としたこの天才作家・詩人にも、共通する境地が存在することを想起せずにはいられませんでした。--もちろん、単純にアルコールや薬物の中毒などとは片付けられない、創造の天才が追及した境地の深みがそこに感じられます。自らを追い詰め、身を削り、創造の「神様が降りてくる」に至るには、アルコールの酩酊が大きな触媒の作用を担っていたことが察せられます。

 Poeの作品の中でも特に好きで、繰り返し耽読した「リジーア」Ligeiaの中には、そんな境地の雰囲気を濃く感じます。病み衰えていく愛妻の鬼気迫る描写もさることながら、その妻の死後、美女再生に至る新妻と暮らす神殿風の家屋の豪奢な暗がりの中に、存分にその怪しい空気が充ち充ちてはいないでしょうか。

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「夢想」Yujin Koyama

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Exposition Yujin Koyama ブログ絵画展示室

 小山右人 絵画展示室 Exhibition Yujin Koyama

Fantastic Art From Tokyo Japan

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「幸爛漫」De'bordement de

bonheur

Brimming over with happiness

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「飛翔」Vol

Fly up





















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  「花渦」Tourbillon de fleur

Whir of  flower



























Tensinomizuoto_2 「天使の水音」Murmur des eaux d'ange

Murmur of water of angel

















Photo_6  「夢幻」R^everie

FantasyPhoto

「花宴」Banquet de fleur(cerisier)   Banquet of flower(cherry)

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個展の余韻ーー銀座での絵画個展

 個展が終わって、ご来場下さった方々や、画廊の雰囲気など、しみじみ余韻に浸れる充実したときです。今回のご感想でいちばん多かったのは「癒される」というお言葉でした。テンペラと油彩によるブルーと、テンペラのマットな絵肌による柔らかさの感触を味わっていただけたためでしょうか。

 「ぎゃらりぃ朋」での個展も、早いもので五回目となり、すっかり私のホームグランドとなりました。ご主人にもご評価をいただき、来年の十一月末から十二月の初旬にかけて、次の個展もお決めいただけましたことが、とても嬉しく励みになりました。

 会場の写真を掲載します。今回ご来場いただけなかった方や、海外のコレクターの方々にも、雰囲気が伝われば幸いです。

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静かな北風の安らぎ

 個展が終了して、また日々の生活に戻りました。とはいっても、個展期間中も、仕事を休むわけにはいかなかったのですが。

 北国の街へ帰って、きょうはお年寄りのお宅を訪ね歩きました。海の方からの冷たい風も、穏やかに感じられました。街は閑散としています。しかし、この空気、風は、やはりどこでも感じられない独特のものなんですね。

 個展の間、絵のことについて尋ねられると、空気だとか風を描こうとした、などとわかったような偉そうな説明を繰り返していましたが、言っているうちに、自分の方も妙に世界が開けてくるような気がするものです。きょう、頬に北風を感じながら、街には取るべきものは何もないけれど、この風だけは独特だ、などと納得したような気分にもなりました。そして、本当に風が伝わるような絵が描けたらよいな、とも思いました。

 どこのお宅を訪ねても、この季節、お年寄りの蒲団の足元に猫が蹲っている光景に出会います。暖かい季節、どこかへ行ってしまったのかと案じていた猫が、ちゃんと戻っているのには微笑ましいものを感じました

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絵画と存分に戯れる加山又造

 加山又造の展覧会にちなんで、新日曜美術館で特集をやっていましたね。個展の間、氏の展覧会を見るよう強く勧められていたこともあって、興味深かったです。

 好奇心旺盛で、あらゆる技法に挑戦し、表現と戯れることに最大限没頭し喜びを見いだす画家なのだと感じました。

 日本画に、シルクスクリーンやエアブラシなど、使えるものはなんでも貪欲に取り入れていくんですね。

 ゲストの五木寛之氏も言っていましたが、京都の伝統の上にこそ遊び心がるのだという一言が、興味深かったです。本当の遊び心は東京にはないのだと。

 それは、私の生き方とか仕事の核心部分に関わることなので、今後も反芻して深く考え続けていかなければならないポイントです。

 また、膨大な加山又造の作品群の中心には、虚無の思想が感じられるということ。これも、偶々個展の会期中に勧められた、五木寛之氏の親鸞を軸にした混乱のこのご時世についての文章とも響き合って興味深かったです。

 これからの世は「地獄は一定すみかぞかし」、暗い欝の時代が続くのだというお話。暗い山道を、せいぜい口笛を吹きながら下るのが賢明な生き方と覚悟してかからなければならない時代なのだそうです。

 加山又造が、そんな時代に注目されたのでしょうか。

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異例づくめの個展も無事に終了しました

 世界大恐慌、二月の寒波悪天候の中での個展も無事に終了しました。最終日にはふさわしい、旧友の詩人にも訪れていただいて、懐かしい話やら、様々な作家との交流の話で盛り上がりました。そうですね、このブログでも紹介してきた建築家や、パリの詩人、作家、哲学者とも一つながりです。年を経ると、面白い人脈が広がるものです。

 個展終了ぎりぎりにもコレクターの方から拙作をお求めいただいて、感激しています。いったいこのご時世に、だれが絵を求めるのかと、不思議がっている友人もいました。

 大変な世の中で、今回ほど人のつながりとご協力のありがたさを感じたことはありません。実は、それが私の一番苦手とし、弱点でもあると感じてきたところですが。飲み会や宴会にもほとんど出席せず、人脈作りなどという意図的な作為をむしろ避けてきた私にとって、なおさら身に染みたことでした。それはわかるのですが、やはりこれからも不義理を重ねてしまいそうなことを、どうぞお許し下さい。

 あらゆる悪条件の中で、かろうじて継続への大きな力をお与えいただいた皆様に、心より感謝申し上げます

Tensinomizuoto 「天使の水音」

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絵画のコレクターの方々には感謝感激!

 今回の個展は、経済大恐慌の真っ只中とくしくも重なってしまいました。当初から、作品が売れるということは、ほとんど想定外のことでした。「それなのに、なぜ個展を予定通り開催するのか?」と、現実的なフランスの友人に詰め寄られる場面もありました。

 たぶん、現実原則で行動する人にとっては、暴挙とも映る行為だというのも、世相の厳しさを表しているのかもしれません。しかしこの大変な世の中で、懐は確かに苦しいけれども、なんとかこの作品は欲しいと、悩みぬいてコレクターの方々にお求めいただいている御姿に、今回ほど励まされ、感謝を覚えたことはありません。まさに画家冥利に尽きる個展となりました。

 また描き続けていく、腹の底に響く大いなる力をお与えいただいたことに、心から感謝申し上げます

Photo_2 小山右人 絵画個展

「ぎゃらりぃ朋」
2009.2.11~2.21(日曜休廊)12:00~19:00
東京都中央区銀座1-5-1第三太陽ビル2F
tel 03-3567-7577

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個展を開くということ

今回個展を開催してみて、「個展を開くとは、いったいどういうことなのだろう?」と、我ながら不思議な感興にとらわれたりしています。回を重ねてきて、ゆとりが生まれたせいかもしれません。
 アトリエや自宅に絵を飾るのとは全くちがいます。こじんまりした画廊が、自分の作品の世界に変わる瞬間は、まず感動的です。初日に画廊を開き、最初のお客さんが訪れるときの新鮮さもこたえられません。それから知人や初めての方々が訪れて、絵の話をするのも充実しています。
 でも、画廊にはいつもお客さんがいるわけではなくて、静かな時間もあります。そういうときの舞台裏は、隣室に倉庫のような物置部屋があって、そこに籠もって本を読んだり書き物をしたり、小窓からぼんやり銀座の街並みを眺めていたりしています。
 ぼくは、この空白の時間が案外好きで、子供のころ、漫画や童話の本がうずたかく積まれた物置で存分に読みふけった楽しみを思い出します。そして、薄い扉を開けると自分の絵が取り囲んでいる世界です。この瞬間感じる至福のために、また描き続けるのだと思いました。
 個展は21日まで、開催しています。
「ぎゃらりぃ朋」
2009.2.11~2.21(日曜休廊)12:00~19:00
東京都中央区銀座1-5-1第三太陽ビル2F
tel 03-3567-7577

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Photo_2 「花宴」

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画廊が一つの世界に変わる瞬間

 個展がスタートしました。作品を搬入し、飾り付けが終わったとき、そこが静かな海の底のような別世界に変わったようなのに、思わず嘆息が漏れました。コツコツと絵を描いてきて、いちばん喜びを覚える瞬間なのかもしれません。

 今回は、ブルーを基調とした水面と植物、生き物たちが中心ですので、画廊がそんな雰囲気に変わったのだろうと思います。いつまでもこの部屋に住み続けたいと思うのも、この時です。しかし、つかの間の夢の空間なのですね。それは、毎回感じる感慨です。それだけに、一日毎、一瞬毎が、とても貴重に感じられます。

 回を重ねるごとに多くの方々にご来場いただけるようになって嬉しいです。まだ二日ばかり画廊にいただけですが、とても有意義なお話の機会を持つことができて豊かな気分になっています。さっそく拙作をお求めいただいたのも、大変嬉しいです。

 あと一週間あまり、絵を中心にした数々の出会いと物語が生まれることを楽しみにしています。

小山右人絵画個展

 2009年2月11日~21日(日曜休廊12:00~19:00ぎゃらりぃ朋 銀座1-5-1第三太陽ビル2階 tel03-3567-7577)

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「幸爛漫」(テンペラ混合技法M10号)

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あしたはいよいよ飾り付けです

 早いもので、個展もいよいよ明日が飾りつけとなりました。いろいろな雑事の中でここまでこぎつけられたことに、皆様に深い感謝を覚えています。できるだけたくさんの方のご来場を心よりお待ち申し上げております。なんとなく、画廊というのは日常離れしたところにお感じの方もいらっしゃるかもしれませんが、普段と切り離された楽しい世界が開かれる場所です。どうぞご遠慮なくお声をおかけ下さい!

