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人の心を打つ秘密

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 勝国彰氏の個展が、銀座のぎゃらりぃ朋にて3月7日から16日まで開かれる。
 画廊主が無名の彼を京都だったか大阪に発見し、たちまち画壇で成功を収めていくシンデレラストーリーを、間近で見続けることができたのは幸いだった。
 今回も、いただいた案内状の緻密な幻想画から受ける魅力と感動はゆるぎない。
 早朝のカフェで、ゆっくり絵の写真を窺いながら、その魅力はいったいどこから来るのか深く考えずにはいられない。
 まず、比類ない細部までの徹底した細密描写には誰しも魅了されるだろう。仏や小僧の表情、龍の鱗の細部に至るまで、心霊の籠もった描写がなされている。細部に込められた情熱は、アニミズムの趣にまで深化し、全体の仏教的深淵のテーマをさらに幾重にも増幅させる波動を巻き起こす。
 たいていの画家が、みじめな失敗をしてしまう難所だが、彼はそこを乗り越え成功している。並はずれた才能というしかない。
 画家を取り巻く物語りも含め、何が人の心を打つのだろうと深く考えざるを得なくなるのも、この人の才能のなせる技だろう。

 さて改めて、人の心を打つ秘密とは何なのだろう?
 素朴だが、案外人が直接問おうとすることを忘れがちな問題ではなかったか? とりわけ創り手にとっては、日常の最も切実な問題といっても過言ではなかったか? だが、問いかけ自体が捉え処なく、姑息で、あるいはあまりに性急に核心を求めようとしていて、馬鹿げているだろうか? 自意識の強い「芸術家」にとって、他人の心などおもんばかるのは媚びることであって、自分の感じるままに最大限に表現すればよいのだと激昂するかもしれない。
 とはいえ、創作には、目に見えない他人の心、あるいは世界の重い扉に向かって叫ぶ所作が自ずと含まれているのではないか? 狭いアトリエで制作に没頭しながらも、そこに向かって叫んでいる自分を意識しなかった画家がいるだろうか?
 その叫び、膨大な生のエネルギーの放出は、たいていは届かず報われず、画家に悲劇が訪れる歴史は誰もが嫌というほど知っている。その悲劇そのものが、遺作に彩りを与え、魅力を増幅するような観すらある。
 悲劇にせよ祝福にせよ、創造者(敢えて創造に取り憑かれた者と言ってもいいだろう)に訪れる運命はどうしようもないものとしても、作品そのものが放つ魅力には、やはり謎解きを誘う強烈な神秘が含まれている。その神秘の度合いに応じ、創造者の宿命もドラマチックな悲劇性を帯びるようなところもある。
 アトリエでの叫びは、画家が思う以上に作品に蠢く魂の激しさとして止められ、発見が遅れたことを嘆く者に伝わるのだ。実は、人の心を打つ秘密はその辺に宿っているのではないか? マチエールに残された爪痕のような激しさは、無意識のうちに、痛ましさと感動を見る者に呼び覚ます。
 そこに技術の巧拙がほとんど関わりないのが妙なところでもある。今回の勝氏の場合、徹底した細部描写に込めた情熱が、成功の大きな要因になっている。だが、多くの場合、間延びした細部までの描写がかえって魂の勢いを殺ぎ、凡庸に堕している。
 結局、心の籠もらぬものは見透かされてしまうのだ。当然と言えば当然だ。
 少し見方を変えれば、細密画であれ、描きなぐりであれ、古典、現代美術であれ、ジャンルは問わない。ある種のフェティッシュなまでのこだわりといおうか。見る者は、創り手のこだわりと愛着にとりわけ敏感なのだ。そこに籠もった愛着が深いほど、見る者を打つ力も増す。
 この辺に、人の心を打つ秘密の、最低限の必要条件があるといえようか。
 この基本を再認識させてくれただけでも、勝氏の成果は大きい。
 さて実作を目の当たりにしたとき、この思いはどうなるか? 個展が始まる日を、心待ちにしている。

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