「人生の最大の敵は孤独です」百歳の告白

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 かかりつけの患者さんの中にも、何人かの百歳越えの方がいらっしゃるようになった。その一人の元気なおばあさんが、胸を割って話してくれた。
「長い人生の内で、病気の苦しみなどなんでもない。いちばん辛いのは孤独です」
 という。人生の大先輩としての一言は、心に響いて様々の思いを呼び覚ました。
 百年も生きて、たどり着いた人生の大問題、孤独! この最大の敵に、自分はどう立ち向かってきたか? ありふれていながらつい紛らわしている問題に、いざ正面から向き合おうとすると、捉え処のない大きな洞が広がるばかりだ。しかし、自分の中にも深く巣くっている闇に対して曖昧なままではいられないだろう。
 振り返ってみれば、自分の創作の原点、源泉にも、この孤独っていう奴が深く関わっているような気がする。小説にせよ絵にせよ、自分の核心を突いている作品に没頭するとき、この闇に曙光が射す気がする。洞の存在が消え去る。誰にもこの高揚を邪魔されてたまるものかという思いにもなる。
 してみると、創造に没頭できるのは、孤独という大敵に立ち向かう一つの重要な生き方の戦略であるのかもしれない。
 しかし、常に創造の神秘な興奮の内に住まい続けるわけにもいかない。では、ぼく自身、孤独に対してどんな態度を取ってきたか?
 小説や哲学で様々に表現されてきたように、深い孤独は案外群衆や人がせめぎ合って暮らす大都会の中にある。人との集まりや友人との触れ合い、家庭の中だったりする。
 とくにカルチャーの異なる人の集まりに参加してしまった時の孤立感は際立つ。かといって、付き合いから逃れられる社会でもない。ともかく顔だけでも出してくれという誘いも珍しくない。顔つなぎというこの習慣は、孤独をばらまく一つの源泉になっているのかもしれない。そこには、通じ合えない孤独を闇雲に晴らそうとする泥酔の惨状が展開する。
 そんな煩いを避けるために、ぼくは人との付き合いは、原則一対一にしている。信頼できる人、興味深い人とじっくり向き合って話し込む。実に味わい深く面白い面が見えてくる。堅い人間の絆も生まれる。
 この頃、大切な人を喪う機会が増えてきて、ますます人との絆の重要性を認識させられている。貴重な友人や家族は、何よりも尊重したいものだ。
 しかし、孤独の牙は、人生のスピードにも勝って、惨い影となって襲いかかってくる様相だ。百年の人生が見定めた最大の敵に対しては、常に無謀な闘いを強いられる羽目になるのかもしれない、一条の光りにすがってあくなき抵抗を試みつつ、無限の深みにじりじり飲み込まれながら……。

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彫刻家 保田春彦 生老病死 NHK日曜美術館

彫刻家 保田春彦 生老病死 NHK日曜美術館

 保田氏は元々、主に金属の屋外オブジェを作る彫刻家だった。
 それが、愛妻の死や、自らの脳梗塞の発症などを契機に創造性がさらに高められ、芸術的変遷や深まりが格段に増していく闘いぶりが人生の経過とともに語られ、感銘深かった。
 重大な喪失を機に、普通なら深く落ち込み創造力も萎えるかと考えがちだが、保田氏は「風立ちぬ」とむしろ奮い立ち、大きな芸術的転機さえ迎えるのです。
 金属のオブジェ作家だった氏が写実の原点に立ち返り、猛烈に裸婦のデッサンを描きまくったり、闘病する自画像を描いたりします。
 また、芸術家だった妻の遺作に強いインスピレーションを受け、柔らかく温もりのある木彫の家を作ったり、彫刻の劇的な変化も見られます。
 それらには創造者の魂が人生の難局に直面するたびむしろ深い陰翳と優しさを帯び、濃い艶を内側から発し始めるのを見る思いです。
 創造の魂を持った者は、最期の瞬間に至るまでその心を失わないどころか、老いと死に向かっての宿命的な転機の中で、さらにその魂の新たな面が目覚め磨かれていくのを身をもって示した名番組だったと思います。