 中心の作品も仕上がって、明日は早朝からの仕事の後、画廊での飾りつけの心躍るときを迎えます。

Photo 「花宴」F15号

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個展もだいぶ近づいてきました

 とはいっても、きょうはアトリエから遠く離れて、北国の街で仕事に追われています。心のどこにしまわれているのでしょうか。それでも仕事から少し解放されると絵のことが甦ってきます。この空白の期間に、きっと想像力ははぐくまれ、絵の具はしっかり固まって、ぼくががむしゃらに描き始めるのを待っていてくれるのだと思います。

 大寒のこの時期に、北国の街はコートもいらないくらい温かく、一日中そのことが話題になっていました。もっとも、あしたから崩れるそうですが。

 ここ最近印象に残ったことといえば、NHKの新日曜美術館で、田淵俊夫氏の智積院不二の間の襖絵制作をやっていましたね。墨絵による枝垂桜とかススキの絵は圧巻でした。大きなアトリエで、意外にもハイテクのプロジェクターを使って、制作していくプロセスまでつぶさに公開されたのには驚かされました。ぼくは、とても興味深く感じましたが、ある意味、絵は手品のように謎めいているところが面白いようなところもあって、画家があんまり簡単に種明かしをしてしまっては、興味がうすれるところがあるのじゃないかという気もしました。きっと賛否両論あったと思います。

 先週の春草も大変面白く見ました。明治の気鋭の画家の作品に、当時の知の結集が見られる点に、とくに感銘を覚えました。懸命にがんばっているぼくの仲間の画家たちも、集いで語らっている話や、作品のことに思いを馳せるとき、彼らの中に蓄積しているたくさんの美術の歴史や知の連鎖を感じます。それら歴史の呪縛の中で、必死で自分をつむぎ出そうとしている闘いを感じるのです。

 東京の展覧会で感動したのは、(これはもう毎年のことのようですが)銀座松屋で開かれている貴和皓山(kiwa kouzan)氏の陶器の個展でした。その曜変茶碗には、陶器の世界に疎いぼくも、すっかり新たな目を見開かされました。今年は、とくに貴重な宝石のような深い艶が増したように感じます。このような無限に奥深く至高の美の世界があることを、たった一個の茶碗から教えられるのには、驚きと感動を覚えます。

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個展まであと一月ほどとなりました

 正月休みに、個展の中心作を完成することができたので、ほっとしています。個展まで、あと一月ほどとなりました。ブログを応援してくださった方のご来場を心よりお待ちしております。そして、お気軽にお声をおかけ下さい。少しも遠慮なさることはありませんよ。こじんまりしたアットホームな画廊です。

 今年も、「吉岡孝悦ニューイヤーマリンバコンサート」に行ってきました。今回は観客として気楽に、存分に楽しんできました。

 画家とのコラボレーションでは、勝間田弘幸氏の一貫した自分を追及する墨絵の制作意図について、演奏前のインタビューで、いっそう理解できたような気がしました。とても難しい理論に走る人は幾人も見てきましたが、氏の実直なお話には、いつも共感するものを覚えます。

 渡辺あしな氏のインドをテーマにした作品には、今回も心惹かれました。特に雄大な自然を幻想的に描いた作品には、自分の届かぬ遠い境地を感じました。

 今回は、竹澤薫氏のバレーとのコラボレーションもあって、見所の幅が広がりました。

 中川俊郎氏の作曲されたコマーシャルミュージックの披露も面白かったですね。サントリーのウーロン茶、黒ウーロン茶の作曲も氏が手がけていたのですね。テレヴィをつけると自然に流れてくる曲が、お知り合いの作曲と知るのは、より親近感を覚えました。

 吉岡氏の演奏はもちろんのこと。今回は、すばらしいドラムの演奏も披露されたのに、熱くなりました。レパートリーの広さには驚かされます。アンコールの余興に、吉岡氏がピアノ、中川氏がマリンバというのも面白かったです。音楽の秀才は、楽器が変わっても、それなりの演奏ができるものなのですね。

 故郷の北国に戻ってきた私は、椿の街路樹が満開の町を、仕事で歩きました。お訪ねする皆さん、お元気で安心しました。鈍い色の雲が立ち込めるきょう、冷たい風向きが日本海の反対側から吹いてくるのを妙に感じました。そうしたら、東京で初雪が降ったという知らせを聞きました。

 絵から離れていても、テンペラ絵の具は時間が経つほど発色が鮮やかに、そして堅牢さを増していきます。そのことを、前回の個展で専門家に教えていただいて、ますますよい技法と出会ったと感じました。

 また東京に戻ったら、最後の仕上げに取り掛かりたいと思います

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百人一首の世界は空気が澄んでいたんでしょうね

 お正月の定番、百人一首を読みながら、遠いいにしえの空気の澄明度を感じていました。

 カルタ取りの傍らで、和歌の一言が持つ色彩とか透明度、静けさの質が、今とまるで違うように感じられてくるのが妙でした。

例えば、紀友則の「久かたの光りのどけき春の日にしず心なく花のちるらむ」

 桜の花びらが受ける光、辺りの静けさ、空気の澄み具合は、もう現代にはありえないような気さえしてきます。

 かの小野小町の「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」にしても同様です。平安神宮の枝垂桜を見ているときにもそんなことを考えていました。

 そのほか、空気の透明感と静けさを感じた句を、もう一度しみじみとしたためたくなりました。

柿本人麻「足びきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」

清少納言「よを籠めてとりの空音ははかるともよにあふさかのせきはゆるさじ」

紫式部「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半のつきかな」

中納言家持「かささぎの渡せる橋におく霜のしろきを見れば夜ぞ更にける」

赤染衛門「やすらはで寝なましものを小夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな」

山部赤人「田子の浦にうち出でて見れば白妙のふじのたかねにゆきはふりつつ」

紀貫之「人はいさ心もしらずふるさとははなぞむかしの香ににほひける」

持統天皇「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山」

西行法師「歎けとて月やは物をおもはするかこちがほなるわがなみだかな」

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新年おめでとうございます!

今年も最良の年でありますよう!

 二月に個展を控え、正月休みは準備に費やされそうです。

 初日の出はまぶしい輝きでした。初詣は近くの八幡宮に行きました。不況の世の中のせいでしょうか、これまでにない混雑でした。

 個展の中心作で、初仕事です。これまでのイメージを凝縮した作品です。お楽しみに。

小山右人絵画個展

 2009年2月11日~21日(日曜休廊12:00~19:00ぎゃらりぃ朋 銀座1-5-1第三太陽ビル2階 tel03-3567-7577)に向けた新作です!

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「幸爛漫」(テンペラ混合技法M10号)

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みぞれの水溜りに椿の花びら

 きょうは訪ね歩く北風の街は大荒れでした。足元の水溜りにはみぞれと椿の赤い花びらが鮮やかに入り混じっていました。冷たい季節風に、東京では感じられない重い湿り気を頬に受けて、子供のころの感覚をふと思い出しました。自分は昔と変わらず、こんな風と感覚的につながっていたのだと、妙な発見をした気分になりました。

 外国の友人からはクリスマスカードが届き、こちらは年賀状を書くのに忙しい、年末らしい日々になりました。

 新しい年の個展に向けて、DMも作っています。今や、家庭用のプリンターの方が、印刷会社のものよりはるかにすぐれているそうで、美術専門の印刷会社にもテンペラの微妙な色合いは出せないと言われたことがありました。それ以来、DMは自分で作るほかなくなりました。

 慌しい年の瀬ですが、今年もこのブログを訪ねてくださったことに、この機会に感謝申し上げます

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師走は展覧会が目白押しーー「万華鏡ー光の贈り物」赤津純子 「中村太樹男絵画展」いずれも銀座松屋

 師走も半ばを過ぎ、いよいよ慌しくなってきました。けれども、なぜかこの季節、面白い展覧会のご案内をたくさんいただいたり、企画が目に止まりました。以前、年末に個展を開催したとき、忙しくてたくさんのご来場は望めないと思っていましたが、案外他の時期よりおいでいただけたのが、印象に残っています。忙しいときほど、皆さんマメに足を運んで下さるのかもしれませんね。

 そんな訳で、小生も雑多なことで慌しい時間をかいくぐって、面白そうなところにはしっかり足を運んでいるという次第です。

「万華鏡ー光の贈り物」赤津純子(銀座松屋2008.12.17~23)

 前回は、ありきたりの万華鏡Kaleidoscopeではなくて、音が出たりハーブの香りが詰まっていたりと、とてもユニークなのが面白かったです。今回は、光の美しさが飛躍していて、澄んだ色彩の中を小さなビーズが描く模様は絶妙でした。美しいバッハの旋律が静かに流れるような音の空間を感じてしまいました。この人の作品は、いつか求めたいと思いました。

「中村太樹男絵画展」(これも銀座松屋2008、12.17~23)

 幻想的な個性の世界がますます洗練されたという感じ。広がりすぎないで、しっかり自分の世界の中心に向かって充実していく観があるのがよかったと思います。次の発展も楽しみです

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想像の世界にたっぷり遊ぶ津田のぼる氏と松岩邦男氏の「GAIA展」銀座ギャラリーGK

「GAIA展」津田のぼる 松岩邦男 2008年12月8日~13日 ギャラリーGK(東京 銀座6-7-16第一岩月ビル一階 TEL03-3571-0105)

 久々に、想像力の世界にたぷり遊ぶ楽しい展覧会のご案内をいただいて満足でした。松岩氏にDMをいただいたときから、わくわくするような予感を覚える展覧会でした。実際に初日に伺って、想像の空間に紛れ込んだような豊かな気分にさせられました。

 津田氏の金属加工(空き缶などを使われるそうですが)の不思議な飛行船とか、物語世界のお城とか、様々の空想物語の人物たちに、日常世界から離れた、作家の創作に熱中する時間と想像の内面にいやでも誘い込まれます。展示の作品は、新聞などでもすでに紹介された有名なもののようです。そのように人の関心を惹くのも納得されるものでした。

 松岩氏の作品にもすでになれ親しんできましたが、二人のコラボレーションで、絶妙の想像宇宙がかもしだされている観がありました。新しい漫画的とご本人がおっしゃる幻想画も、想像世界に羽ばたいて映りました。

 銀座の小路を一歩入ったところのある、立錐の余地もない狭い画廊が、他にはない豊かな宇宙に変貌するとは、なんと粋な体験でしょう!

 

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「雪国」川端康成で、不思議な幻想的体験をしたことがありました

 往診で巡る故郷の街も、嵐模様となりました。日本海から吹き付ける風と雨は、海岸の土手を越え、頭上から吹き降ろすようです。道路には人影が全くありません。東京と比べて、何か不思議な世界に紛れ込んだような感じもします。同じ雨風でも、どこかちがっています。湿度の違いでしょうか? 渦巻く風の吹き具合でしょうか? 水溜りの水をはねながら、小道を巡り歩きました。くすんだ街並みや枯れ草の中で、神社の朱色の階段の手摺の色が、鮮やかに浮き上がって見えます。お年寄りが横たわる部屋に、突然猫ちゃん飛び込んできたりして、驚かされました。障子の穴が、猫ちゃんの出入り口になっていたんですね。往診道具が珍しいようで、じゃれついてなかなか離れません。

 少々話が飛躍します。

 かつて、高校生のころ、窓ガラスの外につららが下がった部屋で、国語の参考書に抜粋された川端康成の「雪国」の冒頭部分を読んでいたことがありました。そのとき偶々父が、越後湯沢にスキーに行こうと誘いました。ーースキー場に着いたとき、先ほどまで読んでいた「雪国」の情景とそっくりだと、感慨深く感じたのを、近頃しばしば思い出していました。スキー場の照明も素朴で、なんとなく幻想的でした。チェーンも付けないで運転する父の車は、まるでスキーをしているように雪道を滑って、それで家族も楽しんで歓声をあげたりしていました。湯沢駅に現れる駅長さんも、小説そのものの人だったと思います。清水トンネルに列車が入るとき、蒸気機関車の煙が入らないように、慌てて窓を閉めたのも思い出します。確かにトンネルは国境でした。トンネルを抜けて、急に真っ白になった情景に、車内で歓声が湧き起こるのもしばしばでした。

 最近の湯沢に降りても、私はあの感興をほとんど覚えません。当時は、スチームのきいた列車の中で、たしかに曇ったガラス窓に、女の人の眸が夜光虫のように妖しく光った驚きはあったかもしれません。しかし、時間の流れと時代の進展は、こうも情緒まで変えてしまうものかと驚かされます。

 やはり最近でしたか、三島由紀夫の「金閣寺」を携えて、京都の京極辺りの描写と現在を比べてみたことがありました。そのときにも驚きを感じました。質素な市民や軍人の姿が行き来する情景などからは隔たった今の雑然とした繁華街に、これほど変わるものかと呆然となった記憶は焼きついています。

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連休はありがたいーー絵画技法の奥義は下地作りにあり

 さっさと引退してセカンドライフといきたいところですが、なかなかそうもいかないので、連休はありがたいです。

 午前中は、少しずつ書き続けている短編小説の校正をして、午後は絵のキャンバスの下地作りをしました。

 画廊のご主人からも、ここまでの作品にゴーサインをいただいて、後半戦のイメージを膨らませるところまで来ました。これからは、遊び心を存分に楽しめる段階です。

 私の絵は、下地がかなり重要な部分を占めているので、何度も塗り重ねたり、削ったりしてゆきます。完成作品の脇に新しいキャンバスを並べ、次はどんなイメージが中から湧いてくるのか楽しみです。下地の暗示に逆らわずに描いていくのも、私のやり方です。

 絵の具が乾くのを待ちながら、今日、何度もじっと見ていたのは、サンドロ・ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」でした。この有名な作品は、たしかに豊かなイメージに溢れています。女神誕生の何やら華やぎの胸騒ぎに止まらず、ヴィーナスと海のエロスの豊饒にも充ちみちています。

 海面の波の表現や、息を吹き込む神の使いらしい人のさりげない表現も、とても高度なイメージの豊かさです。私は、ほんの少しだけ貝のコレクションにも凝っていますので、帆立貝の上に立つヴィーナスの姿が、いっそう愛着を帯びて神々しく見えたのも、そのせいかもしれません。

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みぞれと海からの暴風と天上の雷の街

 今週の往診日は、荒れ模様でした。落ち葉が舞う街は、強い海からの風で、傘を広げていると身動きもなりませんでした。しかし、元々雪国の人は、これくらいではめげません。背を丸め、先の方を歩いている人を何人か、認めました。

 看護士もたくましく、長靴で平然と路地から路地をを潜り抜けて、患家を訪ねて回ります。水溜りに足を浸しながら歩く感覚は、子供のころを思い出させます。事実、この街は、たくさんの子供たち同士で雪合戦をしたときと眺めがほとんど変わっていません。歩くだけで、思い出が湧き出てきます。

 訪ねたおじいさんの脈を取ろうとしたら、「冷やっこい!」と思わず悲鳴をあげられてしまいました。こちらの手もすっかり凍えていたのに気づき、ストーブで温めさせてもらってから、診察に取り掛かりました。

 深々と蒲団に横たわるおじいさんは、何故か、行ったこともない富士山の樹海が夢に現れ、そこから帰ってこれなくなる恐ろしさに度々目覚めて困っていると、不思議さに溢れた眸でおっしゃいました。お話を聞くうちに、嵐の街に、深い樹林が広がるような情景が過りました。

 夜にかけても、空爆のような雷鳴が、時々頭上に轟き渡りました。

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ある医師の究極の感覚ーー北海道ニセコアンヌプリの新雪スノーパウダースキー

 雑誌の中で、こんな記事に目が留まりました。

 ニセコ町にあるニセコアンヌプリという山の雪質は、世界的に最高で、世界中から、新雪スキーの愛好家が集まってくるとのこと。

 筆者はシーズンには天候と雪質をチェックし、休暇には飛んで行って滑るそうです。その醍醐味は、雪崩の危険を冒してでも替え難いほどのものだそうで、想像を大いに刺激されました。

 私も以前はスキーによく出かけましたが、新雪パウダースノーのは経験したことがありません。しかし、これだけ夢中に、取り憑かれたように求める奥深さは、究極の感覚の追求と言っていいのかもしれません。

 自分の知らない、色々な体験を夢中で求める人がいるものだなと感心すると同時に、ふときらめく新雪の中に深く沈み込みながら、重力のまたとない滑降の眩暈を味わっているのを、ぼんやり想像してみたりしています。

 寒い北海道へ飛び出していく元気はありませんが、もしはまったら、きっと他にはない体感を、自分の身の奥に新たに刻める経験になるのでしょう。それは、写真に収める思い出などとはまた違った、人間にとって不可欠の思い出の一つなのかもしれません。

Astellas Square 2008 10-11月号より

                

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北風の街

 きょうは往診日。海からの北風に、色づいた枯れ葉が舞っています。

 出かけてすぐ、自転車に乗った人が笑顔で話しかけてきます。だれかと思ったら、数か月前、血圧が二百もあって、ぶるぶる震えながら受診した人です。急いでMRIを撮ってみると、脳梗塞も起こしかけていて、さっそく大学病院に紹介しました。

「病院にはまだ行ってません!」と、照れ笑いで言うのにはびっくりしてしまいました。どうしてあんなに重症だった人が、見違えるようになって自転車に乗れるようになっているのか? 一緒にいた看護士共々首をひねってしまいました。

 それにしても、一刻も早く精密検査を受けるよう改めて説得しなければなりません。

 海辺に近い葡萄棚のある小道のお宅で、寝たきりだった人が、伺うたびに元気になっていかれるのにはこちらも力づけられます。今までほとんど独り暮らしだったので、我々が毎週顔を見せるのだけでも違うのかもしれません。

 老人の蒲団の上に猫が丸まっているお宅が何軒かありました。外が寒くなってきて、猫たちの一番の居場所が蒲団になってきたのかもしれません。

「もうすぐ雪の話になりますね」と言う人もいました。

 道を歩くだけで吹き飛ばされそうになる強い北風の向こうに、荒れた日本海を感じました。

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エゴン・シーレの命を奪ったスペインかぜをはるかにしのぐ、鳥インフルエンザ経由の新型インフルエンザ パンデミックPandemic H5N1