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北風の街

 きょうは往診日。海からの北風に、色づいた枯れ葉が舞っています。

 出かけてすぐ、自転車に乗った人が笑顔で話しかけてきます。だれかと思ったら、数か月前、血圧が二百もあって、ぶるぶる震えながら受診した人です。急いでMRIを撮ってみると、脳梗塞も起こしかけていて、さっそく大学病院に紹介しました。

「病院にはまだ行ってません!」と、照れ笑いで言うのにはびっくりしてしまいました。どうしてあんなに重症だった人が、見違えるようになって自転車に乗れるようになっているのか? 一緒にいた看護士共々首をひねってしまいました。

 それにしても、一刻も早く精密検査を受けるよう改めて説得しなければなりません。

 海辺に近い葡萄棚のある小道のお宅で、寝たきりだった人が、伺うたびに元気になっていかれるのにはこちらも力づけられます。今までほとんど独り暮らしだったので、我々が毎週顔を見せるのだけでも違うのかもしれません。

 老人の蒲団の上に猫が丸まっているお宅が何軒かありました。外が寒くなってきて、猫たちの一番の居場所が蒲団になってきたのかもしれません。

「もうすぐ雪の話になりますね」と言う人もいました。

 道を歩くだけで吹き飛ばされそうになる強い北風の向こうに、荒れた日本海を感じました。

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何を回想して生きますか?

 毎週往診で伺っている九十歳を越えたおじいさんは、海風のよく通るお部屋で静かな老後を暮らしておられます。伺うたびにお話になるのは、遠い過去の思い出がたくさん浮かんできて、「本当にあんなことは、あったんだろうか?」と不思議でならないということです。

 今でも澄んだ眸をしておられるおじいさんの視線の向こうには、手入れの行き届いた庭があります。古い苔に覆われた庭の空間に、二度の大戦の時代を生き抜かれた人の思い出の幻が騒ぐのをふと見たような気がしました。

 同時に、かつて「ユング自伝」を読んだときの感動も思い出しました。ユング自身、人生はただ物語るだけだと、外見こそ平穏で変化に乏しいものの、心の物語に光を当てつつ淡々と語ってゆきます。しかし、たしか八十五歳くらいで書かれた自伝にしては、幼時からの記憶が鮮明で、心の物語を織り成す出来事とはこれほど貴重な人生の宝物なのだと強く印象づけられたことを思い出しました。

 振り返ってみれば、どんなに忙しくても、静かに保たれた心の中では、毎日のように思い返していることがあるのに気づかされます。そして、今も新たな思い出に残るにちがいない事も進行しているのだということにも。回想しつつ、どんなことが深く心に刻まれていくのか、そんなことを認識できるところに人生がさしかかったような気もしています。

 この瞬間が、きっと深い思い出に残るにちがいないと思いつつ、現実の時間はどんどん過ぎていってしまいます。将来この時を思い返すとき、本当にそんなことはあったんだろうかと、きっとおじいさんのように不思議に感じるにちがいありません。でも、幻のような思い出でも、それこそ最後にためつすがめつ一日を費やして考える宝であることには間違いありません

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「生きること」で、考えさせられること

「いやあ、本当にびっくりしました」と大きな声で、言いながら診察室に入ってこられた方に、私も何事かとびっくりしました。

 訊いてみると、最近、七十歳を迎えて同窓会が開かれたのだけれど、二十八人いた男性のうち、二十人がすでに他界してしまっているとのこと。女性のほうは、その反対の数だったそうです。どうやら男性が七十歳まで生きるというのは大変なことのようです。

 昨日まで青春を謳歌していて、まだ漠然と明日があるような気にもなっていた今日このごろでしたが、人生を現実的に見つめて、整理しながら生きていかなければならないところに差し掛かっているのかと、考えさせられました。

 一方では、元気に百歳を迎えられたおばあさんで、雨でもあられでもしゃんしゃんと歩いて通ってこられる方ですが、「長生きで一番つらいのは、体の心配ではなくて、仲間がいない精神的な苦労が最も大変です」としみじみと言っておられたのにも、深く考えさせられました。

 慌しく生きている日々の中で、限りある時間とか、毎日の一瞬ごとの大切さとか、生きる緊張感とか、これからの自分の有りようとか、ふと仕事を離れたときに案外深い思いに誘われる出来事でした

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