「新型インフルエンザの世界的大流行・パンデミックPandemic 特に毒性が強いH5N1型」

 新型インフルエンザの世界的大流行・パンデミックの講演会に行ってきました。さすがにいろいろなところで危機が警告されているだけに、関心が高く、会場は医療関係者で満員でした。

 危惧されている毒性の強いH5N1型は、インフルエンザという名前がついているものの、従来のインフルエンザの単なる重症型ではなくて、急速に多臓器にウィルスが広まって、致命的な症状を発する、まったく別の病気といってよいほどのものだということ。

 一度感染が広まった場合の恐慌は、想像を絶するものがあります。

 結局今のところ有効なワクチンが行き渡る保証もなく、特効薬も完全なものはありません。

 どうやらパンデミックは、3回くらいの周期で襲ってくるようで、その各々の8週間くらいは篭城のように家にこもってやり過ごすのが最も有効な防御手段というところのようです。

 それだけの覚悟と、食料などの準備を心がけておきましょう。

 

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クリムトとフロイトの意外な関係

 前回のNHK新日曜美術館で、池内紀氏の解説でウィーンのことについて放送していましたが、特に画家クリムトについて興味深く感じました。

 装飾画家として才能を発揮したクリムトが、有名なエロスの名作を描くようになっていく背景について、漠然としていましたが、当時隆盛を極めつつあったフロイトの学説が大きな影響を及ぼしていたという話に、驚きと同時に合点がいくものを感じました。

 ウィーンの都市、リンクを中心にして、ヨーロッパ中の様式を持った建築が並び、文化もにぎわっていた熱い雰囲気が伝わってきました。

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イサム・ノグチ庭園美術館:香川県木田郡牟礼町牟礼・美術館巡り

イサム・ノグチ庭園美術館

 直島の地中美術館についてもご紹介しましたが、同じ旅路で、イサム・ノグチ庭園美術館にも深い感銘を覚えました。

イサム・ノグチの参考書籍

 イサム・ノグチといえば、主に石の彫刻家として著名ですが、いまひとつ理解できずにいました。この制作現場でもある美術館を訪れて、その土地と空気と解け合った絶妙な感覚の調和から、イサム・ノグチの感性に了解が深く進んだような気がしました。

 高松郊外の海と山に臨んだ土地の空気、辺りに流れる時間の感覚、土の感触はそうめったにはありえない調和をなしているようにも感じられます。イサム・ノグチは、石のオブジェの制作に、鋭い感覚の触角によって探り当てたような気さえします。何よりも、イサム・ノグチ自身が厳選して、丸亀の豪商の木造家屋を解体してこの地に再建して住処としたり、制作の木造家屋も、酒造りのそれをいったん解体して運んだところにもそれを見て取れます。

 木造家屋を通り抜ける風の塩梅、深い陰翳の織り成す室内に淡く点る和紙の「あかり」、人の呼吸が宿った柱の重厚さ、板床の光り具合、すべてが主によって精密に選ばれ、さりげないながら厳密に構成されているのを感じました。それは、「あかりの彫刻」でも著名なイサム・ノグチの集大成のようにも思われました。

 この地に立って、芸術家の魂が、すっと胸に入ってきたような気がしました。

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(写真は、一部イサムノグチ庭園美術館のパンフレットより)

 

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直島 地中美術館 安藤忠雄 ベネッセハウス Musee sous terrain a Naosima

直島 地中美術館 安藤忠雄 ベネッセハウス Musee sous terrain a Naosima(安藤忠雄設計)

 最近、友人に直島の地中美術館について紹介する機会がありましたので、懐かしさも含めて書きたいと思います。

 初めて訪れたのは、もう三年余り前になりますでしょうか。安藤忠雄氏設計の評判の美術館とあって、高松港を出港するときから楽しみが膨らみました。

 ベネッセハウスの現代建築と美術の展示を見た後、静かな瀬戸内海の湾を望みながら地中美術館へ向かいました。途中の海岸も、さりげなく彫刻作品の展示場になっているのが直島ならではです。

 さて地中美術館ですが、名前のとおり、地中の美術館ですから、外観はほんの一部を望むことができるだけです。(内部は写真厳禁で、掲載できないのが残念です)

一歩踏み込むと、コンクリート打ちっぱなしの暗い廊下や、傾いだ通路に、迷路か秘密のトーチカに潜入したような気分にさせられます。

 クロード・モネ室:靴から柔らかなスリッパに履き代えさせられます。そのわけがまもなくわかりました。天井の隙間から射し込む薄暗い外光の部屋は、滑らかな大理石の床で、音もなく水面をすべるように歩けるのです。四囲の壁に展示されたモネの絵を、睡蓮の浮遊の感覚になって、こんなふうに鑑賞したのは初めてでした。

 ジェームズ・タレル室:薄暗いコンクリートの通路を歩き、次に入った部屋には、海中を想わせるブルーのスクリーンがありました。たしかにスクリーンのようではありますが、何やら淡い靄を見ているような感覚にも引き込まれます。そのスクリーンの前に上がってよいと係員に促されます。さて、その幕に近づいてみると、皮膜は消え、青い霧のような光に吸い込まれます。とっくに幕を通り越して、奥の空間に紛れ込んでしまっています。そこは、光で作られた霧の世界なのでした。

 ウォルター・デ・マリア室:コンクリートの階段の上に、漆黒の光る球体の置かれた部屋。

現代的な教会の祭壇のような印象も受けます。珍しい美術館の探検を、ほっと癒される部屋でもあります。階段に腰掛けてぼんやり時を過ごしている旅行者も何人かいました。

 さりげなくコンクリート壁に囲まれただけの空間もあって、そこの天井は四角く抜けていて、空をそのまま仰ぐことができます。しかし、空とも思われず、建築の一部として描かれた壁面のように見えてくるのが妙でした。

 瀬戸内海を眺望する美術館のレストラン:私が行ったときは空いていて、他に三人外人の旅行者がいただけでした。彼らがフランス語で話し始めたので、一緒に会話に加わりました。一組のカップルは、新婚旅行のようで、親しくなって、それから京都まで半日旅をともにしました。夫のほうは、趣味でかなり熱心に写真に凝っているようで、妻の方は、将来美しい橋を設計するのを夢見る建築家でした。そういう人が、わざわざ新婚旅行に選ぶような場所なのだとも思いました。

 彼らは、直島に点在する民家を改築した美術館にも詳しかったですが、私は残念ながら訪れる時間はありませんでした。

 込み合う休日だと、せっかくの空間を楽しむ美術館の趣きも半減してしまいますから、ゆったり島を回れる穴場の日時がお勧めです

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幻想画のシリーズ2作目と記念撮影ーーうちの猫ニャージュ

 最近の幻想絵画シリーズ、第二作目の記念写真を撮ろうとしたら、ニャージュも飛び上がってきて、一緒にポーズをとりました

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ピカソ展「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡PICASSO Collection of the Musee National Picasso,Paris」新国立美術館 「有賀和郎 展」Gallery58を見て

ピカソ展「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡PICASSO Collection of the Musee National Picasso,Paris」新国立美術館THE NATIONAL ART CENTER,TOKYO 及び「有賀和郎 展」Gallery58を見て

 久しぶりの展覧会巡りとなりました。パリのピカソ美術館が改築中とのことで、幸い本邦での最大規模のピカソ展を目の当たりにすることができました。

 すでにポピュラーになった名作を、これほど一度に見られる機会はそうないと感じました。「愛と創造の軌跡」と題されているように、ピカソと女性との出会いや愛情の歴史を中心軸に作品が陳列されている構成も面白いと思いました。

 確かに恋愛や結婚の相手によって、色彩や画風が変わっていく道筋も見て取ることができます。それは、創造性の心理学など引き合いに出すまでもない、自然の流れのようにも感じられました。

 ピカソなど見飽きたと感じていらっしゃる方にも、この展覧会は一見の価値ありと、お勧めしたいと思いました。

 ピカソ展の後、銀座のGallery58で初日を迎えた有賀和郎氏の個展に行きました。前回の同画廊での個展で脱皮した観のある氏の作品は、またさらに勝るとも劣らない興味深いものでした。

 会場の方と言葉を交わしながら何度も巡るうち、そのたび新しい発見があるような面白さを味わいました。そこでお知り合いになったイタリア人のPさんに、「どの作品が好きで、何が見えますか?」と訊かれ、謎解きのようにお互いが見えたものを語り合うのも楽しいひとときでした。氏が、単純に「夢の光景」だとか「星のような淡い光」とか決め付けずに、懸命に心の言葉で語ろうとするのが特に興味深かったです。結局は、氏は謎を解き明かす言葉を口にしませんでしたが、それだけ奥深く心に染みている感じが伝わってきました。

 その後の集いでも、とっておきの美術品などのお話を参加された方々からお伺いできて、とても有意義な午後を過ごすことができました。目の肥えた方の、本当に誠意のあるお勧めでしたので、それは後日、きっと私の目で確かめてここに書きたいと思いました

  

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絵画に心吹き込むコンサート Marimba in Gallery吉岡孝悦プロデュース石響<展覧会のマリンバ>

 今回は観客として、心行くまで定例となったこのコンサートを楽しむことが出来ました。2008年9月14日(日)

(参加画家は、渡辺あしな氏、古渡依里子氏、勝間田弘幸氏、斉藤芳子氏、唐沢貴子氏、松岩邦男氏)

 画廊や美術館で絵を見るのとはちがって、いかに絵に命が吹き込まれて浮かび上がることか、改めて感激しました。初めて一昨年に画家の有賀和郎氏にお誘いいただいたときの新鮮さそのものでした。

 壁にかけてあるだけでは、ふと見落としてしまいそうなところまで、なんと鮮やかに画家の心を語り出すことでしょう。吉岡氏の趣向で、最近画家自身の制作意図をインタビュー形式で演奏前に語るようになってから、なおさら興味が惹かれるようになりました。

 人が自分の絵をどういうふうに見てどう感じているか、いかに孤高の画家とはいえ、永遠に捕えがたい関心事であり、ある種神秘な課題として常に残るものだと思います。そこへ、音楽家が感性で捕えた命を吹き込み、視覚と聴覚で同時に実現して見せるのですから、こんなに至福のときが他にあろうはずがありません。観客も、それを一緒に味わいながら鑑賞できる時代が到来したことは、ある意味感覚の革命が一角で起こりつつあるといっていいのかもしれません。

 こういうコラボレーションは、是非多くの人にお勧めしたいと思いました。

 演奏会後の交流会で、インドに滞在してご制作とのW氏の絵画に、羨ましい異国情緒を感じてお話を伺いました。ご主人が、今や世界のハイテクセンターでもあるインドの中心的都市の物理研究室にお勤めとのこと。

 ご主人もいらっしゃっていて、お話を伺うと、何やら不可思議な「遊体」の研究をなさっているとのこと。遊体離脱とさえ通じるような物理学ということで、ハイテクの先端を行く学問というのは、なんという心理的な領域にまで入り込んでいることかと驚かされました。

 たしかに芸術とも一脈通じるところがあるとのことで、当の物理学者ご自身も、絵を描いて銀座の画廊に出品されるとのこと。話は大いに盛り上がりました。

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何を回想して生きますか?

 毎週往診で伺っている九十歳を越えたおじいさんは、海風のよく通るお部屋で静かな老後を暮らしておられます。伺うたびにお話になるのは、遠い過去の思い出がたくさん浮かんできて、「本当にあんなことは、あったんだろうか?」と不思議でならないということです。

 今でも澄んだ眸をしておられるおじいさんの視線の向こうには、手入れの行き届いた庭があります。古い苔に覆われた庭の空間に、二度の大戦の時代を生き抜かれた人の思い出の幻が騒ぐのをふと見たような気がしました。

 同時に、かつて「ユング自伝」を読んだときの感動も思い出しました。ユング自身、人生はただ物語るだけだと、外見こそ平穏で変化に乏しいものの、心の物語に光を当てつつ淡々と語ってゆきます。しかし、たしか八十五歳くらいで書かれた自伝にしては、幼時からの記憶が鮮明で、心の物語を織り成す出来事とはこれほど貴重な人生の宝物なのだと強く印象づけられたことを思い出しました。

 振り返ってみれば、どんなに忙しくても、静かに保たれた心の中では、毎日のように思い返していることがあるのに気づかされます。そして、今も新たな思い出に残るにちがいない事も進行しているのだということにも。回想しつつ、どんなことが深く心に刻まれていくのか、そんなことを認識できるところに人生がさしかかったような気もしています。

 この瞬間が、きっと深い思い出に残るにちがいないと思いつつ、現実の時間はどんどん過ぎていってしまいます。将来この時を思い返すとき、本当にそんなことはあったんだろうかと、きっとおじいさんのように不思議に感じるにちがいありません。でも、幻のような思い出でも、それこそ最後にためつすがめつ一日を費やして考える宝であることには間違いありません

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高島野十郎の厳しい画作の境地

 先週のNHK新日曜美術館で、「高島野十郎」の特集をやっていましたね。恥ずかしいながら、この放送まで、こんな画家が日本にいたのを知りませんでした。

 どうして超秀才の、いくらでも可能性のある生き方から、俗なものを一切排除して、孤高の画業の道に入っていったのか、人の好奇心を引き付けて止まない神秘な生き様が山ほど隠されているのを感じます。もちろんそれは、作品に込められた深く精緻な精神性から来ていることが、紹介されていく写実を極めた絵から見えてきます。

 「睡蓮」の絵は(モネとは自ずと視点はまったく違うのですが)、自然の風景ながら、微動だにしない宇宙空間を見せられたような、一分の隙もない張り詰めた空気を感じます。

 中でも、私が最も驚かされたのは、渓流の作品でした。何日も渓流を見つめ続け、ついに水の動きが止まって、岩が動き出す瞬間を描き出したという境地には、日常の世界を突き抜けたものを感じさせられました。常識が反転される瞬間を描き出した絵といっていいのかもしれません。偶々その後、ある展覧会で、他の画家の渓流の絵を見る機会がありましたが、似たような情景でありながら、その奥行きの隔たりにため息が漏れたほどでした。

 十数年もかけたという雨の降る五重塔の絵も素晴らしかったですね。

 社会とのつながりをほとんど絶って、ひたすら絵や小説に打ち込んでいる人は、身近に何人か見かけてきましたが、あのすごい作品を作っていた人たちは今どこでひたすら黙々と創作に没頭しているのか、ふと脳裡を過りました。きっと将来、新たな高島野十郎として発見されるのかもしれません。

 あらゆるものを捨てて、一つのことに打ち込みたいと思っている人は結構多いと思いますが、現実的にできないとか、そういう生活に飛び込む勇気がないと感じる人も多いのではないでしょうか。そのような思いを、一生を捧げて貫いたところに、高島野十郎の偉大さと、人を魅了せずにはおかない深遠さがあるのではないでしょうか

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Marimba in Gallery吉岡孝悦プロデュース石響<展覧会のマリンバ>

 今年も四ツ谷の石響で開催される吉岡孝悦プロデュースの<展覧会のマリンバ>のご案内を、画家の松岩邦男氏からいただきました。(開催日9月14日、15日)

 早いもので、昨年参加させていただいてから、もう一年経ってしまいました。吉岡孝悦氏(マリンバ)と中川俊郎氏(ピアノ)のリハーサル中に絵画を搬入、飾りつけするという新しい体験に、とても新鮮な感動を覚えたのが甦ってきます。

 二日とも満席の盛況だったのも、残暑の暑さを熱狂に変えてくれました。お二人の脂の乗り切った演奏を、今年もたくさんの方々にご覧いただきたいです。

 コラボレートする画家の方々は、渡辺あしな氏、古渡依里子氏、勝間田弘幸氏、斉藤芳子氏、唐沢貴子氏、松岩邦男氏で、各々独特の作風なので、どんな曲がつくのか楽しみです。

 今年は、気楽な鑑賞者として、存分に楽しもうと思っています

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「生きること」で、考えさせられること

「いやあ、本当にびっくりしました」と大きな声で、言いながら診察室に入ってこられた方に、私も何事かとびっくりしました。

 訊いてみると、最近、七十歳を迎えて同窓会が開かれたのだけれど、二十八人いた男性のうち、二十人がすでに他界してしまっているとのこと。女性のほうは、その反対の数だったそうです。どうやら男性が七十歳まで生きるというのは大変なことのようです。

 昨日まで青春を謳歌していて、まだ漠然と明日があるような気にもなっていた今日このごろでしたが、人生を現実的に見つめて、整理しながら生きていかなければならないところに差し掛かっているのかと、考えさせられました。

 一方では、元気に百歳を迎えられたおばあさんで、雨でもあられでもしゃんしゃんと歩いて通ってこられる方ですが、「長生きで一番つらいのは、体の心配ではなくて、仲間がいない精神的な苦労が最も大変です」としみじみと言っておられたのにも、深く考えさせられました。

 慌しく生きている日々の中で、限りある時間とか、毎日の一瞬ごとの大切さとか、生きる緊張感とか、これからの自分の有りようとか、ふと仕事を離れたときに案外深い思いに誘われる出来事でした

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「対決巨匠たちの日本美術」(東京国立博物館)運慶VS快慶、雪舟VS雪村、永徳VS等伯、長次郎VS光悦、宗達VS光琳、仁清VS乾山、円空VS木喰、大雅VS蕪村、若冲VS蕭白、応挙VS芦雪、歌麿VS写楽、鉄斎VS大観

 猛暑が一段落した日曜日とあって、久しぶりに銀座と上野の展覧会巡りに出掛けました。

 銀座松屋でやっていた漫画家の「高橋留美子」展。故郷の街の、自宅から歩いて五分ほどのご出身とあって、親近感から伺おうと思いましたが、超満員で、入り口のアニメ画面だけを拝見してあきらめました。ますますのご活躍をお祈りします。

 国立博物館の「対決巨匠たちの日本美術」運慶VS快慶、雪舟VS雪村、永徳VS等伯、長次郎VS光悦、宗達VS光琳、仁清VS乾山、円空VS木喰、大雅VS蕪村、若冲VS蕭白、応挙VS芦雪、歌麿VS写楽、鉄斎VS大観は、すばらしかったです。

 スケールが大きすぎて散漫になるかと、あまり大きな期待はしていませんでしたが、名作をそろえた大企画だったと思います。時代を代表する天才の対決とは名案で、よい企画でした。

 大混雑でしたが、名作に圧倒され、酔ったような人の流れに押し流される気分でした。「この展覧会は見なければ損をする」そんな思いにさせる展覧会でした。

 若冲にも圧倒されたし(本当に鶏が動きだしそう)、大好きな円空仏も、中途半端じゃないいいものが展示されていたし、野々村仁清の壷も絶品! 長次郎と光悦の茶碗など、渋いけれど舞い上がりそうな感動と奥深さを感じます。 

 長沢芦雪の「虎図襖」に描かれた幻想的な猛獣の虎には、そうめったにはお目にかかれないでしょうね。

 東洲斎写楽の「市川鰕蔵」とか喜多川歌麿の「ポッピンを吹く女」などを直に見られたのも感動でした。

 長沢芦雪の狂気すれすれの幻想画もすごかったです。

 

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よの木

 きょうは海辺の故郷の街の往診日でした。油蝉の声がかまびすしい夏真っ盛りの情趣を感じながら、街を歩きました。

 古い家屋がウナギの寝床さながら連なった小路の趣は、タイムスリップして昔の懐かしい時に紛れ込んだような錯覚を催します。傾きかけた家々の板壁、夏の花々、雑草、荒れた苔にも何かしら安らぎを感じます。

 外国の写真家とか建築家に、こんな人間の匂いが濃く染みついた場所を紹介したらさぞ感動するだろうなと、通るたび思います。東京と故郷の街を往復している私自身、異国へ来たような感じもします。

 そして坂道を上っていくと、傍らの崖の上に日本海を望む神社があります。きょうは、崖からせり出した鳥居の脇の大木が、盛夏に思い切り枝を広げて欝蒼とのしかかるほどにも見えました。

 樫の木か樟のようにも見えますが、そうでもなさそうです。さっそく訪ねた百歳近いおじいさんに訊いてみたところ、「よの木」というのだそうです。手元の辞書では見当たらないので、方言か愛称なのでしょうか?

 ささやかですが、真夏の一日に印象に残った眺めでした。

Photo_2 「花渦」(テンペラ混合技法 キャンバス10号F) 

 

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ピラティスに初挑戦しました

 最近、暑さに加えて十分にリラックスできていないのを感じていました。真夏に温泉というのもなんだし、イモ洗いのプールもなあ、と迷っているところでした。

 ネットで検索して、思い立って今夜、ピラティスに挑戦してきました。新しい世界に飛び込むようで、とても新鮮な体験でした。スタジオで、最初にいきなり「だいぶきついですけれど大丈夫ですか?」とインストラクターに心配そうに訊かれたときは、ちょっと不安になりました。

 レッスンが始まって、大鏡に映った周りの若い女性たちの背筋が伸びた見事な胡坐の姿勢に圧倒されました。小生の股関節と腰は、最初のいくつかの姿勢で早くも悲鳴を上げ始めました。

「背骨が一個ずつマットから離れていくように」とか、「ガムテープを剥がす感覚で頭から上げていきましょう」とか、リアリティーのあるインストラクターの言葉どおりに体を動かせたらさぞ快感を味わうことができるのでしょうね。私は、周りの形を真似るのが精一杯というところでした。

 でも、一時間のたしかにきついレッスンを終えたときには、爽快感を覚えました。腰も背筋も伸びて、動きがしなやかになったような感じもします。

 あしたから、またダイナミックな仕事に体が乗ってくれるか楽しみです

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ある医師の趣味「蝶の採集」(Astellas Square 2008 8-9月号より)

 きょう仕事の合間に読んだエッセイに、印象に残るものがありました。製薬会社の雑誌に掲載されたある医師の「蝶の採集」の趣味についてのものでした。そこに、著者の、表向き趣味とは言わざるを得ないものの、深い夢の真摯な追求を感じたのに打たれました。

 著者の仕事上での激しい消耗は想像に難くありませんが、その一方で、自分に立ち返ったときの心の内に広く大きく広がる蝶に賭ける夢が、読者のこちら側にも伝わってくるようでした。著者は稀少の蝶を追い求め、それを採集することに、地球規模の地理、気象、生態系などの自然科学、博物学のあらゆる科学的な知識を動員しなければならないことを説きます。

 さらには、蝶を発見した瞬間に識別する視力や捕える動態視力、反射神経と、人間的なあらゆる能力も動員されなければ、憧れの蝶には到達できないということも。著者は、憧れの蝶を求め、インド、チベット、シベリア等、世界中へ出掛けるそうです。

 少年の夢が大きく膨らんで、大人の夢のすべてを賭ける人間の理想にまで発展しているのを感じずにはいられませんでした。私も、中学生のころまでは昆虫少年で、一時蝶を追って夢中になっていてことがありました。それで、共感も、ひとしおでした。

 地球規模とまではとてもいきませんでしたが、ミヤマカラスアゲハの不思議な鱗粉の輝きに惹かれ、生息地を懸命に探したり、捕虫網の動かし方を、何度も練習したりしました。また、捕り逃がした蝶も、必ず縄張りの同じ場所に戻ってくる習性を知って、真夏の木陰で何時間もじっと待っていたことも思い出しました。

 今夜はしばし蝶の夢に浸れそうです

Photo 「夢駆ける」(テンペラ混合技法 キャンバスF0号)

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小山右人個展 幻想絵画個展・銀座 Exposition Yujin Koyama 2009.Feb.11-21 2009年2月の幻想画・幻想絵画個展に向けた新作です!-「幸爛漫」「讃歌」「飛翔」「幸呼ぶ声」「天使の水音」「夢想」「水面翔る」

幻想絵画

小山右人絵画個展

 2009年2月11日~21日(日曜休廊12:00~19:00ぎゃらりぃ朋 銀座1-5-1第三太陽ビル2階 tel03-3567-7577)に向けた新作です!

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「幸爛漫」(テンペラ混合技法M10号)

Hishou
















「飛翔」(テンペラ混合技法キャンバス F6号)この連作3作目。だいぶ作風も落ち着いてきました。

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「幸呼ぶ声」(テンペラ混合技法 キャンバスF6号)水音の響く淡いPhoto_2星空に木霊す幸いを呼ぶ声のイメージです。

「天使の水音」(テンペラ混合技法 キャンバスF6号) 

テンペラと油彩を交互に塗り重ねて、宝石の奥から光が深く射すように、エメラルドグリーンやマリンブルーの色調に微妙さを持たせました。翡翠とか瑪瑙の奥深い艶が出せるのが目標です。山の中の澄んだ湖を、泳いで横断したときの恐れ戦くようなブルーのグラデーションも、心に深く染み付いています。そんな色彩が実現できたかどうか、ギャラリーでご堪能下されば幸いです。

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「夢想」(テンペラ混合技法、キャンバスF6号)

 暑さの続く夏の夢にふさわしい幻想画をイメージしました。やはり石垣島や、西表島など沖縄の八重山諸島を旅した印象が濃く反映されている気もします。

 西表島の夜の川面に映る星空、亜熱帯の藪の中でかすかに光る蛍など、とても美しかったです。

次回の「小山右人個展」Exposition of Fantastic Art Yujin Koyama

 来年(2009年)2月11日~2月21日(日曜休廊)ぎゃらりぃ朋(東京 銀座1-5-1 第三太陽ビル2階 TEL03-3567-7577)での個展の新たなテーマです。水面を中心に、その上空や、深層で繰り広げられる様々の生命の形の変幻自在をお楽しみに!Photo_5

「水面翔る」(みなもかける テンペラ混合技法10号Mキャンバス)



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「讃歌」(テンペラ混合技法キャンバスM10号) Map_2

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夏の夜はハンモック 揺れる感覚の解放感 QOLクオリティー・オブ・ライフが一気にアップ

 暑い日が続いていますね。こんな夜は、屋上でハンモックにかぎります。東京の夜風はけっこう涼しく、揺れる感覚とともに大空を見上げていると、避暑地に来たような気分になります。QOLクオリティー・オブ・ライフも一気にアップします。

 東京の夜空でも、月が美しかったり、雄大な雲がゆっくり流れていくのを見上げていると、気持ちが果てしなく解放されます。

 獅子座流星群の騒ぎのとき、鮮やかな流れ星を家族と見上げた懐かしい思い出も蘇ってきます。その印象を、何点かの幻想画にしたりしました

Photo 「夜の想い」(油彩 キャンバスF10号)

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ポンペイ遺跡のバーチュアル美術館と初蝉の声

ポンペイ遺跡のバーチュアル美術館と初蝉の声

 夕立の後、庭から初蝉の声が聞こえてきました。俳句を考えていた父は、この句を作らねばと、想を練り始めた様子。

 小生は、PCでポンペイ遺跡のバーチュアル美術館の様子をフランスTVで見ていました。こうも幻想の領域をバーチュアルなハイテクで侵されていくと、自分の仕事の領域も狭くなっていくな、などと思っている折でもありました。

 さすがに歴史的な繁栄の古代都市の再現ですから、幻想芸術的にも見ごたえのあるものでした。

 そこへ、ふいに庭から聞こえてきた油蝉の声は、どこか遠く懐かしい世界から響いてくる音にも一瞬聞こえました。

次回の「小山右人個展」

 来年(2009年)2月11日~2月21日ぎゃらりぃ朋(東京 銀座)での個展の新たなテーマです。水面を中心に、その上空や、深層で繰り広げられる様々の生命の形の変幻自在をお楽しみに!Photo_5

「水面翔る」(みなもかける テンペラ混合技法キャンバス10号M)

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ETAホフマンの「砂男」と柳田国男の「遠野物語」を併せ読む面白さ

ETAホフマンの「砂男」と柳田国男の「遠野物語」を併せ読む面白さ

 二つの本を行ったり来たりしながら、その底に流れているものの共通した不思議さ、不気味なものへの驚きの深さに、さらに興味をそそられます。

 時代も文化も全く異なる場所で、自然や人の心の中に忽然と現れる不気味な影が、次々に別の人物に重なって転移して物語が進展していったり、村人の中に共通の幻覚的な妖怪が共有されていく物語の尽きない積み重ねという展開。この両者とも、私の関心を捉えて放さないものです。

 近いうちに、これらの物語を携え、広い遠野の地をさ迷うことになるでしょう。

Rimg0019(テンペラ混合技法の絵画部分)

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大正の鬼才ー「河野通勢」展(渋谷区立松涛美術館)-「竹林之七妍」がとくに気に入りました

 大正の鬼才ー「河野通勢」展(渋谷区立松涛美術館)Kouno Michisei に行ってきました。

 画家自身、独自の技法を磨いて自信を持っていたとのことで、新発見の一連の作品には興味深く楽しめるものがありました。

 静物や風景、人物画に、基礎的な技術力と個性が滲むのを感じました。私はとくに独特の細密銅版画と、一部の想像力を駆使した油彩に惹かれました。

 「竹林之七妍」と題した十号ほどの油絵は、もっとも興味を引かれた作品でした。竹林を背景に、西洋東洋の美神が、独自の風俗の衣装で細密に描かれている幻想性に惹かれました。もしこの路線で、この画家がたくさんの作品を残していたら、大画家として称せられていたことでしょう。しかし、この一点だけでも、いっとき別世界に遊ぶ時間を楽しむことができました。

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「遠野物語」柳田国男著(岩波文庫)に読みふける日曜の朝ー東北の地に溢れる妖怪、霊魂、不思議な現象への興奮

 昨日は友人の教授就任祝いで、東京會舘でにぎやかな祝宴でした。

 打って変わって、今朝は柳田国男の「遠野物語」に読み耽る静かな日曜日のいっときとなりました。故郷の街で半分過ごしている今、広い海、田、山の中に潜むたくさんの神話や語り伝えを身近に感じるようになったせいもあるかもしれません。

 遠野の地に伝わる妖怪変化の物語を読み進むうち、何もない広い野や山で、ふいに出くわすような白昼夢さながらの幻影が、語り伝として書き綴られている具象的な姿には驚きと感動すら覚えるものがあります。--例えば、「猿の経立」(さるのふったち)とかいって、松脂を毛に塗り、砂をつけて銃弾をも受け付けないような怪物が、童を脅す言葉になっているような話などには、思わず幼少期、悪いことをすると得体の知れない怪物にさらわれるなどと散々聞かされた話を思い出したりしました。

 文章に喚起された力に引かれ、遠野を訪れるのは、今年中になると思います。広い野山に、さぞたくさんの妖怪たちが騒ぐことでしょう

Photo 「密林の夢」(テンペラ混合技法、キャンバスF6号)

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ギリシャのサントリーニ島への憧れー夢に見る島、幻想に描く島

 最近ギリシャを旅してきた知人に、サントリーニ島の美しさを聞かされ、一度は行くように強く勧められたので、夢が膨らんでいます。知人が言うには、静かな海に映える夜景は、筆舌に尽くしがたく、この世のものとも思われないほどだとの熱の入れようです。

 そこまで自信を持って勧められると、さすがにいつかは行ってみたいと、一つの目標を与えられたような気にもなります。さっそく何枚か写真を見てみましたが、さすがに起伏の多い絶景の土地と、美しい建物、街並みの島のようです。

 いつ行けるかはわかりませんが、夢の場所が一つ出来たことは嬉しいです。夢見、幻想し、それを膨らませて作品にするのが仕事のようなところがありますから、実際に行ってしまったら、せっかくの夢が消えてしまうかもしれません。

 憧れの島に見る夢は、きっと次の作品のどこかに姿を現すにちがいありません。私がサントリーニ島を訪れるのは、飽きるほど夢を見切ってからにしようなどと、熱く語られるほど少々構えながら思っています

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英国美術の現代史:ターナー賞の歩み展を見てーなぜコンセプチュアルアートに辟易して、古典的幻想画に惹かれるようになったか自分史を見る機会にも

 六本木の森美術館で開催中の「ターナー賞の歩み」展を見てきました。

予備知識も全然なしに、ただ「ターナー」と冠してあるのでイメージだけで飛び込んだのですが、予想外の展示に、ショックというか、失望的驚きを感じたというのが正直なところかもしれません。

 英国でも、 日本やアメリカと同時代的に似たようなコンセプチュアルアートが進展していたのですね。三十年余り前になりますが、意気盛んな先輩画家が、ラウシェンバーグやイヴ・クラインなどの写真を誇らしげに見せてくれた当時、新しい挑戦に胸躍ったことを思い出しました。

 そして次々に新しい試みや画家が日本でも輩出して、画廊巡りが新鮮だったのを思い出します。しかし、鋭い試みで時代を切り開いていくのも、一回限りで、鮮度がみるみる落ちていく哀しさも、肌身に実感したときでもありました。どこの画廊に行っても、「いつまで似たような訳のわかんない石ころがごろごろしてんだろう」と溜息が漏れた頃もありました。

 今回の展示の目玉らしい、親子の牛を、体の真ん中からぶった切りにしてホルマリン漬けにしてあるデミアン・ハーストの「作品」も、ある意味、残酷でショッキングな展示に限界的行き詰まりのようなものを感じました。「なにも、こんなに可哀想な展示をしなくたって、画家なら自分の筆力で、何倍もインパクトのある表現ができるだろうに」という批評が起こるのは必定だと思います。ぼくも、そちらの方に組すると思います。遠い昔、レオダルド・ダ・ヴィンチが、性交している男女の断面的解剖図を描いた方が、はるかに強烈なコンセプトを伝えてくるのが、逆説的に印象的に甦りました。

 ぼくにとって、現代アートが、時代を切り開く胸躍らす展開であったときから、退屈極まりない古物に変わっていく、自分の内面のアート史を見るようなきっかけにもなったといえるかもしれません。

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新しい個展のテーマです!「水面翔る」水面に騒ぐ夢、生命のメタモルフォーズ(小山右人個展来年2月ぎゃらぃl朋にて)

小山右人個展

 来年(2009年)2月11日~2月21日ぎゃらりぃ朋(東京 銀座)での個展の新たなテーマです。水面を中心に、その上空や、深層で繰り広げられる様々の生命の形の変幻自在をお楽しみに!Photo_5

「水面翔る」(みなもかける テンペラ混合技法キャンバス10号M)

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心に残る個展ー「小泉孝司」作品展(電通恒産画廊 銀座)ー「勝 国彰」展(ぎゃらりぃ朋 銀座 及びBunkamura Gallery 渋谷)

「小泉孝司」作品展(電通恒産画廊 銀座) 私が氏の個展を見たのは、もうずいぶん前(たぶん1994年ころ)だと思うけれど、強く印象に残っている。不条理の空間を思わせる、主に室内が、柔らかなタッチで、多彩な光線も交えながら描かれていた。

 例えば、螺旋階段に、四脚のテーブルが引っかかっているだけの構図なのだけれど、その空間と物との関係が、カフカの小説さながら、覚めながら夢見ているような不思議な感興に誘い込む。

 がらんとした板床の室内に、窓から斜めに射し込む光線が作る色彩の虹色で鮮やかな反映は、フェルメールの窓辺に佇む娘に射す光を髣髴させもする。しかし、それとは一風変わって、光線独自が意味を持って、室内を光の舞台へと変質させる。そこに広がる空間の不条理と、光との関係を際立たせるのだ。

 個展のときいただいたカードは、貴重な宝になっている。

「勝 国彰」展(ぎゃらりぃ朋 銀座 及びBunkamura Gallery 渋谷) 今や無名の画家から一躍有名画家になった氏の噂は、伝説のように銀座のあちこちで語られているが、私も身近なところで、氏と作品を拝見してきたので、一々興味深い。

 細密画の技術の巧みさ、色彩のコントラストの絶妙さ、何やら異界の物語を思わせる人物や異形の妖怪たちとの絡み、いずれを取っても、隅々まで飽きさせるものはない。

 氏が、絵のためにあらゆるものを犠牲にし、極貧に耐えて作品に込めてきた祈りがそこからは滲み出している。

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目に栄養感じる「honokaのエメラルド原石ジュエリー展」・・・さすがの風格「鈴木睦美漆器展」(松屋銀座美術画廊)

 暑くも寒くもないちょうどよい陽気、仕事の後に銀座の画廊巡りをしようと思いました。が、あいにくの雨に、デパートに駆け込みました。

「honokaのエメラルド原石ジュエリー展」 目的の絵ではなかったけれど、偶然出会ったエメラルドの原石をふんだんに使ったジュエリー展には驚きました。幻想的で、深みのある、まさにエメラルドグリーンの味わいに酔いました。これだけ存分に見せられると、目からたっぷり栄養を与えられたような豊かな気持ちになるのも不思議です。いろいろな形をした自然の力の趣くままの黒蝶真珠もよかった。

エメラルドの装飾品

「鈴木睦美漆器展」 さすがに熟練の風格を感じます。広い会場を充たす漆のほのかな香りにも惹かれます。大きな朱塗りの器に、金色で星座が描かれていたりして、大きな宇宙も感じました。

絵画のよい展覧会には巡り会えませんでしたが、豊かな気分になったことは確かです

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ウィリアム・ブレイク(William Blake)へのオマージュ・・・神秘の水彩画、版画。祈りと人間の物語の詩

 ウィリアム・ブレイクの詩の朗読始まる静かな日曜日となりました。慌しい日常とかけ離れた時間の流れの中に引き込まれます。

 今朝は、「無垢の及び経験の歌」(梅津載濟美 訳)を読みました。

 どの美術館の展覧会だったか忘れましたが、「あわれみ」の水彩画は印象的で、いつも身近に置いています。紺の背景の深さ、天使の手に抱かれたキューピットの愛らしさ、流れるような衣に解け込んだ白馬、哀しげに横たわり祈りを捧げる少女・・・

 この絵の神秘も、心の底に流れ続けています

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心に残る個展ー「貴和皓山」KIWA KOZAN作陶展(松屋銀座美術画廊)ー「チェ・ウラム」CHOE U-RAM展(森美術館ギャラリー2)

「貴和皓山」KIWA KOZAN作陶展(松屋銀座美術画廊)平成19年1月 貴和曜変茶碗の魅惑

 特に陶器には造詣がなかったけれど、個展を見て驚きました。茶碗の底にも広大な宇宙が現れているのには感動しました。前年の同展も素晴らしかったです。

 パリの美術館でも特別展が催されたようですが、頷けます。

「チェ・ウラム」CHOE U-RAM展(森美術館ギャラリー2)2006年3月~5月

 メタリックアートもいろいろあるけれど、こんなに幻想的に昆虫や、空想の生物を精緻でメカニックに作り上げている作品に出会ったのは初めてでした。特に、ゼリー状の液体の中で、海蛇のような金属の生物が、妖しい七色の光を反射しながら身をくねらせている幻想性は、今でも時々思い出します。

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アルベール・カミュの「異邦人」「カリギュラ」-L’etranrer Albert Camus 小説と幻想絵画

 よく持ち歩いている本の一つに、Collection Folio の[L'etranger] Albert Camus があります。フランス語がとても平易で滑らかで、ちょっとした時間の隙間に読むと休まります。

 カミュといえば、かつて大学紛争のころは、学生たちの集まりでよく議論されたのを覚えています。日本では、あのころいちばんよくよまれていたのではないでしょうか。「異邦人」の映画もあって、海の場面がとても鮮やかだったのが印象に残っています。

 そんな懐かしさもあって、擦り切れてしまったこの本を、よく胸に忍ばせています。

 しかし、フランスでは、相変わらず根強い人気のようで、文化の番組ではほとんど毎日といっていいくらい話題に上ってくるので、少し驚いています。「カリギュラ」も人気があるようですね。

 その辺を考えながら、また読み直してみたいと思っている今日この頃です

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蓮の花(栗林公園 高松)-古典絵画技法による生命力「繁茂」の絵。天国と地獄、繁栄と死の影を潜ませた絵

Rimg0883_2  蓮の花の季節になってきましたね。

以前に高松の栗林公園で見た鮮やかな蓮の花です。

Photo_8「繁茂」(テンペラ混合技法)

ちょうどこれから生命力が繁茂する季節のイメージの作品です。

部分の写真も掲載してみます。画廊での鑑賞とはまた一風変わったところがご覧になれると思います。

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水面に幻想絵画を感じる瞬間ー石垣島のカヌー、西表島の「星の絵」「星の幻想絵画」

Rimg0397_3 石垣島で、マングローブをカヌーで探検しているとき、素朴で広大なジャングルの水面に、子供の頃、川で遊んだ時間がそっくり甦ってくるのに、不思議な興奮を覚えました。

今、水面が喚起する幻想絵画の奥深さに強い関心を抱いています。

Photo_2  「星の魔術師」(テンペラ混合技法 F0号キャンバス)

西表島で、川面に映る星空も圧倒的でした

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自分の好きな場所ー海と光の幻想画

Rimg0629  仕事で行って、その後いちばん気持ちの休まる場所のひとつが、高松でしょうか。思い出深く、何度でも訪れたい街です。

 瀬戸内海にさりげなく臨んだカフェのテラスは、最高に開放的な気分です。

 イサム・ノグチの美術館とか、屋島、直島など、大好きな場所がふんだんにあります。


                                                                                                                           Photo                                    「黄金の日矢」(テンペラ混合技法 キャンバスF6)

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花の精翔る中庭 花の幻想絵画、妖精の絵

Rimg0377  花々の美しい季節になってきました。しっとりした海辺の町の空気の中、花が咲き乱れています。

Photo 「密林の夢」(テンペラ混合技法 キャンバスF6)

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ツルバラの小さな花が咲きました

Rimg2677  梅雨の気配を感じさせるしっとりした空気の中、小さなツルバラの花が咲きました。緑が濃くなった庭の中で、紅一点、より可憐さが引き立ちます。

 町の家々の前庭にも花々が溢れています。猫たちがのんびり昼寝する小道や、坂の多い海辺の町を往診して巡りました。皆さんお元気で安心しました。

Photo 「花湧く泉」

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絵が持つ出会いの力と親和力ー花の園、楽園の絵画

Rimg2362  この前の展覧会の飲み会でも話題になりましたけれど、絵を通じての出会いの機会が多いようです。

 絵には、その人の生き様とか心が素直に表れるからでしょうか。振り返ってみると、絵をきっかけに出来た親密な友人が多くいます。ぼくの大切な友人は、ほとんど何らかの関係で、絵と関わっているといっても過言ではないようです。

 そればかりでなく、ぼくの個展の画廊で偶然出会って、すんなり結婚してしまった人もいます。それもやはり、絵が発揮する親和力でしょうか。

 桜の園でめでたく式を挙げているカップルを見て、ふとそんなことを思いました。

どうぞお幸せに!

Photo 「歓喜」(テンペラ混合技法 キャンバスF0号)

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枝垂桜と花の精 妖精の幻想絵画

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春のうららかな日、枝垂桜の園に、一瞬、花の精の幻影が浮かびます

Photo_2 「花精」(テンペラ混合技法 キャンバスF0号)

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京都の夜桜と幻想画

Rimg2075Rimg2200  今年の桜の季節に、仕事で京都に行けたのは幸いでした。

夜桜は、素晴らしく幻想的です。いかがでしょうか? 幻想絵画にはふさわしい雰囲気が感じられませんか?
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「花朧」(はなおぼろ テンペラ混合技法 キャンバスF6号)

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平安神宮の枝垂桜ーー桜と幻想絵画

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 もう日にちが経ってしまいましたが、先日仕事で京都を訪れた際に、平安神宮の枝垂桜を見ることができました。

日和もよく、さすがに有名な桃源郷の世界に、しばし陶然となりました。

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「花の陽炎」(テンペラ混合技法 キャンバス6号F)

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カロッサの「ドクドル・ビュルガーの運命」が浮かびます

 海辺の町を往診で巡っていると、カロッサの「ドクトル・ビュルガーの運命」(Hans Carossa)の世界が浮かんできます。

 年代を経た家屋、古木の美しい庭、厚いコケに覆われた池、訪れるお宅で心洗われます。

 潮風、陽光、花々の香りの中、訪れる人々から私も力をいただいてがんばります

Rimg2550 日本海の夜明け

Photo_2 「光さんざめく」(テンペラ混合技法)

清々しい朝陽を胸に抱きつつ

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心の池に泳ぐ鯉ーー緋鯉と幻想絵画

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 きょうは雨、風が強く、静かに池を眺めていた方がよさそうな一日です。

 叔父が手塩にかけて育てた緋鯉たちです。池の中で悠然と泳いでいる姿に心和みます。

 今は澄んだ水の中で泳いでいる鯉ですが、育てる途中で山の泥田の中に住ませないと元気にならないそうです。

 山の泥の中で、たっぷり滋養をもらってきた鯉たちなのですね。

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こんな静かな池の雰囲気と響き合う作品かもしれません。

「星にこだます」(テンペラ混合技法)

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往診で巡る海辺の街 懐かしい街での不思議な体験

 きょうは少し風が強いけれど、日差しは心地よいです。訪れるお宅の朝顔の蔓も、だいぶ伸びてきました。

 次々に花が咲くのが楽しみですね。

 穏やかな日本海の突堤で、魚の姿を捉えようと思いました。すばしっこくて、ほんの少しだけ写っているようです。

 貝殻を拾って、また新たな今日の記念にしました。

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「香しい風」(テンペラ混合技法)

こんな日和に、海風の中に一瞬現れる幻像は、きっとこんな作品に近いかな?

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父の退院を待って咲いたボタン

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大手術から生還した父の帰りを待つように、庭にボタンの花が咲きました。

ちょうど退院の日に合わせるようでした。

緑が濃くなってきて、庭の空気が心地いいです。

クマンバチの姿も見かけました。蝉が鳴き始めるのもまもなくですね。

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「夢幻」(テンペラ混合技法)

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往診で歩く故郷の街

街には温かい日差しが降り注いでいます。日本海縁の故郷の街を、往診で歩きました。

 どの家の前にも、花々が溢れています。真っ白な除虫菊が庭いっぱいに咲いたお宅、バラや名も知らない紫、ピンクの花など、一番美しい季節です。

 前庭で飼われているメダカや金魚を見ると、子供のころが懐かしくなります。小学校からは、元気な声が響いてきます。

 玄関脇の庭で、亀がぬうっと首を伸ばしたおじいさんのお宅では、枕元にいつもぶちの猫が寄り添っています。心配そうに、時々おじいさんの頭を舐めます。猫は、仲間を癒そうとするとき、舐めてあげるんだそうですね。きっと、おじいさんを励ますつもりなのかもしれません。

 皆、しっとりと海辺の土と穏やかな風と生き物たちと解け合っている感じがします。故郷の街を、しみじみと実感するときです。